暁の黄泉鴉 作:マサイのゴリラ
「な、何だ今の悲鳴……」
散り散りになっていた警官たちが、祢々に殺された二人の悲鳴が聞こえてきたところへ近づいてくる。
祢々はニヤリと笑うと、咥えていた腕をペッと吐き出す。
そして羽を広げ、警官たちの前に躍り出た。
『ねぇぇーーっ、ねぇぇーーっ!」
「うわあああッ!?」
「な、何だぁっ」
「ヒィィッ」
ブブブブと羽音を響かせながら、警官たちを脅かすように飛び出た祢々。
それを目にした彼らは、口々に驚嘆や悲鳴を上げた。
「むっ、虫!? 何だよ、こいつ……!?」
「おいっ、アレっ……!!」
口から鳴き声を出す、人面の巨大な蟲。
それに驚くなというのは無理な話だ。
ほとんどの警官たちの視線が祢々に集まる中、そのうち一人が祢々の背後の地面を指差した。
真っ赤に染まり、肉片が散乱する地面を。
「「「うわああああああああッ!!」」」
『ねぇぇーーッ!!』
肉片の中には服の切れ端もあった。
それは警官の制服であり、祢々の血に汚れた口元とを見比べてその場に集まった警官全員が察した。
悲鳴を上げた警官は殺された。
殺されて、喰われたのだ。
この目の前の巨蟲に!
警官たちは祢々に背を向け、一斉に駆け出す。
まさに蜘蛛の子を散らすように、という様だった。
しかし祢々に彼らを逃すつもりは毛頭無く、ホバリングしている状態から急発進して警官たちを追いかける。
何人も何人も、悲鳴を上げる間もなく背中から真っ二つになっていく。
『ねぇえあッアッあっあっあっ!!』
大口を開いて声を上げる祢々。
それは狂気の笑い声であり、同時にかつての晩年の恨みを晴らす雄叫びでもあった。
「なっ、長濱さん! ばっ化け物がッ」
「んなもん見りゃあわかるッ! 何なんだあいつはっ」
警官たちが逃げ惑い、蟲の怪物に殺されていく。
それを遠目から見ていた長濱は、とにかく負傷者や近くにいる者から退避するように指示を出していた。
この付近の建物が崩落した原因がテロリストであった場合のため、一応武装隊の準備は済ませてある。
彼らにも連絡を寄越し、ただちにこの場に向かわせているが、彼らはあくまでも対人のプロだ。
化け物退治は専門外である。
「うわあああッ」
「ギャッ」
「たっ、助けてくれぇえええっ!!」
「くっ……クソっ……!」
歯を噛み締める長濱。
百人を超える警官がこの場に集められたが、もうその半分が殺されていた。
動きが素早い。
長濱の腰元には拳銃が収められているが、実戦における発砲経験は無いに等しい。
当てられる気がしなかった。
しかし、目の前で自分の部下、仲間たちが無惨に殺されていく様を見続けていられるほど肝の座った人間でもない。
今にも安全装置を外し、巨蟲に銃を向けて走り出したかった。
この惨状を止めたかった。
だが、何とか平静を保っていられているのは自分だけ。
自分が戦いに行けば。死にに行けば、それこそ全滅は免れない。
(化け物……虫の化け物……! まさかあれが……いや、あれこそが! 妖怪……!?)
