暁の黄泉鴉 作:マサイのゴリラ
「……負けた。
モニターを見上げながら、玉藻が呟く。
モニターの映像は祢々の視界を共有したものだったが、祢々が死んだ今、映っていたのは何も見えない砂嵐の画面だった。
『……祢々が死んだのか? 人間の手があったとはいえ、あの鴉……なんて奴だ……!』
今まで数多くの鴉を殺してきた祢々が、ついに鴉に討伐された。
大地や岩にまつわるものを自在に操る力と、飛行する妖怪の中でもずば抜けた飛行性能、そして刀剣の如き前脚の鎌。
それらの武器をもってしても、あの鴉には勝てなかったのだ。
瑞子も玉藻のように、鴉に関心を持たざるを得なかった。
『…………』
(……見事だ。トドメこそ人間たちが刺したが、時間の問題という段階まで追い詰めた……。文句の言いようの無い、鴉の勝利。
茨木童子は顔と言葉に出すことなく、鴉の戦いぶりと勝利を
スマホで鬼童丸に「何かあったら手を貸す」よう伝えていたが、彼の出る幕も無いまま戦いは終わった。
触覚や尾葉によって鴉の居場所を嗅ぎつけられる祢々は厄介な存在であり、鴉と手を組んだ鬼側としても生かしておけなかったが、そんな不安は解決されたのだった。
『……おい、玉藻?』
「…………」
瑞子が玉藻に声をかける。
玉藻は黙ったままモニターを見つめるばかりで、彼の言葉に返答することもなかった。
が……
「ふっ」
『あ?』
「クハハハハッ!」
『玉藻? どうし──』
「ウゥハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハアァーーッ!」
『っ……!?』
突如吹き出したかと思えば、玉藻は天を仰いで高らかに笑い声を響かせる。
その表情は何とも愉快そうで、積み木を組み上げ自分で破壊し、それを楽しむ幼児のように、ひどく楽しげであった。
瑞子は玉藻の豹変ぶりに思わず息を呑む。
「はぁ〜〜〜〜……いやはや楽しませてくれる。鴉……最高だよ、全く! まさか祢々を……!
笑いすぎて溢れた涙を指で
玉藻は祢々を何よりも可愛がっていた。
少なくとも、彼のことを知る茨木童子や瑞子はそう思っていた。
祢々の死に際には流石の玉藻も表情に陰りが出るものだと……
『壊れてやがる……』
瑞子はそう言わざるを得なかった。
月兎を除いて、彼ら四大財閥は妖怪の部下をある程度は抱えている。
同族である鬼たちと徒党を組み、一度も死んだことのない妖怪を捕らえて労働やある目的のために、死ぬまでこき使う茨木童子。
妖怪を洗脳して引き入れ、自分が楽しむための道具として浪費していく玉藻。
その二名に比べれば、瑞子は同胞には確かな情を抱いていた。
持つ力が、自分の天敵となり得る
茨木童子が玉藻に何を思うかはわからない。
だが瑞子からすれば、あの様はかの
「ハハハックククク…………」
(…………だが……途中で鴉が
笑いながらデスクに手を突き、カメラとスクリーンへ背中を向ける玉藻。
しかし彼の表情はとっくに落ち着き、真面目に思考を巡らせる。
一度祢々が鴉をガレキに生き埋めにした辺りで感じた、強大な異様な力の
それは鴉と祢々の戦闘が繰り広げられた地点ではなく、天から、玉藻を押し潰すかのようにして降り注いできた。
玉藻の中に生まれたのは、鴉への興味関心よりも強い、その謎の気配への探究心だった。
───────────
「負傷者を運べ! 手が余ったやつは遺体の回収だ! 働けェ!」
ガレキの上で
祢々が絶命した後、彼らは一時感傷に浸っていた。
だが、そもそも警官や消防士たちは救助のためにここへ集まった。
本来の仕事を遂行するため、殺された同僚たちをきちんと弔うためと、彼らは涙を拭って動き始めた。
「……」
応援のパトカーや救急車が到着し、人手がさらに増えていく。
その様を、鴉は黙って見届けていた。
(妖怪は、人の目に触れず生きていたわけじゃない。絶妙に、両者の領域が被っていなかった。その領域が稀に交差し、初めて存在を知られる。だが、この件でそれが崩れることになったか……)
隠れて生きていた妖怪もいただろう。
だが、全ての妖怪がそうだったわけではない。
人間の間で妖怪の存在が伝説的だったのは、操作されたかのように人間と絶妙な距離感と領域で存在していたからだ。
だがここまで公に妖怪の存在が人間に知られた例というのは、おそらく初めてであろう。
そうなれば、この金とネオンの輝く現代に激震を走らせることは想像に難くない。
ましてや、日本を現在支配している四大財閥は、妖怪が頭目なのだから。
「……コートはもう駄目だな。弾丸も、手榴弾も使っちまった。そろそろ
鴉のコートは祢々の攻撃を受けてボロボロ。
あちこちに穴が空き、汚れ、コートの
リボルバーの弾も連戦により消費。
次の戦いにこのまま挑めば、傷は治っていることだろうが、鴉の戦法が狭まり勝つことが難しくなる。
確実に。
「……加山に頼るか」
鴉はため息を吐く。
そして座っていた平たい大きなガレキの上に体を放り、瞼を閉じるのだった。
「……で、どうする? これ」
「どうするって、鑑識に……。いや、動物なら専門家呼ぶべきなのか……?」
「とりあえずバケモンの写真は撮っとくべきだ。俺のスマホはバッキバキになっちまったから、誰か頼む」
