暁の黄泉鴉   作:マサイのゴリラ

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73.追憶 参

 冬の終わり。春の暖かみが増してきた頃のある夜。

 茨木童子と鬼童丸、そして彼らが引き連れる十体ほどの鬼たちは若叉(わかさ)の人間の街まで出向き、略奪を働いてきた。

 大江山に帰還したのは丑の刻半ば。大量の酒樽を茨木童子以外の鬼たちが担ぎ、山道を進んでいた。

 

『……えらく静かだな』

 

 頭上に浮かばせた鬼火で辺りを照らしながら歩む茨木童子。

 彼は山に入って数分した頃、異変に気がついた。

 鬼たちは毎夜騒がしく宴を開いている。敏感な鬼の耳なら、山に入った時点で山奥の喧騒をすぐに察知することができるが、今宵はそうした騒がしさのかけらも無く。

 茨木童子は心なしか、山から大切なものが失われたように感じていた。

 

『おい、急ぐぞ』

 

 茨木童子は後続の鬼たちにそう呼びかけ、足の動きを速める。

 鬼童丸を除いた鬼たちは返答をよこさず、「気に食わない」と言いたげに鼻を鳴らして彼を追った。

 

 

『何があった!』

 

 拠点としている地点に到着すると同時に、茨木童子は声を上げる。

 樹木を切り開きまるい広場としたその場所には、一派の鬼たちが集まり、宴をしていた痕跡も残していた。

 だが彼らは皆、人間の通夜のように静かで、呆然としながら突っ立っていた。

 茨木童子に気づいても、誰も状況を説明しなかった。

 

『……チッ、使えん奴らだ……。酒呑殿に聞けばわかるか』

 

 茨木童子は相変わらず自分を副頭領とは認めない鬼たちに苛立ちを隠さず、舌を打つ。

 彼が唯一信頼している酒呑童子ならば、この異変を説明してくれる。そう考えた彼は広場を抜けた先の玉座へ向かおうとした。

 鬼たちを押しのけ、酒呑童子に向かおうとしたその瞬間、茨木童子の目にあるものが飛び込んできた。

 

『!』

(……何だ? 血?)

 

 手で押した鬼が動いたことで、より近くで宴会の跡が目に入る。

 遠目からではいつものように酒瓶や樽、食べ物が数十平方になるまで継ぎ()ぎされた敷き物の上に並べられていたように見えていた。

 だが実際はそれらは割れ、砕け、倒れ、本当に喧嘩騒ぎでもあったかのように散乱していた。

 そして皿や瓶といった陶器の破片を赤黒く染める、血液の(あと)もそこかしこに飛び散っていた。

 

『……一体、何が──』

 

 状況の深刻さを改めて受け止める茨木童子。

 地面には飛散した血の痕から、そこから重く大きなものを引きずったような痕跡もあり。

 その跡の幅から、それは茨木童子は鬼の体が引きずられていったことで付いたものだと察した。

 

『酒呑殿──』

 

頭領(カシラ)なら死んだぜ』

 

 主の玉座へ向かおうと茨木童子が再び足を進めかけたところに、鬼の一体がそう告げた。

 

『……は?』

 

『聞こえなかったのか……カシラは死んだ。他の仲間たちも、どんだけか死んだ。今、その死体を片付け終わったところだ』

 

 茨木童子の思考が止まる。

 真っ白な汚泥に塗りつぶされていく。めまいや吐き気すら催すほどに、その汚泥は頭の中を駆け巡り暴れる。

 自身が心酔していた主が死んだ。

 それを知って体を支配するのは怒りや悲しみではなく、その事実への拒絶だった。

 

『…………』

 

 目を見開いたまま、口を閉じぬまま、フラフラとゆっくり歩き出す茨木童子。

 頭は働いておらず、体だけが勝手に酒呑童子の元へと向かっていた。

 

『……酒呑、殿』

 

 玉座の前に到着してみれば、玉座にはあぐらのまま首から上が消えている酒呑童子の胴体が鎮座していた。

 おびただしい量の血が流れたのがよくわかる。

 すでに首の切断面からの出血は止まっているが、その下は鉄の臭いと生臭さを発する文字通りの血の池となっていた。

 

『一体…………誰が……』

 

『人間だ。五人ぐらいで来てな、(みなもとの)何とかと名乗ってやがったぜ。カシラは見ての通り……首を持ってかれた。他の鬼は適当に殺されたよ』

 

 茨木童子に解説する鬼は、投げやりな態度でそう口にする。

 最強の鬼として担がれた頭領の最期は、あまりにも呆気なく。

 茨木童子が散々力の無い弱者と侮っていた人間によって、殺された。

 その話を聞いた()の右腕は、さらに"拒絶"の感情に苛まれる。

 

