暁の黄泉鴉 作:マサイのゴリラ
「しぃやァッ」
鴉が魃の喉元に向けて斬り上げる。
しかし魃は後ろに飛び退き、刃は宙を切る。
「ぐっ、ふっふっふ。さっきの一撃は、小手調べだ。俺はお前、より、ずっと速い」
「かもな。お前は風のように走ると聞いている」
片腕を失い、バランスはとりづらくなっているはずだ。しかし、魃の身体能力に陰りは見えない。
加えて、切断された時も悲鳴の一つも上げはしなかった。攻撃を当てづらく、痛みに疎いのは厄介だ。ほぼ確実に長期戦になる。
それに、魃の力を考えればタイムリミットも……
「なっ……! ひ、日向先生!? 何をしているのです! ICUで暴れるだなんて」
「「!」」
扉がバンと開き、看護師と医師、警備員が数人部屋の中に飛び込んできた。
片腕がなく、もう片方の腕も毛に覆われているのがわかっているが、まだ魃の姿は人に近いまま。彼らは鴉と向かい合う魃を自分たちの知る医師だと疑わず、二人の元へ駆け寄っていく。
「ふっふっふ……」
「! 魃、何をする気だ」
「しゃあアァァァッ!!」
「うわあああっ!?」
「ひぃぃぃぃッ!!」
「やっ、やめなさい! 取り押さえるぞっ」
「はいっ!」
魃は鴉を無視し、医師たちに飛び込む。
残された左手をムチのように振るい、彼らの体をズタズタに引き裂いていく。
魃を抑えようとする警備員たちも、妖怪のパワーには流石に敵わず、腕に組みつこうともすぐ振り払われて胴体を抉られる。
「……くっ!」
戦いの最中に相手に背を向け、ただの人間に襲いかかっていった理由はわからない。だが、鴉からしたらそれはチャンスに見えた。
獣毛で覆われかけている頸を狙い、鴉は魃の背中に飛び込んだ。
「誘われたなッ!」
「うぐぅ!?」
魃は振り向きざまに引き裂いた医師の胴体を鴉に投げつけ、彼の攻撃を妨げる。
刀を振る腕を止められ、宙で当てられたために体勢も崩してしまう。魃にとっての好機だ。
飛び膝蹴りを鴉の顔に浴びせる。
「っ……! だが誘われたのは、お前もだぜ」
ドスゥッ!
「うがッ」
鴉も負けてはいない。
膝蹴りを喰らった瞬間魃の軸足に刀を突き刺し、彼の動きを止める。怯んだ魃の鳩尾に、思い切り拳をめり込ませる。
横隔膜がひっくり返った魃は唾を撒き散らしながら吹っ飛んだ。周りの患者に繋がれた機器をめちゃくちゃにしながら、管やコードを巻き込んで。
「ガハッ……ぐぅ……!」
「…………」
腹を押さえて立ち上がる魃。
蹴りを喰らい、腫れ始めた頰を指で撫でる鴉。
人工呼吸器や透析機器が外れたりした患者の絶命のカウントダウンが始まる。心電図が繋がった患者も同じく、ブザーがけたたましく鳴り始める。
「はぁ……はぁ……鴉、人間を巻き込んででも、俺を殺すつもり、か」
「お前を殺すのが俺の仕事だ」
「なるほど……。人間の命は、どうでもいい……。無辜なる民が、どうなろうとも、使命を全うする、か。お前も、
「…………」
鴉の良心を煽り、隙を作ろうという魃の作戦だ。しかしそれが通じる相手ではない。
彼の挑発は黄泉の国と神に関わる文言だ。黄泉の住民は部外者である妖怪から神に守られていた。黄泉の罪なき住民たちは、そうして生きていた。
鴉の正体とは、黄泉の本来の住民である。
しかしいざ自分たちが戦うとなれば、自分たちの境遇と人間を重ねることはせず戦いに巻き込み、犠牲を出し、ただ命じられたことだけを遂行する。
良心の呵責もない鬼畜だと、魃はそう非難している。
「ふん。本当に、どうでもいいらしい。それなら、俺も、容赦する必要はないな」
「どういう意味だ」
「この病院にいる人間どもは、お前への人質に、でも、しようかと思っていた。だが、お前にそれは、通じない。だから……本気を出す」
直後、魃から勢いよく熱波が放出される。
周りの機器が吹き飛び、蛍光灯が割れ、ガラスにはひびが入る。温度計は60度近くまで針が振り、湿度計は0パーセントに達しかけるほどである。
「ぐ、うッ……!!」
(な、なんて熱さだ……!! 熱と乾きで、まともに目も開けていられん……!)
