ヒヒはあるけど金剛は無い。ちきしょうめ。
「単刀直入に伺います」
促されるままソファに腰を下ろし、キングのお母さんからの視線を瞳に受けながら言葉を発する。
「貴女が、レースに出走する度に信念としていた事を教えていただきたい」
「……はい?」
自分が彼女に問うたのは失礼にも当たる質問だ。
現役と引退後少し。その間に何度も聞かれたんだろう問いだ。
自分は今日、それを彼女に問いに来た。
「ウマ娘の身体的な謎は非常に多く、未だ解明されていない問題も数多いです。トレーナー業とは常にその問題と真摯に向き合い、時に運命と断ずる職でもあります」
「……そうですね。よく理解していらっしゃる」
少し困った様子を見せたキングのお母さんは気を取り直して話を聞いてくれる。
「しかし、それだけでは彼女達に寄り添ったと言えません。最善を尽くしたとは口が裂けても言い切れません。そう考えた時、こう思ったんです。『逆に人と類似するところとは何か』と」
「…それで心の在り様を聞きに来た、という事ですか?」
「はい。耳と尻尾以外は人と変わらぬ彼女達。同様に心情の機微も似通っています。特に、[信念]とも呼べる夢や志は人のそれと変わらない。少々以上に強すぎるきらいはありますが、それは人の中にも同じ。自分自身、トレーナーになるために執着とも言える信念を持っていました」
「それが娘のレースにどう関係されるのですか?」
「同じウマ娘の…それも血縁者の信念を知る事でキングヘイローと同じ視点に立つ事が出来ます」
「…え、えぇっと……。それはつまり……」
それまで自分の話にウマ耳を傾けてくれていたお母さんの顔が再び困惑に歪む。
それはそうだ。今まで娘へのアドバイスを聞きに来たと思っていた相手が急に自分の為に来たと言うのだから。自分が逆の立場でも同じ顔をするだろう。
「不可思議な話ですが、自分がキングヘイローのトレーナーにより相応しくなるために聞きに来たんです。……黙っていて申し訳ありません」
「…それは、娘の話に耳を傾けると言うのではダメなのですか?」
「ダメ…ではありませんが、心境を正しく表に出すというのは中々に難しい事だと思っています。それも人生の山の渦中にある少女ですから。当の本人も理解や納得、反芻できていない部分も多々あるはずです」
「…であれば、既に心の整理を終えて正しく受け入れられた相手に聞くべきだ、と?」
「そう、ですね。とは言えキングヘイローは自分よりも自己分析の出来ている娘ですから、既に多くを共有しているとは感じています」
「それでも、あの娘が未だ言語化できていない部分を知る事でより密接に寄り添いたいと。そういう理解でよろしいかしら」
「はい、構いません」
自分が面会に来た理由を聞いたキングのお母さんは小さく息を吐いた後、いつの間にかテーブルの上に置かれていた紅茶をソーサーごと手に取って一口流し込み、再びテーブルに置く。
その一連の美しい動作に目を奪われ、同時にデジャヴを感じた。
「……私は、多くの人々を見返したかった」
デジャヴの正体に辿り着く前。キングのお母さんは独白のように語り始めてくれる。
自分の問いに答える価値があると感じて下さって。
「デビューする前。トレーナーが付く以前の話ね。私を見た面々は口を揃えて言ったわ。『体格は全体的に美しくバランスがとれている』と」
「…失礼な物言いですね。選手としてしか見ていない」
「えぇ。けど、私にも確かに悪いところはあった。睨むように周りを見たり、逸る気持ちからか妙に前のめりな歩き方だったり。私がトレーナーでも同じ事を思ったでしょうね」
「だからと言って口に出していい訳じゃない。クセは誰にでもあるし、目付きだって生まれつき光に弱いとかって理由があるんですから」
「ふふ、あなたもトレーナーと同じ事を言ってくれるのね。そ、私を見初めてくれたトレーナーも同じように憤ってくれたし、『誰の目も気にするな。自由に、伸び伸びと走っていい』と言ってくれたわ。…天啓のようだった」
再度ソーサーごと運んだお母さんはティーカップを口に運ぶと、今度は手にしたまま話を続ける。
「当時の最先端と言えるトレーニングにより鍛えられた私は、以前の自分とは別のウマ娘のようだったわ。秘めていた力が引き出されたとでも言うのかしらね。圧勝して、惨敗もしたけれど連勝もして、負けてもまた勝てて、[勝った娘のレース]では無く[私が勝てなかったレース]なんて言われる事もあったわ。光栄だけど、無礼な話よね」
話の間、何度か紅茶を飲んでいたお母さんの手元のソーサーからティーカップが下げられ、メイド長さんが新しく用意した別のティーカップが乗せられる。
中には湯気と共に心地よい香りが立ち込める紅茶が淹れられている。
