バビロンの蹄鉄   作:灯火011

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貯めたお金。

ただ持ってるだけじゃダメなんだと気づきました。

『金を働かせよ』

――ツムギ老人の言葉に従い、ステラのため、自分のための小さな投資を始めたんです。


第三話:黄金が働く声、小さな投資の始まり

 予算ノートをつけ始めて二ヶ月が過ぎた。収入の十分の一を貯蓄し、欲望を統制する生活にも、ようやく慣れてきた。

 最初は窮屈で息苦しかったが、無駄遣いが減り、何にいくら使っているのかを把握できるようになったことで、漠然としたお金の不安が和らいだ。そして何より、布袋の中の十分の一の金が、確実に、しかしゆっくりと増えていることが、アオイにとって大きな心の支えとなっていた。布袋は、以前よりも少しだけ厚みを増している。

 

 布袋を手に取り、中の硬貨や紙幣の感触を確かめる。これは、自分が汗水垂らして稼いだ金だ。そして、欲望という獣に打ち勝ち、我慢して貯めた、自分自身の金。この金は、誰にも奪われることのない、アオイ自身の力だ。

 

「このお金を、どうすればいいんだろう……」

 

 とはいえ、ただ貯めているだけでは、生活は楽にならない。ステラに必要なトレーニング機材を買えるわけでもない。この貯めた金を、どうにかして増やせないだろうか? 銀行に預けていても、利息は雀の涙だ。もっと、この金に働いてもらいたい。

 

 そんな疑問を抱えながら、アオイは再びツムギ老人の元を訪れた。老人はいつものように資料館の裏手で、静かにベンチに座っていた。手元には、あの古びた本が置かれている。アオイは、貯蓄が少しずつ増えてきたこと、そしてこの金をどうすれば良いのか分からないことを正直に話した。

 

 ツムギ老人は、アオイの話を穏やかに聞き終えると、静かに頷いた。その目は、アオイの成長を見守るような温かさを含んでいた。

 

「うむ。お前さんは、富を得るための第一の知恵と第二の知恵を実践した。収入の一部を貯め、欲望を統制した。それは素晴らしいことだ。多くの人間が、この最初の二つの壁を越えられずに、貧乏の泥沼に留まる。だが、お前さんはそれを乗り越えた」

 

 老人は続けた。

 

「だが、お前さんの言う通り、ただ貯めているだけでは、金は増えぬ。金は、お前さんの命令に従う奴隷だ。その奴隷に、働けと命令せねばならぬ。眠っている奴隷は、何も生み出さぬ」

 

「金に、働けと命令する……?」

 

 アオイは、老人の言葉の意味を理解しようとした。

 

「そうだ。それが、バビロンの第三の知恵、『貯めた金を働かせよ』だ」

 

 老人は、アオイに問いかけた。

 

「お前さんは、自分の代わりに働いてくれる奴隷が欲しいか? お前さんが寝ている間も、遊んでいる間も、文句一つ言わずに働き続け、お前さんのために新たな金を生み出してくれる、忠実な奴隷が」

 

「欲しいです! もしそんな奴隷がいるなら、ぜひ欲しいです! そんな存在がいるなんて、想像もできませんでした!」

 

 アオイは食い気味に答えた。自分の代わりに働いてくれる存在がいれば、どれだけ助かるだろうか。自分の労働だけでは限界があることを、アオイは痛感していた。

 

「その奴隷こそが、お前さんの貯めた金だ。金は、所有者の命令に忠実に働く。寝ている間も、遊んでいる間も、お前さんのために働いて、新たな金を生み出してくれる。そうして生まれた金もまた、お前さんの奴隷となり、さらに新たな金を生み出す。これを繰り返せば、お前さんの富は雪だるま式に増えていく。それは、まるで小さな種子が、やがて大きな木となり、たくさんの実をつけるようなものだ」

 

 アオイは老人の言葉に、目を見開いた。金が、自分のために働いてくれる? 寝ている間にも? そんなことが、本当に可能なのだろうか。それは、まるで魔法のように聞こえた。

 

「しかし、どうすれば金が働いてくれるんですか? 株とか、投資とか、そういうことですか?」

 

「ほう、お前さんも少しは知っているようだな。そうだ。金を働かせるというのは、金を『投資』するということだ。だが、バビロンの時代に株はなかった。彼らは、信頼できる商人に金を貸し付け、その利益の一部を受け取った。あるいは、自身の事業に投資し、それを拡大することで富を増やした。要は、お前さんの金が、新たな金を生み出すような仕組みを作るということだ」

 

 ツムギ老人は、ウマ娘がいる、この現在の世界における「投資」について語り始めた。

 

「この学園におけるお前さんの仕事は、ウマ娘を育成し、レースで勝つことだ。ならば、お前さんの金が最もよく働き、大きな利益を生み出す可能性を秘めている場所は、どこだろうか?」

 

