異世界探偵は推理をしない。(改)   作:赤タイル倉庫番

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勘違い要素のファンタジーを書きたかった。


一章 異世界探偵は推理をしない。
1


 最初に崩れたのは、指先だった。

 

 伸ばされた手に触れようとした瞬間、指先が淡く灰へとほどけ、風もない室内でふわりと舞い地に落ちた。

 

「……あなた?」

 

 崩れる腕。砕ける肩。言葉にならない呻き。

 

 その姿はたしかに、彼女の“夫”だったはずだった。

 

 だが次の瞬間、残ったのは──服と、人の影のように散らばった灰の山だけ。

 

 それは、紛れもない“死”だった。

 

 それから一ヶ月。

 誰もその話を信じてくれなかった。

 

「人が灰になる? 馬鹿な」

 

「そんな魔法聞いたことも無いよ」

 

 

 

 絶望の果てに、彼女が訪ねたのは──

 王都の裏通り、ひっそりと存在する小さな建物だった。

 

『異世界探偵事務所』

 

 

 

 その名を冠する扉の前で、彼女は僅かに逡巡した

 

 扉の向こうには、陽の光がほとんど届かない静かな部屋が広がっていた。

 書棚と資料、古びたソファ。奥の机には一人の青年が腰かけていた。

 

 黒髪に黒の上着。そして、紅の瞳。

 

 その男は彼女の顔を見た瞬間、全ての事情を察したような顔をしていた。

          

 誰も信じてくれなかった。けれど、その男は──違った。

 

 

「やあ。待っていたよ」

 

 

初対面のはずの男が、そう言って微笑んだ。

彼は手にある黒い手帳をゆっくりと閉じた。

 

「あなたが今回の依頼人かな?」

 

 

 

 

「……今回の依頼は随分変わっているみたいだね」

 

 紅茶を口にしながら、青年――探偵カイは静かに言った。

 

 傍らでは、この探偵事務所で助手を務める少女・レテリアが困惑した様子で依頼人と向き合っていた。

 

 

 レテリアがこの事務所に来て、そろそろ三週間。

日々の雑務や書類仕事にも慣れてきたが、「灰になって消えた夫」の話は、さすがに想定外だった。

 

「……灰に、なったって。文字通り……ですか?」

 

 

 

 依頼人の女性は頷く。

 目の下には深いクマ、指先はずっと震えたままだ。

 

 

「ほんの数秒でした。夫の体が黒いモヤに包まれて、そして……灰に。私は見ているだけで何もできませんでした」

 

 

 レテリアが顔を曇らせたのを、カイがちらりと見る。

 彼女は前の仕事柄から珍しい知識には多少なりとも詳しいが、それでも答えを持たぬ話だった。

 

「古代の魔法か何かの類いですかね……」

 

 現代の魔法にそのようなものがあるとは聞かず――そもそも、あったとしても禁術として扱われているだろう――あるとすれば古代の魔法技術ではないかとレテリアは考えた。

 

「……その“灰”は、今もご自宅に?」

 

「はい。……怖くて、何もできませんでした。少しでも触れたら、崩れてしまいそうで……。毎日見るたびに、あの瞬間が頭に浮かぶんです。なのに、手が動かなくて……」

 

 レテリアは立ち上がった。

 

「わかりました。現場を見せてください」

 

「ほ、本当に調べていただけるんですか……?」

 

「もちろん」

 

 

 それだけ言って、カイは立ち上がる。

 

 その表情には、疑問も迷いもなかった。

 

「行こう、助手君。これはきっと──裏がある」

 

 そう言ったカイの言葉は静かで、どこまでも確信に満ちていた。

 

 

 

 

 家の中は、異様なほど静かだった。

 

 生活の痕跡がそのまま残された居間の中央。

 そこに、“それ”はあった。

 

 

 

 床に残された灰。

 ただの灰ではない。腕、脚、背、頭部――人の姿をなぞるように、輪郭を保ったまま崩れたそれは、

 まるでそこに“人がいた”ことを証明する痕跡のようだった。

 

