異世界探偵は推理をしない。(改) 作:赤タイル倉庫番
家を出てからしばらくの間、レテリアは何も言葉を発さず、ただカイの背を追っていた。
踏みしめる石畳の音が、やけに静かに響く。あの“灰”の光景が、脳裏から離れなかった。
「……助手君」
不意に声をかけられ、レテリアは小さく肩を揺らす。
「さっきの“そんな魔法、聞いたことがない”って言葉。あれは正しい。でも、だからと言って“存在しない”とは限らないんだよ」
カイは告げる。「時には自分の常識を疑う事も必要だ」と。声は淡々としていたが、どこか確信めいている言葉だった。
彼の視線の先にあるものは、きっと、レテリアの知らない現実だった。
*
探偵事務所の扉を開けると、ほのかに紅茶の香りが漂ってきた。
それは帰ってきたことを告げる、ささやかな安心の匂い。
「おかえりなさいませ、レテリア様、カイ様」
奥から現れたのは、金髪を三つ編みにしたメイド――レイだった。
姿勢も物腰も完璧で、仕草の一つ一つが訓練された所作のように洗練されている。
レテリアは何度も顔を合わせていたが、毎回少しだけ、圧倒される。
(……やっぱりこの人、“普通”じゃない)
一つ一つの所作が整っている事もそうだが、美しく目立つ所作とは裏腹に自己を限りなく潜めたような薄い存在感。
美しいのにメイドとして目立たない事を徹底していて、矛盾を孕んだ存在とも言える。
「ただいま、レイさん」
「お疲れでしょう。お茶をお淹れしますね」
用意された紅茶は完璧な温度と香り。ティーカップに浮かぶ泡すら、美しく整っていた。
カイは席につき、静かに手帳を開いた。
「助手君。現場の魔力の残滓、気づいたよね?」
「ええ。焦げたような染み……あれ、熱ではなかった。むしろ、冷たかったような」
「それが“魂をいじった痕”だよ」
レテリアは言葉を失う。
「普通の魔術なら、痕跡は数日で消える。しかし、あれだけ時間が経っていたのに魔力の残滓が残っている理由は、限られてくる」
カイは続ける。
「助手君も知っているだろう? 高度な魔法はそれに伴った魔力を必要とするものだ。もっとも、成功とは言えなかったようだけど」
カイの推理は何か確信的なものに繋がってきているとレテリアも感じていた。
レテリアは静かに頷いた。
それが事実であると、今はもう疑えなかった。
「……魂を使った“実験”。それが失敗して、灰に」
「たぶんね。しかも、あれが“魔導具を使ったもの”だったとすれば……話はさらに厄介だ」
「どうしてですか?」
「術者の技量に依らず、誰でも“仕組み”として使える。
だからこそ、扱うには理論も制御も、完璧でなければならない。未完成のまま触れれば、ああなる」
そう結論づけると、カイは手帳をパタンと閉じた。
そのとき、軽く扉がノックされた。
「失礼いたします」
現れたレイが、一枚の金色の封筒を差し出す。重厚な封蝋には、百合の紋章が刻まれていた。
「……これは」
「ヘルメス家からのご招待です。“継承の義”を兼ねた夜会が数日後、王都の館にて開かれるとのことです」
レテリアは目を見開いた。
「ヘルメス……黄金姫……!」
王都に知らぬ者はない。若き次期当主、ネア・ヘルメス。黄金姫という異名を持つ貴族の令嬢だ。
その人物から、招待状が――カイ宛てに届いたのだ。
レイが封を開き、中の紙を読み上げる。
「“本状をもちまして、異世界探偵カイ殿を当家主催の夜会へご招待申し上げます。継承の儀にふさわしき客人を迎えることを、我ら一族の誉れといたします”」
カイはそれを一瞥し、唇の端を少しだけ上げた。
「またパーティの誘いか……」
「今回も断りますか?」
「そうだね。あまりそういう場に出るのは――」
レテリアの問いに、カイは一瞬だけ目を伏せる。
そして、ふと何かを思い出したかのように顔を上げた。
「……いや。今回は、出席しよう」
「えっ?」
思わずレテリアが聞き返す。
けれどカイは、ただソファに身を預けながら言った。
「少し、気になることがあってね」
その声は静かだったが、どこか確信を含んでいた。
まるで、これから起こる出来事をすでに知っているかのように。
「“継承の義”に提出される品。そこに、妙な匂いがする」
レテリアは息を呑んだ。
「まさか、また……あの灰の事件と?」
「繋がっているとは限らない。けれど、線を結ぶには十分な材料だよ。だから、行く価値はある」
部屋には静寂が落ちる。
カイは立ち上がり、書棚の一冊を手に取った。
開いたページをちらりと見て、また静かに閉じる。
「助手君。継承の義って、知ってるかい?」
「ええ。ヘルメス家では、次期当主が自ら選び抜いた品を“証”として提出するそうです。それを先代が見極め、選定するのが伝統だと」
「そう。だからこそ、そこに“何か”が紛れていても不思議じゃない。ネアなら、そういうことをやっていてもおかしくないさ。彼女はいい目をしているからね」
レテリアは首を傾げる。
「……知り合い、なんですか?」
「前に、少しね」
そして、カイは窓の外を見た。
曇り空の下、王都の屋根の群れが静かに広がっていた。
「さあ、準備をしておこうか。これから少し騒がしくなるかもしれない」
その言葉に、レテリアはうなずきかけ――ふと止まる。
(この人は、どこまでわかってるんだろう)
けれど、その問いは胸の奥にしまい込んだ。
今はまだ、知るには早すぎる。そんな気がしたから。
静かに、時が進んでいく。
けれど確かに、この時から。
レテリアにとっての“非日常”が、本当の意味で動き始めていたのだった。