ウマ娘なんも分からん。
皐月の冠、日の本の冠、そして数時間前の菊の冠。
クラシック三冠レース。その全ての冠。
……彼女は、一つとして得られなかった。
それを自分はおこがましくも[与えてあげられなかった]と。そう感じてしまっている。
「……何度も自惚れるな。自分も、キングも、その時の最高を出した。否定すれば停滞しかないんだ」
自宅にあるデスクに着いてからずっと、独り言ち続けている。
幾度トレーニングノートを見返しても穴は無い。
幾度思い返そうとも行ったトレーニングに不備は無い。
ならば。自惚れも、それを肯定する否定も、等しく間違いだ。
単にセイウンスカイは強かった。単にスペシャルウィークは強かった。
そして、その両トレーナーは自分よりも力量・技量が単純に上だった。
それだけの話だ。
……だが、それでも。
「…キングを泣かせてしまった。それも、彼女にこれまでの覚悟を疑わせてしまった……!」
彼女を傷付けた事だけは納得できなかった。
彼女に自身の覚悟を後悔させてしまった事を許せなかった。
それを自分のせいだと受け止めてしまうのは傲慢なんだろうか。
「キング…」
あの日、キングが自分の家に泊まりに来た日。
自分は彼女から大切な話を教えてもらった。
『私は、いつか一流のお母様も認める一流のウマ娘になるの』
彼女が一流にこだわる理由の根幹だった。
彼女の母親はウマ娘のトレーナーを目指す者なら誰でも知っているような超一流。
勝ち得て来たレースは多く、その中には複数回のGⅠ優勝がある。
引退後は勝負服デザイナーとなり、元々の才能と努力からその世界に無くてはならないウマ娘になっている。
レースで一流、引退後の仕事でも一流という、凄まじい母親だ。
そんな母親を持つキングヘイローはきっと彼女に憧れを抱いていたんだろう。
だが、彼女の母親はそれを良しとしなかった。
『貴女に走りの才能は無い』
勝負の世界は残酷だ。慈悲なんてものは徹頭徹尾無い。
どれほど期待されようと、どれほど努力を積み上げようと、勝てない者はずっと勝てない。
勝てたとしても常に敗北が後ろについて回る。それはいつか襲ってくる。
順風満帆に引退まで戦えるなんて事はまずあり得ない。
しかもウマ娘のレースはトレーナーと二人三脚だ。負ける確率を減らす事もあれば大幅に増やす事だってある。
相方のトレーナーを間違えてしまえばその瞬間に全てはとん挫。たちの悪い事にトレーナーは回数を重ねて優秀になっていけるが、ウマ娘のレース人生は生涯一度きり。
履き違えたトレーナーを選んでしまえば、青春と努力そして夢の全てを棒に振る可能性があるんだ。
…かくいう自分も、キングに言われなければ気が付けなかったに違いない。
キングの母親はそれを嫌というほど知っているからこそ、娘に少しも味わって欲しく無くて酷な言い方をしたんだろう。
その気持ちは子供の居ない自分にも充分に理解できる。大切な自分の子が夢破れて絶望する姿を見たい親なんて存在しないんだから。
……けれどだ。
親心があれば子心もある。
結果としてキングヘイローは母親に反発心とある種のコンプレックスを抱くようになり、不仲にまでなっていた。
時折電話はしているようだが、必ずケンカ腰のまま終えるらしい。
「……それなのに自分のせいで」
あの若さで生き方を決めるほどの覚悟をしたキングヘイロー。
それも逃げようが無いほどに。きっと逃げる事なんて一度も考えていなかったから。
そんな彼女に自身の覚悟を疑わせた。それは紛れも無く、自分が他のトレーナーに劣っていたからこそ起きた事実だ。
「……だったら、自分は相応しく無いんじゃないか?彼女のトレーナーに。隣を共に歩く者に」
……帰宅してから二時間の自問自答の末、出て来たのはそんな答えだった。
……呆れた。実に、実に
「「愚かね(だ)」」
「!?」
突然の声に驚いて後ろに振り向く。
そこには何故か、私服姿のキングヘイローが居た。