バリバリと皮膚がひび割れ、繊維も千切れて血が流れる。しかしその血もすぐに凝固する。
熱波の勢いは弱まらず、やがて窓ガラスは全て割れて破片が外へと散っていった。病床もガシャガシャと音を立てて押し除けられたり、倒れていく……
「……くそッ!」
このままではまずいと、鴉は目を瞑ったまま刀を握り、魃がいた位置へと飛びかかる。
脳天から叩っ斬るつもりで刀を振り下ろすが、手応えはなかった。
(まずいっ……攻撃をもらっ──!)
躱されたと判断した鴉は間髪入れずに刀と腕で頭、上半身を守るように覆う。
しかし、魃のあの爪の攻撃が彼を襲うことはなかった。
しばらく警戒を解かなかった鴉だが、吹き荒れる熱風がその勢いを弱めていったことから、彼はようやく目を開けて周りを確認する。
「消えた……」
魃の姿は既に部屋の中には無かった。
めちゃくちゃな暴風で天井や壁の一部が剥がれ、機器は散乱し、ベッドから吹き飛ばされた患者たちが部屋の隅に横たわっていた。
あの妊婦も、熱波で壁に吹き飛ばされて叩きつけられたのだろう。しかし彼女は他の患者とは違い、体を丸めて腹を抱える姿勢となっていた。
子どもだけは何とか守ろうとしたのだろう。
「…………」
鴉はそんな彼女の元に歩み寄り、肩を揺する。
だが反応はない。喉元に手をやるが、脈は既に途絶えていた。
「…………悪かった」
独り呟く。
鴉の使命だけを全うする。それを心に決め、犠牲は割り切って考えていた。それが、自分が存在し続けられる唯一の方法だとして。
しかし、
周りの死体にも目を向ける。
皆、己の体の側に立ち、鴉にじっと視線を送っている。
心の底からどうでもいいと思っていたわけではない。
だが、妖怪を殺すこと、虐げられる人間を守ることは両立することができない。どちらかを捨てなくては、もう一方を成就させることも叶わない。鴉はそう信じていた。
人を助けた別の鴉がいた。
彼は巨大な山椒魚の妖怪と交戦していた。
大きく裂けた口の中に呑み込まれかけていた女性。彼女を助けるために、鴉は妖怪の口の端に刀を突き刺し、さらに口を裂くことで怯んだ隙に彼女を引っ張り上げる。
だが妖怪の口の側にいたがために、鴉は妖怪に食われ、噛み砕かれて死んだ。
また別の鴉は、子どもを助けた。
猿の妖怪を殺して子どもを助けた彼は、その妖怪の群れの総攻撃を受けて死んだ。途中で参戦した数人の鴉も、嬲り殺された。
鴉は妖怪を殺すことが使命だ。
人間を助けることが使命ではない。
使命を神より与えられ、戦いを強いられる運命。それはきっと悲劇だろう。運命を受け入れて、己の命を他者に捧げるか。使命のために他者を捧げるか。
安寧を取り上げられ、死と隣り合わせの世界に放り込まれた。それが鴉だ。
一体
「俺はあの妖怪を殺すことしかできない。あれを殺すためにお前たちを切り捨てたのは、確かに俺の罪だ……。恨んでくれ」
理解してくれとは言わない。
自身の行いが、彼らにとって悪そのものであることも否定しない。守らず、見殺しにしたのは事実なのだから。
鴉は刀を鞘に納めて、部屋を出て行く。
魃を見つけ出し、その首を斬り落とすために。
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「あ……あれは……!?」
医師が看護師を殺傷したと通報を受け、一度警察署に戻っていた加山は東饗政樹病院に駆けつける。
既に周囲にはテープが貼られ、病院の敷地への侵入は止められていた。他の警察も何人も駆けつけており、パトカーで病院は包囲されている。
病院に来ていたのは警察だけでなく、野次馬にマスコミ、さらには消防士も集められていた。
「どうなってんだ、こりゃあ……!!」
長濱もパトカーから降り、加山の隣で驚嘆の声を上げる。
彼らの目の前に広がっていたのは、窓ガラスのほとんどが割れ、ところどころから火と黒煙が立ち昇る、大病院の姿だった。