暁の黄泉鴉   作:マサイのゴリラ

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20.帰宅

「はぁ……はぁ……。ふぅ……」

 

 建物の壁を伝いながら、鴉はある場所へ向かっていた。

 祢々(ねね)との戦いを終え、強大な妖力を放つ水柱をやり過ごし、高い回復能力によって傷は治ったとはいえ、彼の体力の消耗は激しい。

 動悸が続き、息も上がっており、視界も歪み……

 その状態で、彼は加山の元へ行こうとしていた。

 

(流石に……どこかで休むべきか……)

 

 ちょうど今いる場所は建物と建物の隙間の通路。

 日陰となっている静かな路地裏だ。

 この辺りでしばらく横になってもいいかもしれないと、鴉は考える。

 

 カビか苔か、暗緑色に汚れた段ボール箱の山が(そば)にある。

 鴉はそこに頭から倒れ込んだ。

 

「うっ……」

(酷い臭いだ……。だが、休めないわけじゃない。しばらく眠って……こう……)

 

 鴉は目を閉じる。

 そうすれば、一気に意識が遠のいていく感覚が。

 ものの数秒で完全に気絶することだろう。

 

 しかし、彼は実に運が悪い。

 ボロボロであるものの羽織り直したコートの中で、ブルブルと振動する物があった。

 せっかく眠りにつきかけていた鴉だったが、そのせいで意識を取り戻してしまう。

 

「…………?」

 

 鴉はコートの中に手をやり、内ポケットから振動の主を掴み、取り出す。

 スマホだ。茨木童子から貰ったものだ。

 画面には数字の羅列。鴉からすればそれが意味するものが何なのかはわからない。

 

 しかし、これ見よがしに「(さわ)れ」と画面の下の方に鎮座するボタンが映っているのが目に入ると、鴉は朦朧としながらもそこを触った。

 

『鴉、先の戦いは見事だったな』

 

「……茨木童子か」

 

『流石に堪えていると見た……。まさか祢々(ねね)を単身で殺せるとはな、思っていなかったぞ。(せがれ)殿を一応近くまで向かわせたが、その必要は無かったようだ』

 

 電話の主は茨木童子。

 祢々と鴉の戦いが終わり、玉藻たちとの観戦会もお開きになった。

 そしてさっそく鴉に声をかけてきたのだ。

 

「……見てたのか? どこから……」

 

『毎度のことだが、玉藻が俺たちに見せてくるのさ。別に見たくもないが……。だがお前に玉藻が絡んでいる以上、俺としては今回の戦いは見ておきたかったがな」

 

「……」

 

『ずいぶんお疲れだな』

 

「当然だろ……」

 

 茨木童子の顔は見えない。

 しかし疲れきって余裕の無い電話先の相手の様子を察してか、やけに機嫌が良さそうなのが鴉に伝わってくる。

 

『……ひとまず、祢々を殺せたのはお手柄だった。機動力、戦力共に高い(あやかし)だったからな。厄介な奴が消えて、俺たちも動きやすくなった』

 

「そうか……」

 

『こちらの方針は決まった。後はいつ実行するかだけだ。追々連絡を寄越す。それまでには回復しておけ』

 

「命令されずともする、それぐらい……」

 

 鴉は段ボールに埋もれながら仰向けになっている。

 スマホを指で摘んで顔の前にぶら下げながら喋っているのだが、彼はここであることに気づく。

 チラリと、彼が今いる路地裏の先の人の往来を見てのことだった。

 

(……そういえば、スマホ(こいつ)は人に見えないのか……? 俺が使っている様子は、あそこからだとこれが浮いてるように見えるはずだ……)

 

 宙に浮いているスマホがあれば、誰か一人ぐらいは気づいて声を上げるはずだ。

 いくら路地裏とはいえ、無意識にそちらへ目をやる者もいないことはないだろう。

 しかし、誰も鴉のスマホには気がつかない。

 

(そういえば、これも茨木童子から……。まさか……その辺に売ってるような物じゃないのか? 鬼たちが()()()()……?)

 

 (さとり)の話によれば、鬼は妖怪を集めて奴隷のように働かせていたと聞く。

 だがその内容は鴉は知らない。

 そして、彼から教えられた赫津鬼会(あかつきかい)の秘密のこともある。

 

 覚が言及しなかったということは、秘密と覚たちの労働が直接結びつくことはないのだろうか。

 鴉は朦朧とする頭でそう考えを巡らす。

 

『どうした? よほど参ってるようだな。気を遣って、そろそろ切ってやるか……』

 

「……うるさい」

 

『……確かに伝えたぞ。ではまた、次の機会に』

 

 茨木童子がそう言うと、プツリと電話が切られる。

 そしてホーム画面がスマホに映し出されるが、鴉は画面を操作することなく、腕の力を抜いてスマホごと自由落下させた。

 段ボールの山に全身とスマホを放って、数時間の眠りにつくのだった。

 

 

 

───────────

 

 

『今朝未明に起こった謎の爆発事故について、未だ負傷者や行方不明者の救助や捜索は続いており──』

 