「ありがとう。……それで、えぇ、そうね。ライバルとの話がまだだったわ。二人いたライバルとのレースは…今思い返しても悔しさが出てきてしまうの。そのくらい真剣で、楽しくて…やっぱり悔しかった。けど、最後のレースは悔いしかないわ。…もっとやれたはずなのに、って。今でも思うの」
新しい紅茶を二度口に運び、ソーサーと共にテーブルへと置いたお母さんは自分の方に向き直る。
…その目には僅かに潤みが見えた。
「長々とごめんなさい。結論を言うわね。レースに持ち合わせていた私の信念。それは、[見返してやる]が始まりで[悔しい思いをしたくない]がいつからか付いて回ったわ」
ソーサーと共にティーカップをテーブルに置いたお母さんはそれまで組んでいなかった脚を組んで自分の方を見る。
「あの娘は…キングヘイローは、私によく似ているわ。ダートこそ嫌ってはいるけれど、心根はとても近い。…だから、あの娘にはレースから離れて欲しかった」
「……負けた時の悔しさを味わって欲しく無いから、ですか?」
「えぇ。執着のような信念を持っているあなたになら分かるはずよ。その時の全てを懸けたのに成し得たモノが無かった時の苦しさを。二度と同じ状況は無いからこそ、苦しさは夜を深くする激痛となって襲ってくる。二度と得られない栄冠が存在するレースに於いて、一度の敗北は生涯の敗北に繋がるわ。……全盛期ではなくとも、不得手な条件でも、期待や羨望を胸に走らなければならない孤独だってある」
「…それに」と、お母さんは続ける。
「…優しすぎるのよ。夫に似てね」
「…優しい、ですか?」
思わず聞き返してしまった言葉にお母さんは大きく頷く。
そうして視線の合った彼女の瞳には、確かに母親としての慈愛が満たされている。
「レースの後のキングヘイローは勝っても負けても他の娘を気にしている。時には言葉を掛ける事だってあったわ。普段はどうあれ競い合うとなれば打ち倒すべき敵なのに、ね」
「…確かにそういった面はありますね」
「あの娘だって本気で挑んでいないわけは無いわ。私の反対を押し切って入学したんだもの、並みのウマ娘が感じる無力感じゃないはずよ。…なのに、レースが終わればその瞬間に他の娘の心配でしょう?向いていないのよ、競い合う事に。他者を蹴落とす事に」
「………おっしゃる通りだと思います」
「けれど、慣れて欲しいわけでも無いの。その優しさは間違いなくあの娘の美点。元から素養が無ければ持ち続けていられない、親として誇らしい才能の一つ。もしそんな本質を捻じ曲げてしまえば……」
「………いずれレースだけでは無く、走る事すら避けてしまう」
お母さんが発する事を躊躇った言葉が代わりに出て来る。
「酷く思い悩めば嫌ってしまう事だってあり得ます」
そう言いながら、自分で自分の言葉に鳥肌が立つ。
したくも無い想像が、嫌が応にも脳裏を過ってしまう。
「ええ、正しく。ウマ娘がレースにこだわらなくなる事はままあるけれど、走る事を嫌う娘はごく一握り。それも大きな挫折や恐怖が原因であって、こと走りに於いては安定した精神性に無いと言ってもいいわ。…あの娘にはそうなってほしく無いの。昔からレースを好いているあの娘には」
「そう…でしょうね。夢破れて学園を去って行った娘の大半はやっぱり走りに関する仕事だと聞いています。けどそうで無い場合は、そもそも連絡が途絶えるのだと」
もしも、もしもキングがそうなってしまった場合、その先に待っている生涯は苦渋と嫌悪で舗装された道になってしまうのは想像に難くない。
しかもキングの場合は比較対象である超一流の母親が直ぐ傍に居る。
場合によっては親子の仲を絶縁しなければ耐えられなくなってしまうかもしれない。
その想像はきっと飛躍でも何でもない。あり得る事象だ。
「だから、ね、キングヘイローのトレーナーさん」
今、思いつく限りの暗い未来に打ちのめされている中で、お母さんの呼びかけがすんなりと耳に入ってくる。
抵抗無く向いてしまう自分の顔。
その先にあるのは……頭を下げているキングヘイローのお母さんと、彼女の後ろで同様に頭を下げているメイド長さんだ。
「今からでも遅くは無いわ。あの娘に、あなたからも競技レースから離れるように説得して欲しいの」
「え……」
お母さん達の不意の行動に間抜けた声が出る。
それも構わず彼女は続ける。
キングヘイローを説得して欲しいと。
「私の説得ではまるでダメなの。強く言えば言うほど意地になって、現実を突き付ければ突きつける程聞く耳を持たなくなる……。けど、トレーナーであるあなたからなら」
衝撃に撃たれ、何も考えられなくなる。
にも拘わらずお母さんは続ける。真摯さと親としての想いが込められた言葉で自分を説得する。
