アラナン尊師最終ムリです。
東京優駿の大敗から三日。
キングと初めて顔を合わせる。
『東京優駿が終わったら少し休憩を入れよう』
それが出走直前に彼女と決めた約束だった。
時速六十キロを超えて走る彼女達につきものである怪我。その要因の一端にはオーバーワークが存在する。
現状、怪我らしい怪我もしていないキングを必要以上にトレーニングさせれば菊花賞の出走が危ぶまれる為、彼女との話し合いで決めた事だ。
三日ぶりに会う今日ですらトレーニングのためでは無く、トレーニングの内容を決める為だけのいわば打ち合わせ。
終われば彼女と商店街へ蹄鉄等の消耗品を買いに行くつもりだ。
……なのだが。
「……キング」
勝てば誰もが即座に一流だと認める東京優駿であの大敗。
しかも本来は取らない作戦での負けは、きっとキングに多大な心的ダメージを与えているはずだ。
下手をすれば、トレーニング再開までは禁止した自主練に取り組んでいる事だって考えられる。
「…いや、いや。それは無いはずだ。彼女は充分にウマ娘の脆さを知っている。だからきっと勝手な行動はとらない」
脳裏を過った疑いともとれる思考を直ぐに否定して頭を振る。
そうだ。何が起きようとも彼女はキングヘイロー。焦りに従って機会を棒に振る真似は絶対にしない。
「そ、よく分かってるじゃない」
トレーナー室の扉が開けられると同時、キングの声が届く。
休日だと言うのに制服姿の彼女は普段と同様の様子で中に入って来る。違っているのは手ぶらで訪れた事くらいだ。
「キング…!」
「…何よ。そんな鳩が豆鉄砲を受けたみたいな顔して。今日はあくまでミーティングでしょう?」
「あ、ああ。そうだけど…」
自分の予想に反して平然とした様子で訪れた事に驚きが隠せ無い。
東京優駿終了後の彼女とはまるで別のウマ娘のようだ。
「……あのねぇ。私だって子供って程子供じゃないのよ?二日もあれば落ち着きだってするわよ」
「あ…。ま、まぁ、そうだよね……」
余りにも自分が驚いていたからかキングに心を見抜かれ、たしなめられてしまう。
「じゃ、早速話し合いましょうか。キングの時間は安く無いのよ?」
「そう、だね。うん、分かった」
微笑んだキングに頷きテーブルの上を片付ける。
そうして彼女は普段と同様自分の向かいになるソファに腰を下ろし…。
「…キング?」
「なぁに?たまにはこういうのもいいでしょ?」
…キングは向かいのソファに腰を下ろさなかった。
彼女が座ったのは自分の真横。それも触れるかどうかより少し離れた位置だ。
ーー…キング。
「さ、始めましょ。当然、幾つかプランは考えているんでしょうね?」
「…考えてるよ。次こそ君が勝てるプランに出来るように」
「…そ、ならまずはあなたから言いなさい?」
彼女に促されるまま、自分の考えて来たトレーニングプランをノートも交えて幾つか伝え、口頭でその理由を簡単に説明する。
それがおよそ十五分。
一般的、基礎的なモノからキングの為のモノまで説明している間、彼女は口を挟まずに聞いてくれた。
…ただ、身体の距離はかなり近くなっていた。
「…キング、どう?」
「えぇ、良いんじゃないかしら。特に脚質の強化とスタミナの増加を目的としているこの四つがいいわ。私が考えて来たモノよりずっと良さそうね」
「良かった。なら暫くはこれで行こう。充分だと判断したら次のステップだ」
「了解よ、トレーナー」
会話をしながらチラリとキングの横顔を見る。
…やっぱり最初よりも明らかに近い。
触れるかどうかだった身体の距離も今ではすっかりくっ付いてしまっている。
理由は……明白だろう。
当たり前だ。あのレースでの敗北がたった二日、三日過ぎたくらいで拭えるわけが無い。
自分だってそうなんだから。
「ねぇ、キング」
「何かしら?」
「…ここでなら大丈夫だよ」
呼びかけ、逡巡した末に出た言葉を彼女に届ける。
「…何が、かしら」
「安心して。君が何を漏らしてしまっても、キングヘイローというウマ娘が一流である事に変わりは無いから」
自分はベテラントレーナーのように経験から来る考えなど持ち合わせては無い。彼女が真に望む言葉を用意できるわけも無い。