 アオイは考えた。自分の仕事に関わること。ウマ娘の育成。レースでの勝利。もっといえば、そのために自分の知識やスキルを向上させることだろう。

 

「……ウマ娘のトレーニングですか? あるいは、自分自身のスキルアップ?」

 

「うむ、正解だ。お前さんの貯めた金を、担当ウマ娘の育成のために使う。それは、お前さんの金が、将来の大きな利益、たとえばそれはレースの賞金や、ウマ娘の価値向上による広告の収入……などを生み出すために働く、最も確実で、お前さんにとって最も理解しやすい方法の一つだ。そして、お前さん自身の知識やスキルへの投資もまた、お前さんの稼ぐ能力を高め、より多くの金を生み出すための素晴らしい投資だ」

 

 老人は続けた。

 

「ただし、闇雲に使ってはならぬ。無駄な投資は、金を失うだけだ。それは、せっかく手に入れた奴隷を、無駄死にさせるようなものだ。お前さんが投資する相手は、信頼できる者であるべきだ。そして、お前さん自身が、その投資について十分に理解しているべきだ。理解できないものに投資するのは、目隠しをして崖を歩くような無謀なものだ」

 

 アオイは、自分の貯めた金を、ステラの育成のために使うことを考えた。これまで、お金がないからと諦めていたことがたくさんある。ステラのスタート改善に必要な特殊なマーカー。他のウマ娘のためのトレーニング補助具といったものだ。それを老人に話してみると、老人はそうだと頷いた。

 

「例えば、ステラのスタート改善に必要な、あの特殊なマーカー。あれは、お前さんの金を投資する価値があるかもしれぬな。あるいは、お前さん自身が、ウマ娘のトレーニング理論について学ぶための書籍やセミナー。それも、お前さんの稼ぐ能力を高めるための、素晴らしい投資だ。それは、お前さんの金がお前さんの頭の中で働き、新たな知恵を生み出すようなものだ」

 

 ツムギ老人の言葉を聞いて、アオイの頭の中で霧が晴れるような感覚がした。ただ貯めるだけではダメだ。貯めた金を、将来の自分やウマ娘のために、賢く使うこと。それが「投資」なのだ。それは、単なる支出ではなく、未来への種まきなのだ。

 

「ただし、忘れてはならぬ。投資には必ずリスクが伴う。全ての金を一度に一つの場所に投資してはならぬ。()()()()()()()()()()()、という古い諺があるだろう。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。甘い言葉で近づいてくる者には、特に注意が必要だ」

 

 老人は念を押した。その言葉には、長年の経験に裏打ちされた重みがあった。

 

 アオイは、布袋の中の金を見つめた。まだ大した額ではない。しかし、この金が、自分の代わりに働いてくれる。そう考えると、布袋の中の金が、まるで小さな黄金の粒のように、輝いて見えた。この金が、自分の夢を叶えるための、最初の労働者なのだ。

 

 その日、アオイは学園の購買部へ向かった。これまで高くて手が出せなかった、ステラのスタート練習に役立つと言われる、一般的には安価だが効果が期待できるトレーニング補助具を購入した。それは、ウマ娘の反応速度を視覚的に刺激する、シンプルな仕組みのマーカーだった。そして、ウマ娘のスタート理論に関する専門書も一冊買った。それは、図解が多く、初心者にも分かりやすいように書かれているものを選んだ。

 

 布袋から出した金は、すぐにアオイの手元から離れていった。少し寂しい気もしたが、これは失ったのではない。自分の代わりに働いてくれる奴隷を、仕事場に送り出したのだ。この金が、やがて新たな金を生み出し、アオイの元へ戻ってくるだろう。

 

 翌日、アオイは購入したトレーニング補助具を使い、ステラとスタート練習を行った。手作りのマーカーよりも、視覚的な効果が高いのか、ステラの集中力が増しているように見える。専門書で学んだ知識を活かし、スタート時の姿勢や重心移動について、ステラに的確なアドバイスを送ることができた。アオイ自身も、新しい知識を得たことで、ステラへの指導に自信を持てるようになった。

 

「トレーナー、今日の練習、なんかいつもと違うね。やりやすいかも。特に、あの新しいマーカー、なんか集中できるっていうか……」

 

 ステラが、珍しく素直な感想を口にした。彼女の表情には、確かな手応えが宿っていた。アオイの顔に、思わず笑みがこぼれた。

 

 小さな一歩だ。すぐに劇的な変化があるわけではない。GⅠレースで勝てるようになるわけでもない。しかし、アオイは確信していた。自分の金が、確かに働き始めたのだと。そして、その働きが、いつか大きな実を結び、ステラの、そして自分自身の夢を叶える日が来るだろうと。

 

 布袋の中の金は減ったが、アオイの心は満たされていた。それは、お金に対する新しい視点を得たこと、そして未来への希望を感じ始めたからだ。貧乏トレーナーの黄金の道は、小さな投資と共に、確かに続いていた。それは、単なる金儲けの道ではなく、自分自身を成長させるための道でもあった。

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