暁の黄泉鴉   作:マサイのゴリラ

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60.驟雨

 

 ──せっかく助けに来てくれたのに……ごめんなさい、鴉。あなたの苦労を無碍(むげ)にしてしまったわ。

 

 

 ──こうするしかなかった、とも言わない。私は本当に悪いことをしたと思ってる。私を連れて逃げ切ること、あなたが月兎を殺すこと。それが叶うかどうか、信じきれなかった私の心の弱さのせい。

 

 

 ──人間の私がどれだけ妖怪に抗おうと、『四大財閥』が日本を支配している以上、私たちは"悪"でしかない。それを突きつけられて、逃げを選んでしまった私の弱さ。どうか、鴉、憎んで。

 

 

 ──でも私は、月兎に何を言われようとも、私たちが社会にとって敵であっても、絶対に私たちの行動が間違っていたとは認めない。私たちは、絶対に妖怪たちを倒さなくてはならない。私は今までの戦いを否定するぐらいなら……自分たちが悪だと認めて──

 

 

 ──あなたの背中を押すわ、鴉。

 

 

───────────

 

 

 鴉の目の前に転がる、仲間の遺体。

 人の形は保っているが、体の下から血液が溢れ出ており、生存はあり得ないと彼に突きつける。

 数秒前まで生きていた人間が今や血を流す、物言わぬ肉袋に成り果てた。

 これまで数々の妖怪を(ほふ)ってきた鴉にとって死体そのものはショッキングでも何でもない。問題は──

 

 

「うぅぅぁあああああああああああああッッ!!!」

 

 

 慟哭(どうこく)

 ひたすらに怒りに満たされた、鴉の叫び声がビル群にぶつかり一帯に轟く。

 そして彼は消えるようにして一瞬で跳躍すると、芸能事務所の壁を蹴飛ばして一気に六階まで迫った。

 

「死ねッ月兎ォォォッ!!!」

 

 腰に差した刀に右手をかけるまでの時間はコンマ一秒にも満たない。それほどのスピードで抜刀した。

 鴉の一撃はこれまで振るったどの攻撃よりも強力だった。窓枠をその外側にあるコンクリートの壁ごと斜め一文字に両断するほどの斬撃を放つが、刃は標的だった月兎を捉えてはいなかった。

 彼の姿は社長室には既に無く、窓枠に着地した鴉を除いて誰もいない。先程まで人がいた空気だけを残して、無人の空間になっていた。

 

 地上では落下した加山に気づいた人間が通報したのか、遠くから救急車のサイレンが響き渡っていた。

 回転する赤いランプの光が、ビルとビルの隙間を移動していた。

 

 

───────────

 

 

 それから二時間ほど経過した頃。

 鴉は神宿(しんじゅく)の街を独り歩いていた。

 一度加山のことを頭から除去し、死にかけだった(さとり)を介抱するために加山宅へ戻る。その足取りはあまりにも重かったが、鴉を探す檮杌(とうこつ)に見つかるようなこともなく斗島(としま)区まで戻ってくることができた。

 加山の部屋に入った鴉は、そこでもう一つの死体を発見する。

 胸を貫かれた時の傷を覚が負っていたのは彼は覚えていた。だが、鴉が知らない負傷を更に負い、覚はフローリングの上で冷たくなっていたのだ。

 覚は両目を(えぐ)られていた。

 

「…………」

 

 重い足取りで当てもなく歩く鴉。

 彼の表情に生気は無く、目つきも死人のように(うつろ)

 歌武伎町(かぶきちょう)の喧騒や下品に輝くネオンも全て無視して、ひたすら歩いていた。

 彼や彼の周りで起こった悲劇など素知らぬ顔で、欲望に溺れる人間たちは今日も夜を過ごしている。

 実体を持つ人間と霊体の鴉。その隔たりは、同じ世界を共有しているというのに、確かに存在していた。

 

「……人助けは……俺の使命じゃない……。加山も……覚も……気にする必要は、無い……」

 

 壊れた機械のようにひたすら呟く鴉。

 

「人間……すらも」

 

 すれ違う酔っぱらいを睨みつけながら、唸るように、低い声を絞り出す。

 今まで鴉は、人間を守りたいと願う加山と共にこの東饗(とうきょう)で戦いに身を投じてきた。彼女に(ほだ)されて心の奥底に押し込めてきた、これまで人間を無視して犠牲にしてきた罪悪感に向き合うことができていた。

 自分の使命は、黄泉から逃げ出した妖怪を殺すこと。人間を助けることではない。

 だが、目の前で死んでいく人間に思うことが無いわけではなかった。記憶は無いが、かつての鴉も人間だった。その名残りから。

 加山と出会う前に、全てが巻き戻った。それが現状である。

 