けど、話を聞くくらいなら自分にだってできる。
キングの普段の立ち振る舞いだ。相談できる相手だってかなり限られてくるんだろう。
それなら、自分がその一人になれれば。それだけで彼女の負担は減ってくるはずだ。
「少なくとも、自分の中では絶対に変わらない」
「……そ」
目を逸らしてしまったキングヘイローの手の上に自分の手を重ねる。
「分かるよ。自分だって中央のトレーナーになる為に幾度も挫折しかけた。その時の無力感は今でも夢に見るくらいだ。誰でもいい、この手に触れて欲しかった。それだけであの無力と虚無感が和らぐ気がしたんだ」
「けど、あなたは成ったじゃない。ここのトレーナーに」
「成ったんじゃないよ。なれるまで諦めなかったんだ。…いや、諦めきれなかったって言った方が正しいね。掲げた夢を自ら手離すくらいなら死んだ方がまだ意味がある、って本気で思った」
自分の掌の下にあるキングの手に僅かに力が入る。
それに合わせて同じくらいの力で添えた。
「だからキングヘイロー、教えて欲しい。君が今抱えている事全てを」
少しだけ強く、拳に変わり始めた彼女の手を包み、視線を逸らしたままのキングの頭に手を添えて自分の身体に寄せる。
……そうしたら、彼女は教えてくれた。
「……十四着よ」
ぽつり、ぽつりと、教えてくれた。
「このキングが十四着よ?三着以内どころか掲示板にすら映らない。ウィニングライブの時の記憶なんて全く無いの。一流であるはずのこのキングが、共に走った相手を覚える事すら出来なかった」
「…うん」
「やって来た通りに、積み上げて来た通りに走っての着順なら納得だってできたかもしれないわ。けど、どう?その場の思い付きで、自身の調子に煽られて、その結果があの体たらく。……受け入れられるわけないじゃない」
「そうだね。確かにあの日の君は絶好調過ぎるくらいだった。なんの作戦も無かったのに先行争いに勝っての逃げ。それを四コーナー付近まで譲らずにいた。充分に凄い事だ」
「それで勝てていれば良かったわ。けど、結果は違う。私はね、負けたのよ。スカイさんに、スペシャルウィークさんに、他のみんなに。何より、私自身に」
キングの顔が胸元に強く押し当たる。
籠った彼女の声が聞こえ、自分の添えている掌の下がしっかりと握られる。
「勝ちたかったの。負けたくなかったの。みんなにもそうだけど、私は私自身に負けたくなかった。自分に克てないウマ娘が、他のウマ娘に勝てるわけが無いのよ。自分に克てないウマ娘を、誰が一流だと認めてくれるの?」
「…自分は認めてるよ」
「トレーナーだもの、そう言うしかなじゃない」
「それは違うよ。一個人として、君の
「何を見てそう言い切れるのよ」
「逃げ出さない君を見てだ」
微かに、キングの全身から力が抜けるのを感じる。
けど、それは一瞬の事で。
直ぐに全身に力が戻り、自分の着ているワイシャツを彼女は強く握りしめた。
「…おばか、へっぽこ。あなた一人が認めているだけじゃ私の目的は達せないじゃない」
「何だって始まりは一歩からだ。その一歩になれた事、君と共に踏み出せた事を誇りに思ってるよ」
「……おばか。私を一流って認めてくれている娘は、あなたより先にだっているんだから」
「…そっか。残念。なら、君と共に千里の道を歩き切った栄誉は自分のモノだね」
「…好きにしなさい」
彼女がそう言ってから暫くの間、沈黙が続いた。
陽が少しずつ暮れ、電気を付けていなかったトレーナー室は薄暗くなる。
だから、自分は何も見ていない。
自分はただ、キングの胸の内を聞いただけ。彼女を少しだけ楽にさせただけ。
ワイシャツが濡れているのは、きっと自分の汗だ。
「…ねぇ、もう少しだけ話を聞いてくれるかしら」
「構わないよ。寧ろ君のために時間を使わせてほしい」
「……ありがと。外泊許可、取ってくるわね」
外が暗くなり、トレーナー室がすっかり暗くなった頃。
キングはそう言って部屋を後にした。
to be next story.
そもそもクォーツがありません。
対ありでした。