暁の黄泉鴉 作:マサイのゴリラ
「一対一なら、俺が負けるな」
茨木童子は堂々と言い放つ。
「……。お前は、鬼童丸より強いんだよな?」
「ああ。
紛い物。
鬼童丸に伝説の鬼の血が流れているといえど、全く別物の血が混ざり、半々になっているのなら純血には及ばない。
茨木童子の主張は当然のことだった。
「勝つ算段はあるんだな?」
「えらく弱腰じゃないか、鴉。お前らしくない。月兎を殺すのにあれだけ復讐心を燃やしていた者とは思えんな」
「……前に手も足も出ないほどやられてるこっちの身にもなれ。弱腰なんじゃない、勝算を聞いてる」
「……勝算か。五分と五分といったところだろうな。なにぶん、戦う場所が悪い。かといって、外に出れば尚更やりづらくなる」
茨木童子は地下神殿の天井に目をやる。
鴉と瑞子が以前戦った痕跡は残っており、修復作業は鬼童丸が乱入してきた天井の大穴が塞がれている程度で済んでいた。
地下神殿が瑞子のホームグラウンドであることは言うまでもない。
茨木童子が案じているのは、その
(なんとか
茨木童子はまた目線を鴉に戻す。
「──鴉、さっきも言ったように『四凶』との戦いで瑞子もタダでは済んでない。回復の時間が必要なのはやつも同じ。補給を済ませて、時を待て」
「言われずともだ」
鴉は茨木童子に
(瑞子……。前の借りを返させてもらうぞ。今の俺は、あの時よりもずっと強い……!)
鴉はそれを踏まえ、「今の自分は前と違う」と心の中で
しかし一方で、彼はその力を完全に制御できているわけではない。
鴉は自信を持っている部分もあるが、その実態は不安定で不確定要素に満ちていた。
───────────
午後三時半、
白い作務衣に身を包んだ壮年の男が、開店のため準備を始めていた。
仕入れた魚をまな板に置き、包丁を身に入れて滑らせていく。
滑らかで慣れた手つきにより、魚の解体は美しく、滞りなく行われていった。
──バンバン!
「……? 客か? 開店時間はまだまだ先だが……」
店の戸がいきなり叩かれる。
内装は木造で和風であるも、モダンな雰囲気をかもし出しているのに対して外装はとても
戸も古めかしい木の板そのものであり、軽く叩かれるだけで枠と戸がガタガタと音を立てた。
「はい、まだ店はやって──」
「よう、大将。邪魔するぜ」
「……!? み、瑞子社長!?」
大将が戸を開ければ、そこにはスーツを着崩した瑞子が。
ハーフバックの髪型も崩れかけであり、大将の目には瑞子が急いでここに来たか、かなり疲弊しているように映った。
「な、何用で……!? すみません、まだお食事を用意できる準備が整っておらず……」
「いい、食べに来たんじゃねェよ」
大将は瑞子の姿から尋常ではない事情を察しながらも、店内へ招き入れる。
カウンターの椅子を引き、白湯を出して今できるせいいっぱいのもてなしをしようとした。
瑞子はカウンターに座ると、「うっとうしいから動き回るな」と慌てる大将を呼び止めた。
「お前に、渡したい物があってな」
「渡したい、ものですか? 私に?」
「ああ。……今から、だいたい五時間後。午後八時に、俺はこの
「……!」
瑞子の言葉に、大将は目を見開く。
そして驚いた表情から、徐々に表情が曇っていった。
「……そうですか。ついに、人間への憎悪は……消えなかったのですね」
「……」
「私も詳しくは知りませんが、東饗の惨状から、『四大財閥』の均衡が崩れたことはわかりました。私は力の弱い妖ですから、ここを離れた方が、良さそうですね……」
「そうだな」
瑞子はそう言うと
そこから取り出したのは一つの封筒。
一センチほどの厚みのそれをカウンターに放り投げ、大将に顎で「やるよ」と示した。
「これは?」
「なんとなくわかんだろ。金だ」
「金、ですか?」
封筒を手に取った大将は、その中身を確認する。
「百万円……それと、これは──」
