暁の黄泉鴉 作:マサイのゴリラ
「ぐぅッ……ぬぅあああああッ!!」
これは
蚩尤は肉体を貫き、削り取る豪雨に耐えながら、曲剣を構え──振るった。
放ったのはたった一振り。だというのに、蚩尤から放射状に数千という斬撃が放たれ、豪雨を完全に吹き飛ばしてしまった。
「この我に……膝をつかせるとはっ!」
「さすがは神だ。だが──」
「…………!?」
蚩尤の斬撃は一時的に雨を晴らしたに過ぎない。
空模様は未だに曇天であり、地上に向けて咲きつつある
すぐに豪雨が降り始め、蚩尤を地面に這いつくばらせ、血を噴き上げさせる。
「ぐうああああああッ……!!」
「
斬撃の嵐に巻き込まれた瑞子は、再生しながら呟く。
蚩尤はなんとか粘液を操り、盾や鎧を幾重にも重ねて防御しようとする。だが雨の威力は強まるばかりで、彼のガードの上から傷を負わせ続けていた。
「〜〜〜〜ッ!!
豪雨に打たれ、地面に伏せる蚩尤。
声を振り絞り、中国語で瑞子を罵倒する。
「
「!?
「
余裕を失い、自国語が飛び出す蚩尤に対して瑞子も中国語で対応する。
彼もまた、大陸──中国出身の妖怪である。
それも千年以上前のことであり、やや古い喋り方をする蚩尤にはたまたま会話を成立させることができていた。
言語の違いよりも、雨の轟音によって会話が難しくなっている両者。
瑞子は雨を少しだけ弱まらせ、敵の様子を見る。
「ぐうっ……ぐ、ああッ! 水の戦士……否! 水の
「させてみろよ」
雨に打たれながら、なんとか立ち上がる蚩尤。
いくら三メートルを超える体躯を誇る彼であっても、雨の中、回復しながらたたずむ瑞子には見下ろされており。
それがまた、蚩尤の中に屈辱を生んだ。
「んんんぬぅぅぅぅ!!」
「!」
蚩尤はフラつきながら、曲剣を遠投しようという体勢をとる。
すると剣が流動し、細く長く変形していく。曲剣が、槍となった。
「くらえィッ!!」
「絞り出したのがその攻撃かよ」
瑞子は呆れつつ、手の中に水鉄砲を生成する。
物理攻撃は液体となれる瑞子には決して効かない。
蚩尤は明確に怒りに任せて行動しており、無数の"口"を生成する"
瑞子はおもむろに銃口を蚩尤に向け、砕かれた
「んガアアアアッ」
「……死ね」
瑞子は引き金を引く。
高圧水流が放たれ、蚩尤の頭部を──
「!? なにっ」
蚩尤は槍を投げつけると見せかけ、手放すことなく腕を振り下ろす。
瑞子の放った水流は槍の柄によって弾かれ、狙った兜の隙間に当たることはなかった。
なぜ蚩尤は槍を投げなかったのか。
その理由が明かされるよりも先に、瑞子の目に不可解な光景が飛び込んだ。
「ンガッ……グブアアッ」
「っ……!? 自分の腕を……」
(噛みやがった…………!?)
蚩尤は槍を握りしめた右腕に、自ら喰らいついていた。
血が流れるほどの顎の力で上腕を噛んでおり、食いちぎろうと何度も噛み直している。
「ガッ……ぬあああっ、
『ウッヒャッヒャッヒャッ! 私の肉体ですよぉぉお! どう扱おうと私の勝手ですしぃ、放っていれば貴方、瑞子さんに殺されていたのですよ』
「……饕餮?」
蚩尤は頭を押さえ、虚空へ叫ぶ。
すると、今度は打って変わって元の人格である饕餮の
瑞子も突然のことで混乱しかけるが、すぐに饕餮と蚩尤が、一つの肉体を奪い合っているということを理解した。
雨を止め、様子見することを選ぶ。
「まさか……仲間割れか? 一つの体を取り合ってんのか」
「饕餮! 貴様では
『貴方、さんざんやられていたでしょう。それに貴方を殺されれば、瑞子さんは"大妖魔"に覚醒してしまいます。ならば──』
『私に喰われるのが吉というもの!』
「!?」
饕餮はそう言い放つ。
「まさか……神である我を……!?」
『瑞子さんに殺されるぐらいなら……私が貴方を貪り、私が"大妖魔"になりましょう! さあ、我が神よ、貴方の力をよこしなさい!』
「くあッ……ぬううっ!」
『喰わせなさいッ、それが
体の半分以上の主導権を取り戻した饕餮は、まだ蚩尤として変化している肉体に噛み付く。
自分に力を与えたのなら、自分を"器"に選んだのなら。
自分のために全てを投げ打つことこそ、幸福である。饕餮の核たる認識は、しかし彼以外にはひどく歪んで見えていた。蚩尤からも。
その渇きだけが、饕餮の王への道だった。
「くッ……やむを得ぬッ──」
『ハッ、待ちなさい! 逃げるのですかッ、待ちなさいッ! 蚩尤ォォッ!』
蚩尤はこれ以上喰らわれるまいと、顕現を解除、消失する。
巨大化した肉体は、風船から空気が抜けるように急速に縮小。元の饕餮の姿に戻ってしまった。
その場に倒れ込む饕餮は、ギリギリと
「くぅぅぅぅ! まさか逃げるとはぁッ!!」
「……フン、俺の近くには
「……! 神を、喰らう? まさか瑞子さん、かの大妖魔"神喰らい"をご存知で?」
「──腐れ縁だ」
瑞子は冷たくあしらおうとする。
