暁の黄泉鴉   作:マサイのゴリラ

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2.鴉の舞い降りる夜

「はいはい……。ったく、お前、なんで刑事部に入ってこれたんだ……」

 

 長濱は加山の話を軽く流し、呆れてそう言った。

 確かに最近この東饗、特に都内ではこのような怪死事件が相次いで起こっている。

 昼夜問わず、ただの刺殺や撲殺のような殺害方法ではなく、今回のようにドロドロに溶かされる例もあれば体の一部が抉れたように消えている死体もあった。

 あくまでも冗談として「妖怪の仕業だ」と言う者もいないこともないが、この加山は違う。彼女は本気で言っているのだ。

 

「しかし長濱さん、他の事件も同様ですが、本当に人間による犯行だとお思いなんですか?」

 

「ああ?」

 

「三日前の歌武伎町でのボヤ騒ぎは、監視カメラで通行人に火の玉が降り注いだ場面がハッキリ映っていました。その前には上半身を食いちぎられたような死体が下水道で発見されています。東饗に何かがあるのは間違いな──」

 

「だああっ、うるせえうるせえ! おめえのオカルト好きはわかったよ! だがな、そんな非科学的なもんあり得ねーんだ。今は2040年だぞ? 科学で何でもわかる時代に、俺ら警察が迷信だの幽霊だの化け物を信じていいわけあるか!」

 

「しかし……」

 

「話は終わりだ。おい! 加山(こいつ)つまみ出せ!」

 

 加山はその後も長濱に何か言おうとしていたが、命令された他の警官に阻まれて現場の外に追い出されてしまった。

 その時手に持っていた羽をつい落としてしまったが、他の誰かに拾われる前にまた手にし、加山は仕方なくその場を離れるのだった。

 

 

───────────

 

 

 加山優香(かやまゆうか)、27歳。

 大学卒業後、警察学校に入学。その卒業後すぐさま上司の推薦で刑事講習を受け、24歳という若年で優秀な実績を積んで刑事部に入った。

 元々優秀な人物として周囲に知られ、それ故に刑事部に迎えられたわけだが、実際には長濱が呆れていたように非科学的な存在を信じて疑わない、風変わりな警察であった。

 ただし実績が無いわけではなく、全ての事件の犯人を人ならざるものと見なしているということもない。あくまでも、こうした怪死事件についてのみこのように結論づけている。

 

「はぁ……私でもわかってる……。()()()()()、絶対信じてもらえるはずがない。でも、確かにいるんだから」

 

 加山は羽の付け根を摘み、くるくると転がして回転させる。他意は無く、ただの手遊びだ。

 

「妖怪はいるんだから……」

 

 彼女がそう信じているのには理由がある。

 子どもの頃、彼女は東饗の端、輝く都内ではなく今も尚緑豊かな郊外に住んでいた。

 近くには山や森があり、男子たちに混ざってよく虫捕りやザリガニ釣りに行っていた。

 ある日のこと、彼女は山の中に一人で入っていった。理由は思い出せないが、そう大した用事でなかったことは確かである。

 小学校に入ったばかりの時だろうか。まだ小さかった彼女は、木々の間に毛むくじゃらの何かが動くのを目にした。

 

『……なに、お猿さん……?』

 

 子どもの目線は低い。それを加味しても、()()()()は大人よりも巨大で、恐ろしい存在であることは本能で理解できた。

 そしてそれは、熊のように大きな猿だった。

 大人の今ならわかる。そんな猿は存在しない。

 人智を超えた生物に他ならなかった。

 

 

『ウオォォオオオオオオオオオオオオオ!!!』

 

 

『あ……ぅ……』

 

 猿は耳が潰れそうな声で雄叫びを上げた。

 体の大きさもそうだが、手の鋭い爪、そしてそのとてつもない音圧に幼い加山は完全に動きを止めてしまう。まるで金縛りにあったかのように、体が言うことを聞かなくなってしまったのだ。

 

 そして、猿が彼女を八つ裂きにしようと腕を振り上げる。

 

 

 ズバァァァッ!