()()()()()死んだ。俺たちはこれで解散か?』

 

『人間共の目的はカシラだった。他の鬼はそのおまけで死んだ……。今こそ世代交代の時ってことだろ』

 

『別の土地に移れば、あの人間たちの手も及ばず今までのように過ごせる。まずは、新たな首領を決めるのが先だな』

 

 鬼たちは淡々と今後の展望について言葉を交わす。

 「力と強さが全て」というのは、それすなわち敗北した者=弱者には何の興味を持たれないということ。人間に敗北した時点で、これまで付き従ってきた酒呑童子すらも、無かったもの、無価値なものとして扱われるようになる。

 誰も酒呑童子のことなど気にかけず、やがては「俺が首領をやる」と言い出す者が現れる。

 

『次の頭は俺がやるぜ! 俺はこの群れの中じゃあ最古参だ。そりゃあ俺が一番相応しいだろうよ』

 

『待て! 古参だからってなんで頭領に相応しいってんだ? ああん!?』

 

『マヌケかこいつは。俺たちはその辺の他の鬼共も腕っぷしで従えてったろうが。つまり、後から入ってきた新参の方が雑魚ってことだろ!?』

 

 声高らかにそう主張する青肌の鬼は、呆然とする茨木童子の方へ歩み寄る。

 背後から、彼の体の半分ほどの身長である茨木童子の肩に手をやり、言った。

 

『だからよぉ、お前もいい加減すっこめや。酒呑童子に目をかけてもらってたみたいだが、後ろ盾はもうねぇぞ』

 

 青鬼は挑発する。

 茨木童子はピクリとも動かない。何も言わない。

 

『お前のことだ。酒呑童子の(かたき)討ちだ何だと言って都にでも攻め入ろうってんだろ? そうはいかねぇ。酒呑童子を殺せるような人間のところに、わざわざ突っ込んで死んでたまるかってんだ』

 

 青鬼の主張に、周りの他の鬼たちも静かに頷く。反論する者は誰一人としていなかった。

 

『俺たちは新しい"王"を立てる。お前もその座の奪い合いに参戦したっていいんだぜ。だが、いくら昔より多少強くなったからといって……数百(こんだけ)の鬼をお前だけでぶちのめし、言うこと聞かすのは簡単じゃねぇけどな』

 

 青鬼はそう言いながら、茨木童子の着物を掴んで彼の体を持ち上げる。

 (えり)を片手で掴み上げ、彼からして子どものようなサイズ感である茨木童子を自分の顔の近くまで近づけ、威圧。

 茨木童子が自分の地位に満足し研鑽(けんさん)を怠っていたわけではないことは、鬼たちも周知している。一対一の勝負で勝つのは難しいということを。

 だからこそ王座の争奪戦という乱闘に彼を引きずり出そうとしていた。

 鬼たち全員で、その気に入らない小鬼を蹂躙(じゅうりん)するつもりなのだ。

 

『……何とか言ったらどうなんだ? ええ?』

 

 顔をさらに近づけ、茨木童子に青鬼の息がかかる。

 ここで彼は気がつく。

 青鬼の口臭に酒の臭いが混ざっていた。

 臭いは新しく、明らかに人間たちがこの場所に攻め入ってきた後に呑んだことがわかる。

 

『……お前、酒呑んだのか』

 

『ああ?』

 

『いつ呑んだ』

 

『さっきまで宴会やってたことは何となくわかってんだろうが。そん時だよ』

 

『……酒呑殿が死んだ後』

 

『あ?』

 

『呑んでたろ』

 

 茨木童子の右腕がブレる。

 次の瞬間、青鬼の顔面に彼の右手が掴みかかり、両目を親指と中指で潰してしまう。

 

『なッ、ガあああああああああ!!?』

 

『なっ……!?』

 

『茨木童子、いきなり何しやがる!!』

 

 絶叫する青鬼。

 周囲の鬼たちは茨木童子の奇襲と残酷な仕打ちにどよめき、また彼を非難する。

 だが茨木童子は止まらない。親指と中指をそのまま眼窩(がんか)に押し込み、粘膜を貫く。そしてそのまま眼窩の間の握り潰すようにして、頭蓋骨を破砕した。

 

『ああああアアアアアアア〜〜〜〜ッッッ!!!』

 

 青鬼は絶叫して崩れ落ちる。

 尋常の存在ならばあまりの激痛に意識を保つことすら難しいが、顔を押さえて叫びなら転げ回れる、鬼の頑丈さが表れている。

 襟から手を離された茨木童子はストンと無造作に着地する。そして背中越しに、鬼たちに言い放った。

 

