暁の黄泉鴉   作:マサイのゴリラ

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74.追憶 泡沫

 

 茨木童子は、主君を(あや)めた人間たちにその手で直接復讐をすることはなかった。

 ただし、積み上げた同胞たちの死体を山中の川の上流に投げ捨て、それを水資源とする人々に重大な疫病を流行らせた。

 こうした回りくどい方法で人間に危害を加えたのには理由がある。

 ()()()()の鬼は茨木童子を含めてもわずか十数体だけ。

 これだけでは、酒呑童子亡き今、鬼の世を築くことはできないと判断したからだった。人間の文明を破壊し尽くすには、タイミングが悪いと。

 形式上の報復として人間に病を流行らせてからは、茨木童子一派は日本各地を転々とすることになる。

 

 

 

『なにやつ!』

 

 『恐都(きょうと)』、羅生門(らしょうもん)にて。

 酒呑童子を襲撃した一味の一人である渡辺綱(わたなべのつな)が虚空に刀を振るう。

 彼の目には刃は空を切ったように見えたが、その手は確かな()()を覚えていた。

 

『……感謝するがいい、人間。酒呑殿の(かたき)を取るつもりは無い。正当な果し合いであったのなら、俺が水を差すことは許されぬ』

 

『何者だ……鬼の一派の者か!』

 

 綱は夜の闇に吠える。

 彼に語りかける茨木童子は、その姿を一切見せることはなく。斬りつけられた自身の右腕を、綱へと投げてよこした。

 

『!? これは……!?』

 

『時が来たら、返してもらう。その時までせいぜい誇れ。鬼の王を(ほふ)り、その"右腕"すらも傷つけたことを。千年後の未来まで、鬼狩りの勇者よ、さらばだ』

 

 赤く、岩のような肌をもつ巨大な腕。

 猛禽(もうきん)のような爪、針金のような体毛までまばらに生え、肘から先だけというのにそれはあまりにも禍々しい存在だった。

 数百の鬼の血を啜ったその腕を綱に渡したのは、茨木童子の自戒であった。

 

(癒えぬ負傷は、弱き敗者の烙印。酒呑殿を守れなかった俺はまぎれもない弱者だ。これでいい。あとは……黄泉(よみ)を──)

 

 戸惑う綱をよそに、茨木童子はすぐに羅生門を離れる。

 やがて『恐都』を出た彼は、日本全国でその伝承を残した。黄泉に関する情報を得るため、頻繁に人前に出現し、恐ろしい鬼としての記憶を人間に刻みつけていった。

 鬼童丸はいつからか茨木童子の元を離れており、彼が果たさなかった()()()()()()代行しようとした。

 しかし仇討ちは失敗し、鬼童丸は源頼光(みなもとのよりみつ)と彼が率いる四天王によって討伐されることになる。

 茨木童子もいつしかひっそりと死に絶え、生き残りの鬼たちも黄泉へ向かったのだった。

 

 

───────────

 

 

 死して黄泉に向かった茨木童子は、その闇の世界で再び主君に(まみ)えると思っていた。

 だが実際には、再会は叶わなかった。

 酒呑童子は強すぎたのだ。

 決定的だったのは、彼が果たした大江山の山神との一騎討ち。

 神を殺した妖怪は、『大妖魔(だいようま)』と呼ばれる。神と相対し、勝利した絶対的な強者が、他の妖怪たちから畏怖と崇拝のもとに呼称される名である。

 そうした大妖魔は、黄泉の神の手により直々に幽閉、管理されていた。

 

『黄泉の神よ。酒呑童子を、どうか赦免(しゃめん)したまえ。かの者を解き放つならば、あまねく鬼の命、全てを捧げても構わない。望むなら、貴台(きだい)のあらゆる敵、あらゆる障害。私が代行し、その全てを粉砕しましょう』

 

 茨木童子はその事実を知ると、すぐに黄泉の神の神殿に向かう。

 神殿にたどり着いた彼は、しかし神の姿を目にすることはできなかった。

 神殿の最奥には、枯れた桃の木が捧げられた巨大な祭壇があった。

 これは黄泉人(よみびと)たちが作ったものであり、黄泉の神を(まつ)る唯一の祭壇である。

 茨木童子はその前に膝をつき、酒呑童子の解放を陳情(ちんじょう)する。

 

 

 ──……酒呑童子、ですか。あの()()()()鬼を……。何の目論見があるかは存じませぬが、条件次第でというのであれば……貴方の願いを聞き入れましょう。

 

 

 黄泉の神は、茨木童子に命ずる。

 現世にて、天逆鉾(あまのさかほこ)八咫鏡(やたのかがみ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)。これら四つの神器を集め、黄泉に捧げよと。

 こうして茨木童子は、黄泉に向かった妖怪の中で唯一、黄泉の神の手により(よみがえ)りを果たした妖怪となった。

 神器を求める神の意思など、彼は全く興味を持たず。江戸幕府が治める現世に舞い戻った彼は、神器の在り処を求めて旅と探究を始めた。

 

 

 そして数百年後。

 数を増やし続ける妖怪によって、黄泉の境界は決壊。現世に、茨木童子を支持する鬼たちも復活する。

 かつて虐殺された鬼たちは、すでに黄泉の世界で鬼童丸から二度目の死を与えられて魂ごと消滅していた。

 1980年代、日本を急成長させた好景気が始まると同時に、茨木童子は『赫津鬼会(あかつきかい)』を発足。

 現世の神の力に守られた神器の回収、そして酒呑童子の復活を目指し、やがては玉藻(たまも)月兎(げっと)瑞子(みずこ)らと睨み合い『四大財閥』を立ち上げるに至った。

 