ドレスを思わせる緑色のワンピースっぽい服を着た彼女は少し困った笑みを浮かべていた。
「き、キング…!?どうしてここに……?」
「あなたと今後の話をしたくて来たわ。…電話もチャイムも鳴らしたんだけどね」
部屋のドアを閉めた状態で立っていたキングは一度俯くと、今度は腕組みをして切なげな表情を浮かべて笑っている。
組んでいる腕に掛けられているのは所謂マイバッグのような物で、中には何かが入っていた。
「学園に戻って少ししてから思い立ってね、外泊許可を貰って来たの」
「そ、そうなんだ……」
「えぇ。だから、座ってもいいかしら?」
キングに言われるがまま頷き、急いで床とテーブル周りを片付けて座布団を用意する。
「ご、ごめんね。リビングの方ならソファもあるんだけど、あっちは今、女の子を呼べる状態に無くて……」
「気にしなくていいわ。独身の、それも激務と噂のトレーナーの一人暮らしだもの。洗濯物が散らかってるとか、そんなところでしょう?…前回もそうだったしね」
「ホントごめん……」
彼女の言葉通り、今リビングは自分のパンツやら何やらが干してあったり畳みっぱなしだったり、出し忘れたゴミだったりで悲惨な事になっている。
なので、異性と言わず同性の友達すら入れられるか怪しい。
「けど、その割りには自室?のこの部屋は綺麗よね」
「あ、ああ、うん。そうだね。ここは書斎も兼ねてるから、いつでもキングのトレーニングに必要なモノを見つけられるように気を付けてるんだ」
「…そ。自分の事だけになるとダメなタイプなのね、あなたって」
「えっと……。はい………」
くすくすと、キングは口元に手を当てて微笑みながら正座で腰を下ろす。
「まぁでも、良いんじゃない?オンとオフを切り替えられてるって事なんだから」
「だと、いいね…」
その上フォローされて大人としての立つ瀬が全くなくなる。
おかしいな、これでも一応自立しているはずなんだけど……。
「……それで、本題ね」
ひとしきり微笑んだ後、キングはマイバッグから二本、五百ミリリットルくらいのお茶を取り出し、お互いの前に置く。
それから彼女は、初めに自分を叱った。
「あなたの独り言、申し訳ないけど聞かせてもらったわ。……どうするつもりかしら」
「……後悔してるんだ。君にはもっと相応しいトレーナーがいたんじゃないか、いるんじゃないかって」
「なら、やめるのかしら。今頃になって、尻尾を巻いて?」
怒りの込められた声で問われ、けれど直ぐに首を横に振る。
「それは嫌だ。君と歩み出したトレーナー人生だ。少なくとも、君が引退するまで意地でも離れるつもりはない」
「嫌とか、嫌じゃないとか、つもりがあるとか無いとかを聞いてるんじゃないわ。もっと現実的な、それでいて決定的な気持ちを聞きたいの」
そう、彼女は背筋を正しながらもう一度問う。
自分はそれをまるで審判のようだと感じた。
[間違えられない]。そんな問いだと。
だから少しだけ考えを纏める時間を設けた。
きっと一秒くらいだろうか。
……けど、そんな行為に意味は全くないとも解っている。
返答は一つだ。
「……キングヘイローのトレーナーを辞めない。その上で、君が一流を示せるように自分の全てを捧げる。可能性を手繰る為なら、今までの努力を無為にする事だって厭わない」
「私に反対されても?」
「君に憎まれたとしても」
「…そ」
現実的で決定的な答え。
自分の思うそれは、これ以外にあり得ない。
彼女は…キングヘイローは間違いなく一流だ。それは素質があるからじゃない。
彼女は、努力を厭わない。他者を認められる。それらを糧に出来る。
全くもって鑑のような人物だ。これが一流で無いと言うのなら、この世の一流の大半は二流に値すると断じられる。
「なら、その手始めはどうするのかしら」
自分の答えはきっとキングヘイローの中で受け入れるに足るモノだったんだろう。
彼女は少しだけ口調を落ち着かせて話を続けてくれる。