『──いいだろう。お前たちの言う、王座の争奪。俺も加わろうじゃないか』

 

『『『……ッ!!?』』』

 

 ドスの効いた声で──鬼たちに酒呑童子を想起させるほどの声で──茨木童子は宣言した。

 のたうつ青鬼を足蹴ににし、着物を脱ぎ去る。指貫(さしぬき)だけの上裸姿となり、細身ながらマッシブな肉体を鬼たちに晒した。

 

『鬼の王は、酒呑童子だけだ。俺はあの方だけしか認めない。首領、頭領、長……呼び方などどうでもいいが、貴様らのような力無き能無し共が、その座に居座って良いはずがない……!!』

 

 茨木童子は妖力を(たかぶ)らせる。

 炎のような妖力は、やがて鬼火として顕現し足下にいる青鬼を発火させる。

 青鬼はうめき声を上げるが、すぐにその声は炎にかき消される。赤い炎が彼の全身を包み、物言わぬ炭に変えられてしまった。

 

『王にまつろわぬ裏切り者共は、俺がこの手で始末する』

 

 炭と化した青鬼を踏み砕き、両手に鬼火を(まと)う。

 まさに鬼気迫る茨木童子の殺気に、鬼たちは怖気て後退りしてしてしまう。

 だがもう、彼は目の前の同胞たちを許すことはない。

 鬼童丸と、その血統から彼に従うずっと弱い鬼たち。彼らを除いて。

 

(せがれ)殿、手出しは無用だ』

 

 鬼童丸にそう告げると、茨木童子は自分の二倍の体躯を誇る鬼たちへと襲いかかった。

 彼を侮っていた鬼たちは恐怖に支配され、蹂躙が始まる。

 無論、茨木童子に反撃する者はいた。

 だが彼らは皆、鬼火に焼かれ、拳で砕かれ、首をねじ切られて殺されていく。

 それでも何とか二体以上で茨木童子を挟み込み、拳や蹴りを叩き込んで一矢報いようと足掻いていた。

 

 

 ──酒呑殿……貴方は、人間に本当に負けたわけではないのでしょう。いつか語った、『盛者必衰』。それを、私に教えるために……鬼の世を諦めさせるために、わざと人間の刃を受け入れたのでしょう。

 

 

 茨木童子が負った傷から。

 粉砕される鬼の肉体から。

 赤黒い血が噴き上がり、霧のようになって辺りを染め上げていく。

 天下無双。傷を与えることすらできない天上の強さを持った酒呑童子とは違う。

 反撃の余地がありながら、かの最強の鬼よりもずっと野蛮で狂っている。それが茨木童子の"強さ"と"戦い"だった。

 

 

 ──私が思い描く鬼の世は、以前貴方に告げたものです。しかし、それだけではない。貴方が王でなくてはいけないのは、私を肯定し認めてくれたから。貴方が語っていたように、貴方に慈愛があったからです。

 

 

 背後から手刀をもらい、茨木童子の脇腹を書物のような大きさの手のひらが刺し貫く。

 彼はあえて体を振るわせ、脇腹をちぎらせて貫手を外す。自身の再生力に物を言わせて、無理やり拘束を解除した。

 そして体を回転させる勢いで背後の鬼に裏拳を食らわせ、顔面を粉砕する。

 間髪入れず飛びかかってくる数体の鬼を、まとめて鬼火で焼き払う。

 

 

 ──私は、自らの力を磨き続け、高みを目指す。その姿を(ほまれ)とする戦乱の世を望みます。力と強さが全ての鬼の価値観は、高潔な精神により尊ばれるべきなのです。貴方が弱さを脱却しようとした私を認めてくださったように、私も、そうした者を讃えたい。

 

 

 地面が死体で満たされる。

 荒れ狂う悪神の如く暴れる茨木童子は、もはや畏怖の対象となっていた。

 彼に刃向かう鬼はおらず、逃げまどう者だけが残っていた。

 だが茨木童子は彼らすらも手にかける。

 走って追いつき、首をねじ切る。

 飛んで追いつき、頭を爆散させる。

 遠い位置から鬼火を投げつけ、焼却する。

 

 

 ──だからどうか、酒呑殿。私の王になってください。鬼の世に君臨する、絶対の光に……。恐怖による支配ではなく、力と強さによる統治を──

 

 

 大江山の殺戮は、夜明けと共に幕を閉じる。

 築き上げられた幾百の死体の山の上に、茨木童子は立っていた。

 返り血を浴びたまま、黄昏(たそがれ)の空に咆哮した。

 

 酒呑童子による力と強さによる統治は終わり。

 茨木童子による、血と恐怖の支配が始まる。

 

 

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