暁の黄泉鴉   作:マサイのゴリラ

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118.悟りの境地

 

「"無縫水帷子(むほうみなかたびら)"」

 

 亀裂の入った壁からは今なお大量の水があふれ、地下神殿に流れ込む。

 そんな中、瑞子は解放した妖力を練り上げ、周囲の水を巻き込んで自身に収束させていった。

 激流の装束は水を吸い、その(そで)(すそ)が巨大なベールのように広がり。 

 肩には、水の羽衣(はごろも)が形成された。

 

「……この地下神殿も、そろそろ限界だ。()()()が来たら、決着は強制」

 

 瑞子は地下神殿の天井を見つめながらそう口にする。

 天井に広がった亀裂は悲鳴を上げ、今にも崩落しそうになっていたのだ。

 天井が崩れたなら、地上を覆う洪水が地下に流れ込む。

 そうなれば、瑞子の勝利は決定する。

 

「だが、その前に……俺の手で──俺だけの力で、やつらを倒す……!」

 

 

 

「……瑞子のやつも、本当の意味で全力で来るようだな」

 

 離れた位置で、瑞子の変身を見届けた茨木童子が呟く。

 

「まだ、上があるのか……」

 

(おく)しているのか、鴉」

 

「勝ち筋を探ってるだけだ……。そう言うお前こそ、瑞子に対抗する術はまだあるのか!?」

 

「……」

 

 茨木童子は自身を包み込む鬼火の火力を上げる。

 鴉の問いには答えず、火だるまになるだけ。

 

「おいっ、いば──」

 

 鴉が言いかけたところで、鬼童丸も同じように"火焔光背(かえんこうはい)"を燃えたがらせる。

 

「はぁああああああああッ!」

 

 茨木童子は雄叫(おたけ)びを上げ、身にまとう鬼火を二十メートルの火柱となるまでに燃え上がらせた。

 鬼童丸も腰を落として、全身全霊で"火焔光背"を強化する。

 地下神殿の天井に達するほどの二つの火柱、そのうちの一つが、やがて焼失する。

 

「い、茨木童子……?」

 

「…………」

 

 鬼童丸は衣のようになった火を全身にまとい。

 茨木童子は燃やしていた鬼火を消し去り、ただ膨大な妖力を体の中に閉じ込めた。

 茨木童子の目つきはそれまでとは打って変わり、威圧的な(ひとみ)虹彩(こうさい)には、玉虫のような金と虹色のハイライトが鈍く輝いていた。

 

 

 ──"鬼炎(きえん)遊戯三昧(ゆげざんまい)"

 

 

 解き放った妖力は暴風として吹き荒れ、離れた位置にいる瑞子の体すらも打ちつけた。

 燃え盛る鬼童丸と、静寂の茨木童子。

 鴉はその二人の変化に──

 

「一体、何をする気だ……? 何が起こるんだ、これから……!」

 

 鬼たちの戦いに、固唾を飲んで緊張感を抱く。

 これに対して瑞子。

 彼は、水のベールの下で冷や汗を流していた。

 

「……その、力……は…………!?」

(冗談だろ!? この力の奔流(ほんりゅう)……この()()! まさか、到達しているのか……!? 鬼の身分で──)

 

 

 ──(さと)りの、境地に……!?

 

 

 仏教は『佛教』とも記される。

 佛という字には、「人であり、人を超えた、人ならざるもの」という意味があり、茨木童子からすればそれは"鬼"であり、そして主君・酒呑童子のことでもあった。

 悟りの境地、無我への到達。

 酒呑童子に少しでも近づけるならば、茨木童子はどんなことにも手を染められる。

 磨いた火を、手放すことでさえも。

 

「行くぞ」

 

「ッ!」

 

 茨木童子が口にするとともに、鬼童丸が水をものともせず瑞子へ疾走する。

 腰まで浸かった水の中を、軽々と。

 猛火により沸騰、蒸発させながら瑞子の目の前に迫った。

 

「くっ!」

 

 飛びかかりながら放たれた鬼童丸の拳。

 瑞子は水のベールをもたげ、それを盾として防御に使う。

 薄く柔らかいベールであるが、実際には同じ厚さの鉄の十数倍の硬さをほこる。

 尚且つ水であるため、鬼童丸の燃える拳をガードするのは容易であった。

 

「フッ──」

 

「!? ごはッ!?」

 

 鬼童丸に反撃しようとする瑞子。

 突如、その頭上に影が落ちる。

 と同時に、瑞子の側頭に強い衝撃が走り、吹き飛ばされた。

 

「なっ、なん──」

 

 水を切りながら吹き飛ぶ瑞子は、顔を上げて何の攻撃をもらったのかを確認しようとする。

 彼がつい先ほどまでいた場所には、鬼童丸しか立っていない。

 頭に疑問符が浮かぶが、それを消し去るように再び体に衝撃が走る。

 

「ぐはァッ!?」

(何だ!? まさか、茨木童子が……!?)