だから、より彼女に求めてもらえるように今決めている考えの全てを伝えた。
「…君の最も得意とするレースを主軸に今後の出走を決める」
「短距離とマイルって事よね?今までして来た中・長距離はどうするの?」
「現状考える気は無い。求められているモノが違うからトレーニングは初めからやり直しだ」
「……その負担は?周りからの嘲笑もきっとあるわよ?」
「自分にかかる負担なら問題無い。君をこれ以上泣かせる事の方が余程辛い。君にかかる負担は極力抑える。けど、恨まれる事になっても構わないよ。いつかの君に後悔が無ければそれでいい。そして嘲笑だけど……これは障害でも何でもない。君に笑ってもらう努力をしない理由になる日は来ない」
「…そう。私の一流の為に全てを捨てるのね」
「…そうだね。君はこの世代で…いや、この先でも、一流の一角を担うに足る存在だと、全員に理解させる。そのために出来得る全てを行う」
「……とても現実的とは思えないけど」
「あり得無いを塗り替えてこその一流だ。…それに、君は既に芝の短距離・マイル・中・長距離を走って、いずれでも入賞しているからね。並みでは無い事はもう示せているよ。後は、分かりやすくみんなに見せてやるだけだ」
「……そう」
全てを答え、全てに耳を傾けてくれたキングは正した背のまま下を向いた。
それから少しの間だけ、部屋には秒針の音だけが響いた。
「…………ありがとう」
幾度目かの針の音を消す声が室内にぽつりと現れる。
「カワカミさんやウララさん、それに取り巻…って言うのはもう失礼ね。あの二人とも話して来たの」
俯いたままの彼女は話を続ける。
自分はそれを、余計な口を挟む事無く聞き届けた。
「恥ずかしいから全部は言えないのだけどね。…『諦めない姿に憧れているんですの』とか『勝っても負けてもカッコいいよ』とか……『キングの走る姿で頑張ろうって思える』『諦めて欲しくない』とか、って。言ってもらえたの。こんな、意気込んでも負けるへっぽこを、最初に決めた事を諦めようとしてるおばかな私を、あの娘達は認めてくれていた。諦めないでって、憧れてるって、もっといろんな言葉を使って励ましてくれたの」
動いた彼女の右手が、俯いたままの顔に触れる。
「それなのにこんなところで……クラシックの三冠を一つも取れなかった事ぐらいで諦めていたら…一流なんて夢のまた夢よ」
上がった彼女の瞳が自分の視線とぶつかる。
……そこには確かに、確固たる覚悟が浮かんでいる。
「……ねぇ、
「君が決めた事なら構わないよ」
「…ふふっ、聞く前から受け入れるのね」
「自分のやる事は何も変わらないからね」
「…そ。やっぱり、あなたがトレーナーで良かったわ」
そう言ったキングヘイローは少しだけ笑顔を見せてから答える。
「………誰かの為じゃない、自分の為の一流を目指すわ」
彼女の決めたモノ。それは今まで以上の茨を歩く覚悟だった。
[一流]と言っても定義は幅広く、見方は際限がない。
けれど、これから彼女が目指すと決めたのは[自分が認める、自分の為の一流]だ。
それはつまり、彼女の性格を考えれば終わりは無いと言えた。
挫折すら許さないような、言葉以上に辛く苦しい目標は……けど。
「分かった」
彼女を支えると決めた自分が拒む理由は無い。
茨の道を往くのならとことんまで同じ傷を負う。
そうでなければ彼女に失礼だ。
「なら、新しく出来た君のその目標、最後まで自分にも手伝わせてほしい。もう、後悔はしないから」
自分の申し出にキングは一瞬呆気にとられた表情を見せる。
けど、直ぐに口元に手を当てて微笑み、頷いてくれた。
「えぇ、手伝う権利をあげるわ。一流のあなた以外、キングに付いて来れるトレーナーなんていないもの」
to be next story,
これであってるのか分からん。
追記・性別不詳にしようとしてたのに男と断定してしまっていたので修正(2025.7.7)