「あなたからなら、あの娘もきっと真剣に向き合ってくれる。考えを改めてくれる。…だから」
「拒みます」
「…聞き間違いかしら」
真っ白な、それこそ雪国のように真っ白な思考の中で。
何一つとして理性を通さずに出て来たのはそんな言葉だった。
「お母さんの子を想う気持ちは痛いほど伝わりました。そう考えていたのならキングに告げて来た発言も、今日までの行動も、よく理解出来ます。納得が出来ます。……出来ますけど」
考えなど何も纏まらぬまま口から出て行く言葉に自分でも驚き、けれど同時に納得も生まれる。
そう、そうだ。理解も納得も確かに出来る。
出来るけど、だ。
「自分はキングヘイローの
言いながら言葉を纏め、考えを纏めて結論を出す。
今後変える事の無い自分の取るべき責任をお母さんに明言する。
「……それで私の娘がレースを嫌悪する事になっても、ですか」
「なったとしても、です。それはキングが選んだ道だ。彼女ほどのウマ娘であればケリを付けられないわけがありません」
「…無責任な事をおっしゃるのですね」
「いいえ、それも違います。責任は必ず取ります。唆した立場に当たる自分が逃げていいはずがありません」
「ではどうするとおっしゃるのですか。並みでは無いのよ?傷ついたウマ娘を救うというのは。それも外的な傷では無く、内的な傷から立ち直させるなんて言うのは人同士であっても凄絶なモノ。それが異種族間で成り立つと本当に考えているの?」
「承知の上です。立ち直れるその日まで、最大の理解者として寄り添います。例え彼女に嫌われ、避けられたとしても、人脈全てを使って支える覚悟があります。人間の医師がウマ娘の精神を安定させたという話は確かに聞き及んでいますし、自分自身、その手の学問に一切の無知というわけでもありません」
勢いに任せて立ち上がる。
自分の突然の行動に、けれどお母さん達は一切動じない。
「ですから」
そう言って、頭を下げる。
今出来る誠意の表現はこれしかない。
だから精一杯頭を下げる。
「ですから、どうかキングがレースに出るのを止めないであげて下さい。トレーナーとしてだけでは無く、彼女の最初のファンとして、走る姿を見続けたいんです」
お母さん達に覚悟を示す間に高ぶった想いがそのまま言葉として出る。
これは嘘偽りの無い、自分の本心だ。
……それを、どう受け取ってくれただろうか。
「……断じて、認めないわ」
ソファから立ち上がる音が聞こえる。
「面会はこれでおしまいよ。担当のウマ娘が頑固なら、そのトレーナーも頑固だと分かったのは最大の収穫かしらね」
ソーサーとティーカップの下げられる音と、つかつかと遠ざかっていく足音。
そこから察せるのは、お母さんからの同意は得られなかったという事だ。
「……いつまで頭を下げている気かしら。気が変わる事は引退するまであり得ない事よ」
「…それでも、今の自分に出来るのはこのくらいですから」
「…好きになさい」
キィ…と、扉の開く音が聞こえる。
その直ぐ後、足音の質が変わる。
そうして再度鳴った扉の音は。
「……最初のファンは私よ。思い上がらない事ね」
鼓動を突き刺す声でかき消された。
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時は流れて二月。
新年最初のレースが間もなく始まる。
東京新聞杯。GⅢレースだ。
「幕開けは肝心よ。今年一年の結果に繋がると思いなさい」
「大丈夫。年明け前から構えていたよ」
「……それもそうね」
体操着に身を包み、既に軽い柔軟も終えているキングの表情は引き締まっている。
正月ボケ…なんていうのはまるで無い。
「…じゃ、行ってくるわね、トレーナー」
「ああ。行ってらっしゃい、キング」
開始を告げるアナウンスと共にキングを送り出す。
その背は力強く、足取りに淀みは無かった。
レースは圧巻だった。
二着と三バ身差を付けての一着。
昨年の三冠レースの負けを引きずらない見事な走りに会場は湧き、キングは高笑いを披露する。
そして。
「再戦、待っているわ!次も負けないけれど!!」
不器用な激励で二着以下のウマ娘達を奮い立たせた。
to be next story.
キングのお母さんの話にはグッバイヘイローとダンシングブレーヴ双方の話を混ぜ込んでます。
ライバル枠はグッバイヘイローからバヤコアとウイニングカラーズを連れて来たんですけど、実際はどうだったんですかね?
世界の名馬列伝集(ウェブ)のしめくくり的にそうなのかなぁと思ったんですけど。よー分からん。
後、お母さんの口調はかなり想像で書いてます。
キングっぽいけど少し違う、くらいの感じですね。