(俺は英雄じゃない……。それはわかってる。だが、加山や覚たちと一緒にいて……居場所や仲間が欲しかったと、自覚するしかなかった。俺の存在を肯定してくれる理解者が、本当はほしかったんだ。俺は……。だが、それももう……)

 

 フラつきながら歩く鴉は、そう独白する。

 英雄ではない。『鴉』とは死神。掃除屋のようなものである。

 そんな自分に救いや希望を見出してくれた加山や覚は、今となっては鴉にとってかけがえのない存在となっていた。

 孤独で、死と隣り合わせの戦場で、帰りを待つ者もおらず。

 一人で戦っていた時代とは違い、戦い抜いたら労ってくれるそんな二人が大切だった。鴉はそれを自覚する。

 

「こんな奴らのために、あいつらは死んだのか……」

 

 歓楽街で欲望に溺れる人間たちを目にしながら、鴉は恨めしそうに口にする。

 金を押し付けるようにして女に絡む中年の男。酒を手に、顔を赤くして怒鳴り散らす青年。スーツ姿の男と腕を組んでホテルに入っていく派手な少女。焦点の合わない目つきをした、成人もしていないような若者の集団。

 いつか加山と共に歩いて目にしたこの光景は、その時も醜悪だったが、今はもっと酷く見える。軽蔑を通り越して、鴉は怒りと憎しみを彼らに抱いてさえいる。

 加山や覚に比べたらはるかに無価値な連中。妖怪に喰われてしまえばいいと、鴉は本心で思ってしまう。

 

「……雨」

 

 大粒の水滴が空から落ちてくる。しかし鴉はそれを避けようともしない。濡れることさえどうでもよかった。

 そしてそれは周りの人間たちも同じ。下品な黄金色を放つネオン街は、雨などものともせず騒ぎ続ける。

 何かに酔い痴れた者にとって、嵐にも匹敵しない雨など意に介するものではないのだ。

 

「……もういい。全部……。俺は、妖怪を殺さなければ……。玉藻も、瑞子(みずこ)も、『四凶』たちも…………月兎も……」

(だが……どうやって? やれるのか……俺一人で)

 

 覚の狙撃の腕前は神がかっていた。陰摩羅鬼との戦いでも、窮奇との戦いでも、鴉は彼に助けられた。加山の元へ迎えたのも、覚がいたからである。

 加山は鴉の行動指針になっていた。使命を優先していた、氷のように冷たく硬い心を彼女が融解させた。死んでいた鴉の人間性を、彼女が蘇らせたようなものだった。

 その二人はもうおらず、鴉は完全に弱体化している。

 そんな中で、日本頂点に君臨する者たちに抗えるとは彼自身ですら思えなかった。

 特に玉藻は、逃げることすらも許さないだろう。鴉はそれを理解している。

 

「──久しぶりに見たと思えば、いつの間にか死人のような顔になったな」

 

「……!」

 

 歩道をトボトボ歩いていた鴉。彼が気がつくと、いつの間にか横に背の低い真っ暗な自動車が徐行していた。

 後部座席の窓が開かれており、そこに座る男が鴉に話しかける。

 車内が暗いためにその男が何者かまではわからない。しかし鴉は、彼の声に聞き覚えがあった。

 

「まあ、黄泉の存在などハナから死人のようなものか」

 

「お前は……まさか──」

 

「こうして直接会うのは初めてだな。改めて自己紹介しようか。俺が、茨木童子(いばらきどうじ)だ」

 

 茨木童子。二週間ほど連絡を取っていなかったが、鴉と手を組んだもう一つの勢力。『四大財閥』の一角にして反社会勢力、極道組織『赫津鬼会(あかつきかい)』のトップである。

 これまでは彼から支給されたスマートフォンを通して連絡をしていた鴉だったが、スマホは『一目連龍(はじめれんりゅう)水道』での戦いで水没し壊れてしまった。

 以降は連絡を取っていなかったが、ここで直接、しかもトップである茨木童子がコンタクトをしてくるとは。鴉も予想だにしていなかった。

 茨木童子は自身の座る後部座席のドアを開け、鴉に言った。

 

「お前の事情は知っている。乗れ。今日からお前は、我々『赫津鬼会』の一員として働くんだ」

 

「…………」

 

「何だその顔は。まさか手を組んだ時の話を忘れたわけではあるまい。また倅殿(せがれどの)に叩きのめされたいのか?」

 

「いや……」

 

「だったらとっとと乗れ。雨が降ってる。ドアの内側が濡れるだろうが」

 

 面食らっていた鴉だが、茨木童子に促されるまま彼の高級車に乗り込む。

 鴉の仲間だった二人は死んだ。

 だが共に戦う戦士は、まだいる。

 

 

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