加山の言っていた通りだ。
妖怪はいた。
人間に害をなす、人智を超えた怪物は。
粗方警官たちを斬り殺した祢々は、自身の鎌に付いた血を舐め取りながら数十メートル先に目をやる。
そこには何台ものパトカー、消防車、こちらは数台だが救急車が停められていた。
そしてその近くにはまだ多くの人間が。
「まだ楽しめる」。
そう考えた祢々は、妖力によって付近のガレキを再び粉々にしていき、空中へと巻き上げる。
「な、何だ……? 何をする気だ」
祢々の背後で、まるでベールのようにうねる粉塵。
長濱はその様を見て嫌な予感がしてならなかった。
祢々は生き残った警官や消防士たちを明らかに狙っている。
つまりあの行動は、攻撃の準備。
それでいてあの場から動かないということは……
「退避だッ、退避しろォォーーッ!! 遮蔽物の後ろに隠れるんだァーーッ」
根拠は勘だけ。
しかし長濱の危険信号は、構わず何かの後ろに隠れろと叫んでくる。
彼の叫びにより、近くにいた四十人近くの警官や消防士たちは悲鳴と共に急いでパトカーや消防車の後ろに隠れ始める。
救急車も後ろの扉を閉め、負傷者を守った。
その直後──
『ねぇええあああアアアァアァアァァアアッ!!!』
車体が揺れるほどの祢々の雄叫び。
そしてそれと同時に、舞い上がったコンクリートの粉塵や塊が一斉に彼らの元へと飛ばされた。
何十もの機関銃の一斉掃射を喰らっているかのように、爆音と共に車体が揺れ、穴が空き、削れていく。
窓ガラスは当然の如く割れ、たまに車体を貫通する弾があれば、後ろに隠れていた者の体を抉りとっていった。
「畜生……チクショオォォーーッ!!」
「うわああっ!!」
「ヒィィィィィッ……!」
「終わりだ……もう終わりなんだぁ!!」
触れる者を殺していく砂嵐の如く……
中には砲弾レベルの大きさの
隠れて何とかやり過ごそうとする警官たちも、地面に伏せて怯えるばかり。
ひたすらに天に祈る者、絶望する者、恐怖で歯をガチガチと鳴らす者。
長濱も絶叫していた。
彼ら人間の体感では、それは何時間にも感じられたことだろう。
しかし、祢々が実際に礫で彼らを襲ったのはものの十数秒程度だった。
礫の嵐が止んでみれば、その場にあった全ての車、その車体は見るも無惨な姿に。
何発も銃で撃たれた様を「蜂の巣」と言うが、まさにその言葉が似合う状態だ。
パトカーに至っては、礫の威力で穴が空くを通り越して完全に装甲が捲れ上がったり、紙屑のようにぐしゃぐしゃになっている。
完全にスクラップと化していた。
「うっ……く……! お前ら、無事か?」
「は、はい……。なんとか」
「あっ、ああ……」
長濱は同じパトカーに隠れていた二人に呼びかける。
二人とも無事だったが、一人は恐怖にやられてしまって返事もできない状態だった。
周りを見回せば、隠れていた車が悲惨なことになってはいても、その後ろにいた者たちの多くは無事な様子。
しかし脚を礫に撃ち抜かれ、ちぎれかけている者も見受けられた。
「な、長濱さん……武装隊の方は?」
「……駄目だ。今ので車内の無線は使い物にならなくなってやがる。だが、到着はもうすぐのはずだ」
彼らの一抹の希望。
パトカー内にのみその連絡手段があったが、今の祢々の攻撃で駄目になってしまった。
しかし武装隊はそう遠いところにいたわけではない。
むしろ後一秒で到着してもおかしくない。
『ねぇえええ……!』
「虫のクセに、笑ってやがる……」
「長濱さん、もしかして……あれ、加山さんが言っていた…………?」
「……かもな」
若い彼もそう思うらしい。
長濱もそれは同じだった。
いつもなら「くだらないこと言ってんじゃねえ」と言うところだが、状況が状況。
長濱自身も冷静になりたいがため、彼の言うことに頷いた。
祢々はニヤニヤしながら警官たちに近づいていく。
フワフワと移動しているが、羽は高速で動かされ、不快感を煽る音を周囲に撒き散らしている。
祢々からすれば先程の攻撃は遊びに過ぎなかった。
当たれば普通の人間は死ぬことは理解していたが、ふざけ混じりの脅し程度の使い方でしかなかったのだ。
本気で殺すというなら横殴りの礫の嵐ではなく、上空からガレキの豪雨として降らせていた。
嬲り殺しが趣味なのだ。
祢々の、その飼い主と同じく。
「おい、お前の相手は」
『ねッ────」
バキュゥゥゥン!!
背後から男の声。
反応して振り向こうとした瞬間、甲高い破裂音と共に祢々の羽に直径二センチほどの穴が空く。
『ねぇえあああッ!?』
「俺だぜ。よそ見してんじゃねえぞ」
振り向いた祢々の視界に入ったのは、ガレキで押し潰し殺したはずの男だった。
鴉だ。
左手に
さらに彼は間髪入れずにもう片方の羽も撃ち抜いてしまう。
両方の羽に穴を空けられ、ホバリングしていた祢々は大きく体勢を崩してフラついてしまう。
祢々の羽は普通の虫のそれとは違い、ずっと分厚い。
一センチ近くの厚さがある。
この羽を動かし続けるには相当のエネルギーと力が必要であり、そして穴を空けられてしまったことで、飛行には更なるそれらが要求されることになってしまった。
『ねぇッ、ねえええ!?』
フラフラと飛び、明らかに動きが鈍っている。
高さも明らかに落ちている。
祢々の目線は鴉の腹辺りになるほどだ。
動揺して、余裕だった表情が再び陰りを見せ、まずいまずいと慌てる妖蟲。
それを見下ろしながら、鴉は低い声で言った。
「覚悟しろ。お前を殺す」
鴉は右手に持つ刀を握り締め、振り上げた。