「…………」

 

 同日の午後十六時を回った頃。

 加山は自室でソファに座りながら、今朝に起こった謎の建物崩落事故のニュースをひたすら見続けていた。

 

 鴉と分かれた翌日、しかも彼女のいるマンションのある地区(斗島(としま)区)と近い神宿(しんじゅく)で起こったのだ。

 本来ならマンションを飛び出て自身の脚で調べに行くところだが、彼女がこの話を知った時には既に全てが終わっており、現場は封鎖されていた。

 

 謹慎中に現場へ向かえば、また処分があるかもしれない。

 それに終わった後でかつ人間が作業できているのなら、妖怪の活動は終わったということ。

 断定はできないが、おそらく鴉は勝ったのだろう。

 加山としてはそう信じる他なかった。

 

「鴉……生きてるわよね」

 

 ついこの前出会ったばかりで、共に死線を潜ったというには過ごした時間も戦いも少なすぎるものの、加山からすれば鴉は希望の星のような存在だった。

 妖怪の存在が確かであると知れたのは彼のおかげだ。

 心折れずに済んだのも。

 

 この街……否、日本に潜む巨悪をようやく捉えた今。この国にとって鴉だけが希望なのだ。

 

「……やっぱり、私も行くべきかしら……」

 

 鴉の安否が気になる。

 その気持ちにはどうしても素直なってしまう。

 彼のことだ、妖怪との戦いがあったとわざわざ加山の部屋を訪れるかもしれない。訪れないことも予想はできる。

 訪れるのであれば、加山はこの部屋を離れるべきではないが……

 

 

 ドンドンッ──

 

 

「……!」

 

 思案し続けていると、玄関からドアを叩く音が聞こえてきた。

 インターホンを使わない、周りの住人にも聞こえるノックを堂々としてくる。

 根拠は無いというのに、加山は直感でそれが誰の来訪を告げているのかを理解する。

 

「待ってて! 今開けるわ」

 

 加山はソファから腰を上げると、パタパタと玄関へ向かう。

 そしてドアを開けてみれば、目の前には思った通りの来客が。

 

「……悪いな。昨日の今日で、また来て」

 

「ううん、いいのよ。とりあえず上がってっ」

 

 ドアの前にはボロボロの服装の鴉が立っていた。

 加山は彼のその様を見て、やはり今朝に妖怪と戦い、そして勝ってきたのだと理解する。

 彼女自身でも気づいていないが、彼女は無事な鴉を目にして、とても安心していた。

 加山は鴉を家に上げると、彼に冷えたお茶を振る舞った。

 

「はいこれ。妖怪と戦ってきたのよね? おつかれ様……。喉乾いてるでしょ?」

 

「ああ、悪い」

 

 鴉は立ったままコップの中の麦茶を飲み干す。

 ついでに中に入っていた氷も口の中に放り込み、ガリガリと噛み砕く。

 

「……ぷはっ! あーー、生き返るぜ……。今日はずっと飲まず食わずだったからな……」

 

「ニュースで見たんだけど、神宿であった爆発事故? って、やっぱり妖怪とあなたが戦ってたのよね。広範囲で建物が崩落したってあったけど」

 

「ん? ああ……あそこが神宿っていうのなら、そうだな。確かに朝にやった……。建物をすり潰して、瓦礫(がれき)を操ったりするような奴だったよ。「ねーねー」鳴いてた虫だった」

 

「ねーねー? それって、もしかして祢々かしら……」

 

「知ってるのか?」

 

「あなたと会ってから、また妖怪について調べ始めたのよ。昔はこうやって図鑑を広げて、色々調べたりしてね。最近はあまり目にしてなかったけど」

 

 加山はテーブルの上に置いてあった本を手に取り、その表紙を鴉に見せる。

 それはずいぶん分厚い妖怪図鑑で、ところどころ紙がささくれたりしていることから、彼女が長年その本を所持していたことが窺い知れる。

 鴉は彼女に「へぇ」と返すと、コップをテーブルに置いた。

 

「……風呂、借りてもいいか?」

 

「え? お、お風呂?」

 

「ああ。さっきまでゴミの山で寝てたからな。体が臭くてたまらん。お前もわからないか?」

 

「あ……まあ、確かにちょっと生臭いような……。でも浴槽に湯を張るっていうなら、もう少し時間かかるわよ」

 

「なら、その間にお前に頼みたいことがある」

 

「ええ?」

 

 部屋にやって来てお茶をもらい、それでも鴉は遠慮なく部屋の主に注文をつける。

 バサバサとボロボロになった加山の前で脱ぎ始めると、流石に彼女も焦り出す。

 

「ちょ、ちょっと! 何やってんのよ!」

 

「捨てる服を纏めてるだけだ。上しか脱がねえよ。それで、加山。お前に頼みたいのはな……」

 

 鴉は黒いコートと制服、シャツを床に散らかすと、その手を止めて上体を起こす。

 そしてテーブルの上の紙の束を指差すのだった。

 

「あれぐらいの紙が欲しい。そして、桃を何個か俺に買ってくれ」

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