「ウフ、フフフフ……そうですかぁ。ならば、やはり貴方のことは喰らわねばならないかもしれませんねぇ……」
「なに?」
「私も神を喰らうことが目標の一つでしたが……玉藻さんが数十年前に行ったという、"神狩り"。それによって、日本から数多の神が失われたと聞いています。ならば私が喰らうべき神は?」
「まさか……てめェ、大妖魔を狙うつもりか」
「はぁい! 神を殺せし、伝説の
大妖魔。神を殺し、妖怪からも神からも恐れられる伝説の妖怪たちの総称である。
『四大財閥』の玉藻草司。
茨木童子が復活させようとする、酒呑童子。
そしてもう一体……
饕餮はそれらを喰らおうと言う。
「"神喰らい"も、食おうってのか」
「もちろんです。神を喰らった者を喰らう……それもまた、得がたいことでしょうからねぇぇ……」
饕餮は不気味に笑った。
瑞子は追想する。
かつて、それが神を喰らう前に相対した"神喰らい"。その時──千年前の、ほんの数分の記憶を。
『ハァっ……ハァっ……ハァっ……! クソッ、やってくれたなッ!』
岩の上で大の字になり、肩で息をする瑞子。
彼の右頬から首にかけて、大きく抉られた傷が負わされており大量の血が流れている。
血が止まらないその傷を手で押さえながら、瑞子は
『………………』
『いきなり襲いかかってきやがって……危ねェな……! てめェ何者だ!?』
『……名、ヲ……聞イテ、イルノカ…………』
地を這う者は、絞り出すように口にする。
おぼつかない日本語は、つい最近喋ることができるようになったことを表していた。
『……名ハ、ナイ』
『あ? ねェのか、名前……。そんだけ強くてかよ? ありえねェ』
『……』
瑞子は鼻で笑いながらそう言った。
彼が半ば馬鹿にしているのは、妖怪たちの価値観に起因する。
妖怪は力と名前が特に重視され、より広く、より恐ろしく力と名前を誇示できる者が優れているとされる。
力があっても名前が無ければ、何の意味も無いのである。
瑞子は上体を起こし、その者に投げかける。
『おい、俺の勝ちだよな』
『…………?』
『良かったな……俺はよ、ぶっちゃけ人間以外には大した興味はねェ。お前に殺されかけたことも、水に流してやる。その代わり──』
『てめェに俺が、名前をやるよ』
瑞子は提案する。
『これから俺の名前を名乗り続けるんだな。それだけで許してやる、俺にいきなり喧嘩をふっかけた罰だ』
『…………』
『……何とか言えよ』
『……イイダロウ……』
『ハッ、決まりだな!』
瑞子は岩から飛び降り、その者の前に立つ。
大量の出血を絶え、冷や汗を流しながらも痩せ我慢をし。余裕を崩さず、言ってのける。
『俺の名は
「──あいつだけは、やめておけ」
「……はぁ〜〜〜〜?」
瑞子が饕餮に向けて投げかけたのは、"神喰らい"には手を出すなという、最上級の強者を庇う言葉であった。
「あいつには手を出すな」
「んん〜〜? それほど仲の良い間柄なのですかぁぁ? 意外ですねぇ、狂犬のような貴方にそんなお相手がいるだなんて」
「うるせェよ」
饕餮は瑞子を小馬鹿にする。
「ウフフ……まあ、いいでしょう。どのみち、大妖魔を喰らうには貴方をどうにかしなくては。もう何度目かわかりませんが、いい加減終わらせましょうか」
「ああ……。終わらせようぜ」
瑞子の返答とともに、二人の頭上の曇天がゴロゴロと音を鳴らす。
蚩尤を封じた豪雨を、饕餮にも浴びせようというのだ。
妖力を大量に使ったとはいえ、疲労を悟らせない瑞子。それに対し、饕餮は見えている素肌からおびただしい量の血を流す。
睨み合う二人。緊張感はマックスに。
静寂を先に破ったのは──
「"暗澹坩堝《アンタンガングォ》"!!」
底をつきかけている妖力、その全てを動員し、饕餮が動いた。
目も口も巨大な空洞と化した彼自身の像が、瑞子を呑み込み虚無へ還さんと迫った。
食らえば終わりの消滅の攻撃を前に、瑞子は平静を崩さない。
静かに妖力を空へ放ち、天で花開いている蓮から、一滴の水が地上へ落ちる。
「"
饕餮の巨大なビジョンが瑞子を包むよりも速く、水滴は地面に着弾。
水面に落ちたかのような波動を起こすと、たちまち二人の周囲は湖に変化。渦巻くように現れた湖から、激流が飛び上がり、饕餮のビジョンの胴体を砕き割ってしまう。
「なっ!?」
驚く饕餮に、激流は間髪入れずに迫る。
龍でも、蛇でもない。
長く、大きく、それでいて二つの目を持つ
「うぅぅぎゃあああああああああ!!?」
激流のとぐろ。
その中に饕餮を閉じ込め、締め上げ──
眼球が飛び出し、歯が砕けていき、饕餮の体は押しつぶされて。
激流のそれは、更に上空からとぐろの中にいる饕餮の頭めがけて落下する。
下方向以外から彼を完全に潰して、決着。
「……やっと、終わりか」
瑞子はまとっていた水の装束をようやく解除し、息をつくのだった。