 

 

『え……』

 

 瞬きはしていない。

 だが、加山は目の前で何が起こったことを理解できなかった。

 自分に襲いかかってきた巨大な猿の首が、ズルリと滑り落ちる。その切断面からは真っ赤な血が噴き出していた。

 そして、目の前には誰かが立っていた。

 

『大丈夫か?』

 

『っ…………』

 

『……まあ、驚くのも無理はない。()()()()()()()()。可哀想に……怖かったろう』

 

 顔はハッキリ見えなかった。だが、その人物が黒いマントかコートのようなものを羽織っているのは今でも鮮明に思い出せる。そして、彼が纏っていた独特の匂いも。

 その男は自分に猿の血がかからないよう、自分と猿の間に立って壁になっていた。

 これだけは理解できた。彼は、自分を守ってくれたのだ。

 

『私には仕事がある。だから、君を守り続けることはできない。しかし君は本来目にすることのできないものを、視ることができる。その力は、妖怪から自分や誰かを守る為に使いなさい』

 

 

 

「……誰かの為に……」

 

 加山にとってその言葉は、自分の中心に在り続ける核のようなものだった。

 人間の犯罪者を捕まえたり、犯行を防いだりするだけではない。警察になれば、人々に危害を加える妖怪のことも追うことができる。そう考えたから、警察に入ったのだ。

 

 おそらく自分が出会ったあの男は、妖怪を狩る者だったのだろう。

 自分は妖怪が視えるだけ。きっと倒すこと、追うことはできない。

 妖怪を追いたい。妖怪から守りたい。だが、長濱の言葉もまた事実であり、認めなくてはならない現実。

 

「……私、なんで警察でい続けてるのかしら」

 

 今までもこうした挫折はあった。だが、今回は特に酷い。

 加山からすれば、あの死体の有様は明らかに人間によるものではなかった。

 人体を一瞬で溶かせる薬品など滅多に無い上、そもそも入手も困難。手に入れられたとして、それを入れていた容器や持ち運び方は? あの人数がいて簡単に殺せるものなのか?

 だが、警察の人間はそれが絶対に人間の犯行だと信じている。あるいはそう信じたいのかもしれない。

 

 言うまでもなく、加山と警察の相性は最悪だった。

 周りの人間が自分に向ける冷たい視線も、今までは信念によって跳ね除けられていた。

 だが、それにも限界はあった。

 

(もう……やめ時なんだろうな)

 

 

 ピッ──

 

 

「え?」

 

「香りを追って来てみれば、ただの羽か」

 

 加山の手にあった羽がいきなり取り上げられる。

 ハッとした加山が顔を上げると、目の前に男が立っていた。

 真っ黒い軍帽とコートに身を包んだ、自分よりも少し若く見える青年。

 身長170cmの自分がやや見上げるほどの背丈だが、近づいて来るまで一切気がつけなかった。

 

「本体は別の場所に……」

 

「あっ、コラ、待ちなさい」

 

 男は羽を手に持ったまま、加山に背を向けて行こうとする。

 もちろん加山は呼び止めるが、彼は完全に無視を決め込んでいた。

 

「待ちなさい!」

 

 加山は男の肩を掴んで振り向かせる。

 流石にこうすれば男は反応せざるを得なかったが、彼は自分を呼び止めた加山にひどく驚いた表情を向けた。

 

「……視えるのか?」

 

「え? 視えるって……」

 

 加山が言いかけた瞬間、視界の端から通行人が姿を現す。

 そしてその人は加山の目の前を──男の体にぶつかっていくように──通り過ぎる。

 男も通行人もどちらも気にしていない。彼らはすり抜け、それを一切意に介していなかった。

 

「なっ……!?」

 

「……なるほどな。久しぶりに会った。こういう奴には」

 

「い、一体……あなたは」

 

「この羽、どこで拾った?」

 

 加山の言葉に耳を貸さず、男は一方的に問いかける。

 

「近くで、殺人事件があったのよ……。その現場に落ちていたものよ」

 

「殺人……。もう誰か()ったのか。近くに子どもはいたか? 幼い子どもだ」

 

「……? いえ、被害者にはいなかったわ。全員成人済み……」

 

「なら、もっと殺すな」

 

 男はまた加山に踵を返し、どこかへ向かおうとする。

 加山は彼から感じ取っていたものがある。古い記憶の中に刻まれた、忘れることのない()()。あの枯れた草のような、葦のような匂いが、この男からも漂っていた。

 確かめずにはいられなかった。

 

「あなたは!? あなたは……誰なの!?」

 

 男は足を止め、口にした。

 あの遠い記憶の中の男と、同じ言葉を。

 

 

「黄泉の神の遣い、(からす)だ」

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