「……これが」

 

 

 

 レテリアは思わず、喉を鳴らした。

 焼けた臭いはしない。炎の跡もない。死臭だってしなかった。

 けれど、“死”の気配だけはあまりにも濃く残っている。

 

 

 カイは無言で灰の周囲を観察し、手帳を開いた。

 ページを指先で辿り、ある箇所でふと立ち止まる。

 

 

 

「……助手君。胸のあたり、見えるかい?」

 

「え?」

 

 

 

 言われるままにレテリアは身をかがめ、カイが指し示した灰の中心――ちょうど胸元にあたる位置に視線を落とす。

 

 

 

 そこだけ、他とは違う。

 

 灰にうっすらと混じる、黒い染みのような痕跡。

 まるで焦げたような、それでいて何かが染み込んだような跡。

 

 じっと見つめていると、空気がわずかに揺らいでいるようにも感じた。

 それは熱気ではなく、濁った水のように澱んだ魔力の残り香――そんな気がした。

 

「魔力の残滓だよ」

 カイが呟くように言う。

 

 

 

「……これが?」

 

レテリアは息を詰めた。

 その残滓は“死の熱”ではない。むしろ、冷たい。けれど、そこに“何か”が確かにあった証。

 

 

 

 カイは灰をひととおり眺め終えると、改めて彼女の方を向く。

 

 

「……助手君。肉体と魂の関係って、知ってるかい?」

 

「え……?」

 

 

 問いの意図がすぐに掴めず、レテリアは戸惑いがちに答える。

 

カイは膝をついたまま語り出した。

 

 

「肉体と魂は密接に繋がっていて、それは簡単に剥がれるものじゃない。だけど、それを強引に、しかも乱暴に引き剥がせば魂すらも傷つく。そうなれば肉体はその繋がりを失って、形を保てず崩壊する――そういう話だ」

 

 レテリアは改めて灰を見下ろした。

 ここにいた人は、まさに“崩れた”のだ。魂ごと、何かに強引に奪われて。

 

「でも魂を抜き取る魔法なんて聞いたことないですよ! あったとしてそんなそんな高度な魔法、簡単に扱えない筈です」

 

「ああ、扱えなかったんだろう。そう、きっと失敗したんだ」

 

「失敗ですか?」

 

「恐らく、何らかの実験を行っていた。それにたとえ高度な魔法だったとしても、もしそれが魔導具を用いたものであれば、ない話ではないからね」

 

 その声音には、迷いも疑いもない。

 あくまで淡々と、しかし確実に“何か確信的なものを掴んでいる”者の口ぶりだった。

 

「奥さん、当時旦那さんに変わった様子などありませんでしたか?」

 

「そういえば、臨時収入が入ったとかでやけに羽振りが良かったような気がします……」

 

「そうですか……」

 

 泣きながら話す依頼人に、レテリアは深く同情した。

 

「戻ろう」

 

 カイが静かに言った。

 

「はい……」

 

「探偵さん……! やはり夫はもう戻らないのでしょうか……!」

 

 依頼人はカイに縋るように尋ねた。悲壮感漂う彼女の表情は、レテリアの心を抉った。

 今この場に入れば誰もが思うだろう。彼女の夫は死んだのだと。もう戻りはしないのだと。

 

 彼女も本当はわかっているのだろう。しかし認めたくないのだ。有り得ないとわかっていても、認めたくないからこそカイ――探偵に縋って来たのだ。

 

「……」

 

 問いかけにカイが答えることは無かった。しかし、彼女にはそれで十分だったようだ。

 

「信じて下さりありがとうございます。やはり夫はもう戻らないのですね……。その答えだけで十分です」

 

 この依頼の詳しい内容は「夫を見つけて欲しい」であった。しかし、皮肉にもこれで依頼は完遂となるのだった。

 

 

「今回、依頼料は要りません。では、失礼します」

 

 二人は家を後にする。

 レテリアが最後に見たのは、俯き、肺に涙を零す依頼人の姿だった。

 

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