「通帳だ。うちの会社……のじゃあねェが、まあ俺個人のやつだ。印鑑も入れてあンだろ?」
「え、ええ……。しかし、いいんですか? こんなもの……」
「構わねェよ。俺はもう、人間社会で生きることはねェ。金なんぞ要らん」
瑞子は背もたれに体を預け、伸びをする。
彼の声色は落ち着いたトーンながら、肩の荷が降りたような解放感を孕んでいた。
大将は感じる。「この方は、喜んでいるのだ」と。
「……人間社会で生きはしない、と。そんな悲しいこと、言わないでくださいよ。なんだかんだ楽しんでいたではありませんか」
「ガマもいたしな。楽しかったのは、そうだが。あいつももういない」
「えっ」
「『四凶』の
「そんな……
妖怪であろうとも、知り合いの死には動揺する。
瑞子とともに、よくこの店を訪れていたガマは人当たりも良く瑞子とも軽口を叩き合い、大将も来店を楽しみにしている者の一人だった。
何よりショックなのは、彼を部下としていた瑞子であるが。大将も、その喪失の悲しみに駆られる。
「その金持って、田舎にでも行け。別にどこの街でもいいが、とにかくこの東饗23区の外だ」
「沈めるのは、23区だけなのですか」
「……お前みたいな知り合いが、もう何人かいるもんでな。あいつらを巻き込まないためにも、範囲は絞る」
「……。相変わらず、お優しい」
「ああ?」
「フフ……照れ隠しをしても無駄ですよ。だから私はあなたを尊敬しているんです」
しばらくの別れと知り、大将は瑞子をからかう。
瑞子はギロッと彼を睨みつけるも、妖力を昂らせるようなことはなく。
むず痒さを紛らわすため、やや語気を強くするのみ。
「うるせェ! とっとと店たたんで出てけ!」
「しかし、皆さんもそうだと思いますよ。強く、慈愛に満ちたあなただからこそ……我々は慕うんです」
「……そろそろ黙れよ。殴るぞ」
「わかりました、わかりましたよ。では、荷物をまとめるとしましょうか」
そう言いながら大将はエプロンを外す。
包丁を洗い、水気をよく拭き取り。刃に傷が一つも付かないようら布に丁寧に包んでいく。
そんな様子を、瑞子はカウンターから黙って眺めていた。
(……ガマは、死んだ。もう黄泉も、簡単に出て来れるようなとこじゃなくなった。もうあいつとは飯は食えねェわけだ……)
大蝦蟇と軽口を叩き合いながら、その場所で寿司を食べたことを思い出す。
黄泉から出てこれたのは、黄泉の神の気まぐれにすぎない。
饕餮の最期のように、これからの脱走者はあのように捕まえられて連れ戻されてしまう。
自身が肉薄した存在が、あれほど呆気なく捕縛される。
その事実が、瑞子の身震いを止まらなくさせていた。
「大将」
「はい、どうしました?」
「また寿司屋、開けよ」
「もちろんですよ。腕前がもったいないですからね」
その返答を聞き、瑞子は小さく笑う。
「……そうだな。今度は、二人で来るぜ」
「はいはい。予約ですね。二人で来るほどのお知り合いとなると……大蝦蟇さんほどの間柄ですか?」
「いいや……一回会っただけの顔見知りだ。仲が良いのかも、正直わからん」
「? はあ、そうですか」
瑞子が言っているのは、地上に
大妖魔、"神喰らい"である。
現在どこにいるのか、そもそも蘇っているのかすら不明。
それでも彼が今一番会いたいと思っているのは、千年前に与えた、名前の縁だった。
「……あんな
「……どなたのことかはわかりませんが、お会いできるといいですね。……そうだ、私からも一つ、約束をさせてください」
「約束?」
「ええ。あなたの悲願ですよ」
大将は動きを止め、瑞子の前にまっすぐ立つ。
「必ず、幸せになってください。ご令室様の分まで」
「……」
瑞子は静かに聞き入れる。
落ち着きつつも厳しさもある顔つきをしており、うなずくこともなく。
しかし、その目には厳かに燃える意思があった。