 

 背中に強烈な痛みと衝撃が走り、瑞子の体が空中へ打ち上げられてしまう。

 鬼童丸は炎の燃え上がらせ、追撃を狙って水中から飛び上がった。

 そして瑞子を見下ろすように、茨木童子が出現する。

 まるで"転移"。しかし、彼にそんな能力はない。

 ただ、音速の弾丸を操る瑞子ですら追えないほどの高速で動いているだけである。

 

「くぅッ!!」

 

 炎をまとう、動と力の鬼童丸。

 火を消した、静と速さの茨木童子。

 鬼童丸が瑞子の意識を引きつけ、茨木童子がその隙をつく。

 その作戦は、瑞子は理解した。

 しかし理解しただけで完璧に対応できるほど、二人のコンビネーションは粗末ではない。

 

 

 鬼童丸の剛拳と瑞子のベールと拳が入り混じる格闘戦が、空中で繰り広げられる。

 瑞子のベールは振り乱れるたびに高圧水流のカッターとなり、斬撃を振りまいた。

 加えて、これは手足よりも自在に動かすことができ、鬼童丸の体に巻き付けて彼を投げ飛ばすことも可能だった。

 

 

 鬼と水虎の殴り合い。

 本来拮抗(きっこう)するはずもないこの戦いだが、鬼童丸はむしろ押されており。

 それを察した茨木童子は、すぐさま瑞子に刹那(せつな)の一撃を浴びせて選手交代を図る。

 水面を蹴り、水中に自身と瑞子を入れないように空中に彼を縛りつけ、茨木童子は全方位から乱打を打ち込んだ。

 

「うぐッ、クソ──!」

(鬼童丸だけならどうにかなるが、茨木童子が速すぎるッ! やつを捕まえねェと反撃ができねェ!)

 

 瑞子は茨木童子の連撃を浴びながら、ベールを操作する。

 広大な水の袖を広げて、その中に茨木童子を捕らえんとした。

 袖を閉じる直前まで茨木童子の姿はそこにあり、瑞子は捕縛の成功を確信する。

 

「──ハッ、どうだ!」

 

「遅い」

 

「なッ──ぐはッ!?」

 

 瑞子の側頭に再び蹴りが炸裂。

 コンクリートの巨柱に激突し、そこへ瞬時に鬼童丸が向かう。

 

「クソッ、たれがァァッ!!」

 

 瑞子はベールと水の帯で鬼童丸を縛り、捕獲する。

 そのまま締めつけて圧殺しようとする彼だったが、鬼童丸は火力を上げて水を蒸発させ、脱出されてしまう。

 コンクリート柱を粉砕させるパワーで剛拳を瑞子の顔面に叩き込み、鬼童丸は追撃として鬼火を放射した。

 

「グッ、あああっ──!!」

 

「いくぞ、倅殿(せがれどの)

 

「……!」

 

 鬼火で体を沸騰させられる瑞子は苦痛に満ちた声を上げる。

 茨木童子は好機と捉え、鬼童丸とともにラストスパートをかけた。

 

「ぐああああああッ!?」

 

 鬼童丸の重い拳を何度も打ち込まれ、茨木童子の速く鋭い攻撃をなす術なくもらい続け。

 瑞子の体力がいよいよ底をつき始める。

 鬼童丸が殴り落とし、水面スレスレに回った茨木童子がその瑞子を蹴り上げ、再び回り込んで肘打ちを胸に食らわせる。

 そして最後の一撃は、鬼童丸の放つ鬼火の嵐となった。

 

「うアッ────」

 

 爆炎に呑み込まれた瑞子は、断末魔を上げることすら許されず。

 茨木童子と鬼童丸は一番近いコンクリート柱に掴まり、その様子を見届けた。

 瑞子の完全なる死が確定しない限りは、水の中は彼の支配下であるから。

 

瑞子(やつ)の姿を見た瞬間、また鬼火を叩き込め。水中に逃すことは許さん」

 

「……」

 

 鬼童丸は力強く頷いた。

 炎はまだ空中に留まり、消えない。

 瑞子は落下するでもなく、未だに炎の中にいるのだ。

 

「!」

(妖力が──)

 

 茨木童子は察知する。

 炎の中で起こる、瑞子の妖力の急速な増幅を。

 

「ヤロカヤロカ、ヨコサバヨコセ。ヤロカヤロカ──」

 

「……呪文か」

 

 炎から聞こえる、瑞子の声。

 妖力を整え、強大な技を使用する前の準備として、知性ある妖怪は呪文を扱うことがある。

 人間からした、パフォーマンス・ルーティン。

 茨木童子は、瑞子が唱える言葉の羅列をそれであると推察する。

 

「──消えろ、"簸河大蛇(ひのかわおろち)"!」

 

 爆炎を引き裂き、茨木童子たちに向かって突進するのは激流の大蛇。

 鬼童丸はすぐさま妖力をたぎらせ、鬼火を炸裂させる。

 

 

 ──"鬼炎・燈明(とうみょう)"

 

 

 再び爆炎が放たれ、激流の大蛇と衝突する。

 しかし大蛇に相殺させることができず、爆炎は押し負けて霧散してしまった。

 だが、鬼童丸の狙いは相殺ではなかった。

 彼が行ったのは、()()()()()に過ぎない。

 

「瑞子、俺はお前の復讐心には理解を示しているつもりだ」

 

「……!?」

 

「だが、俺も負けられない。"鬼の世"の開闢を邪魔しようというのなら、容赦はしない!」

 

 茨木童子は瑞子の懐に入り込んでいた。

 一切気づかれることなく、茨木童子は左手の拳を握り。

 瑞子の胴体に、めり込ませた。

 

「ガッ、あッ──」

 

「そろそろ眠ってろ、家族の元でな」

 

 瑞子はベールの下で白目を剥く。

 彼の体から力が抜けるのを感じ取った茨木童子は、勝利を確信するのだった。

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