脚を曲げ、ひっくり返って死んでいる祢々の周りにはその対処に悩む警官たちが。
巨大な蟲の化け物。
しかもコンクリートを操り人間を何人も何人も殺したという、前代未聞の現象を引き起こした存在。
どう処理をしたらいいのかと頭を抱えるのも当然ではあった。
生物学者を呼ぶべきなのか。
それより先に鑑識を呼んで、"事件"として対処をしていくべきなのか。
それともゴミ収集車を呼んで捨てる……それに賛成する者はいなかったが。
「う……しかも、臭いも酷くなってきたぞ」
「とりあえず写真だけパパッと撮ろう。俺のでいいな?」
一人の警官が自前のスマホを手に尋ねる。
周りの四人の警官たちは「ああ」「やってくれ」と言い、鼻を摘んで臭いに耐えたり、耐えきれず彼に任せて離れていった。
「じゃ、撮るぞ」
警官はカメラ機能を使い、レンズに祢々の死骸を収める。
そして横向きにしたスマホの画面右端にある、丸いシャッターボタンに親指を伸ばした。
「っ…………!?」
「な、なんだ……?」
「じっ、地震か!? うわああっ!」
警官がシャッターを切ろうとした瞬間、突如として地面が揺れ始める。
しかも広い範囲で揺れているようで、遠くにいる他の警官や消防士たちからもどよめきが起こっている。
地響きが、去ったと思われた脅威として再び人間たちを恐怖させた。
「こ、今度は何だってんだ…………!?」
長濱も戸惑わずにはいられない。
蟲の化け物の次は何が出るのか。
そう思わずにはいられなかったのだ。
振動を感じ、鴉もまた閉じた瞼を開く。
そして跳ね起きると、鞘にしまっていた刀の柄に手をやっていた。
彼だけが感じていたものがあったのだ。
「……
ドバァァァァーーーーッ!!
「うわあああっ!」
「な、何だ!?」
ガレキとアスファルトを突き破り、地面から噴出したのは水の激流だった。
かなりの勢いで噴き上がっており、水の柱の高さは十数メートルに至っている。
最高地点まで昇った水は、小雨のようにして警官たちに降り注ぐ。
幸いにも人間が密集していない箇所に噴き出たために怪我人は出なかったが、突然の出来事に誰もが狼狽するしかなかった。
「み、水!? なんで地下から……」
「まさか……水道にもダメージがあったのか? 亀裂か何か入って、それが今頃地上に……」
「言ってる場合か! 揺れがどんどん強くなって──」
ドバァァァァーーーーッ!!
ドバァァァァーーーーッ!!
「うわあああああっ!?」
天へと昇る激流は一つだけでは済まなかった。
最初の噴水を皮切りに、地下から何本もの水柱が出現する。
時には誰かの足下から噴き出し、その者を何メートルも吹っ飛ばしてしまうほどだ。
長濱は消防士に怒鳴る。
「おいっ、二次被害は無いはずじゃなかったのか!!」
「たっ、確かに水道についても調べはしましたが……! しかし、仮に水道管に損傷があったとしても、普通ならこんな現象は考えられません!」
「なんだと……!?」
長濱の中で引っかかる。
先の蟲の化け物を見てからだろうか、彼は「普通なら」という言葉が妙に頭に残った。
まさか。
「まさか……
長濱は疑った。
また、今度は水を操る化け物が?
その考えは奇しくも当たっていた。
鴉は、何十も現れたその全ての水柱に感じていたのだ。
「こいつは、鬼童丸以上の……! 何者だ……!? まさか…………四大財閥の……」
鴉の頬を冷や汗が流れる。
鬼童丸の妖力は、それまで鴉が感じてきた中でも最大レベルの強さであった。
彼に並ぶ妖力の持ち主はそうそういない。
ましてや、それを超える妖力など滅多には。
この水柱を噴出させている者の正体こそ、四大財閥の一角なのではないか……?
鴉にはこの考えが浮かんでいた。
「まずいッ、まさかこいつの死骸を……!」
鴉は気づく。
祢々の死骸の周りにだけ、やけに水柱が多い。
まるで死骸を隠そうとしているかのように。
警官はその場から離れるのに精一杯。
水柱の主の目的には気がついていない。
「くそ!」
鴉は刀を手に、祢々の元へと駆け出す。
だが次の瞬間、死骸のあった地点に水が噴き上がり、祢々の体をバラバラに破壊してしまった。
そしてそれらは激流の中に消えてしまい、地面を流れる小さな小さな小川によっても流されてしまう。
水柱の主の目的は達成された。
祢々の体を一片残らず水が回収してしまうと、ピタリと水柱の噴出が止まる。
噴き出ていた穴の中に、小さく砕かれた祢々の黒い体の破片が流れていく。
「くっ……!」
鴉はしてやられたと悔しさを顔に滲ませる。
警官たちも、しばらくして祢々の死骸が消えたことに気づき何やらまた悲鳴を上げていた。
鴉と警官たちの戦いは、ようやく幕を閉じる。
鴉としてはいつもより激しかった戦闘ということで済んだものの、警官たちからすれば……歴史に残る大事件と呼ぶに相応しい、凄惨な事件であった。
その一部始終を遠目から見ていた者が一名。
数キロ離れた歌武伎町の建物、その屋上より、白いシャツをはだけさせた筋肉質な男が双眼鏡も使わず鴉たちの戦いを眺めていた。
茨木童子の指令を受けた、鬼童丸だった。
「フン……」
俺が出るまでもなかったな、と言いたげに彼は鼻を鳴らす。
水柱が全て消え去った後、鞘に収めた日本刀を肩に乗せ、拠点の帰路につくのだった。