 

 

───────────

 

 

 

『酒呑殿』

 

 ドス黒い霧が立ちこめる、光一つない闇の世界。

 茨木童子はその空間をひたすらに歩き、ようやく見えてきた巨大な背中に呼びかける。

 大岩のような、赤肌の大男。あぐらをかいて座っていたのは酒呑童子である。

 千年ぶりに再会した彼のそばまで来た茨木童子は(ひざまづ)き、言葉を続けた。

 

『……千年ぶりにございます。茨木童子です。黄泉の神と取引を交わし、貴方様をお迎えに上がりました。貴方の居場所は今、現世となりました』

 

 四つの神器の回収を果たし、その全てを黄泉の神に捧げた茨木童子。

 彼が神と約したのは、神器の献上と引き換えに酒呑童子の蘇りを認めることだった。

 いわば司法取引である。

 彼は天逆鉾(あまのさかほこ)を富士山にて回収し、すぐにその場で、()()()()によって黄泉を訪れていた。

 酒呑童子は千年ぶりに自身に会いに来た右腕に、背中を向けたまま応える。

 

『久しいなぁ、イバラ。千年も経つのか、お前と別れてから……。ずいぶん……小さくなったものだな。お前は元から小さかったが、まるで人間のようだな』

 

 背中越しにそう言う。

 茨木童子は『四大財閥』として人間社会に紛れる中で、人の形をあえて取っている。

 そのまま酒呑童子を迎えに来たために、彼は人間態の茨木童子に驚いていた。

 目視でなく、彼の気配から察していたのだ。

 

『ある事情により、この姿をとらせていただいております。失礼をはたらき、申し訳ございません』

 

『よい。それで、何用か。俺を現世に呼び戻すために、神と取引したと聞こえたが?』

 

左様(さよう)にございます。千年前の私の大志(たいし)、覚えていらっしゃいますでしょうか』

 

『……鬼の世、だったか。ひたすら寝てたものでな、新しい記憶もなく、覚えているわ』

 

 千年前、茨木童子がさんざん掲げていた野望。

 それを忘れていなかった主君に、彼は思わず伏せていた目を(うる)ませてしまう。

 

『はい。それを、今度こそ(おこ)すために、貴方の力をお貸しいただきたく』

 

『…………』

 

『現世は今、玉藻草司という貴方と同じ『大妖魔』が支配しています。人間の欲望につけ込み、倭国(このくに)の頂点に立っている。貴方こそ、真の王だというのに』

 

『まだ、そう言っているのか』

 

『心は決して変わりません。鬼の世は、貴方なくして成り立ちはしないのです』

 

 茨木童子はそう言い切る。

 酒呑童子はというと、ため息を吐いていた。

 千年前から変わらない忠誠心。彼はそのことには確かに嬉しく思っていたが、もはや呪いのようにも感じていた。

 自分が王であることにこだわり続ける茨木童子に、半ば辟易している部分もあったのだ。

 

『……俺は言ったはずだがな。王は、俺よりもイバラ。お前の方が相応しいと』

 

『貴方が私を……その右腕として認めた時から、私にとって、貴方こそが唯一の王なのです。弱く生まれ、その()()によってひたすらに武を磨いた私を肯定してくださったあの日が、私の全てなのです!』

 

 茨木童子の声が震え始める。

 

『弱きものが、強さを求めて己を磨く。高みを目指す戦乱の世……! 私はそれを望みます。貴方が私を認めたように、私も、そうした者を讃えたいのです…………! それこそが、きっと、貴方も求めた世界であると……私は……』

 

 酒呑童子は「力と強さが全て」という鬼の価値観に忌避感を示していた。

 それに対し茨木童子は、弱さを理由に理不尽に(しいた)げられた過去により、その価値観に逆に染まりきっていた。

 しかし、弱さに甘んじることなく力を磨いた()()()()()()()という"誇り"。これを酒呑童子に認められたその時に、彼の過去は希望へと転じていた。

 

『……俺は、お前の手伝いはできん。少なくともな、お前の望む世界は、お前の手で築かなくてはならん。俺が、手を出してはならんのだ』

 

 毅然(きぜん)として告げる酒呑童子。

 右腕はついぞ、主君の腰を上げることを叶えられなかった。

 望むものは己の手で掴め。茨木童子にとってその言葉は、反論の余地もない完璧な正論であり。また、これまでの彼の軌跡の意味を無に帰してしまう。

 だが──

 

『だが……そうだな。久々に、現世(おもて)のうまい酒が呑みたい』

 

『……!』

 

『千年先の時代の酒、さぞ美味いことだろう。どうせなら、日の下で呑みたいものだ』

 

 茨木童子の長年の願い。それは厳しくも正しい言葉により、拒絶されてしまった。

 しかし、その次に酒呑童子が口にした言葉は優しく、再び差し伸べられた手のようであり。直接の明言は避けているものの、茨木童子の心に三度(みたび)火を灯す。

 復讐と野心の火ではなく、あたたかく明るい希望だった。

 

『必ず……!! 至高の逸品(いっぴん)を用意いたします!!』

 

『待っているぞ』

 

 酒呑童子は、鬼の世の開闢(かいびゃく)には関与しない。

 それは理想を掲げる茨木童子が、彼自身の手で成さねばならないことである。

 茨木童子は主君の言葉を心に刻みつけると、彼に背を向けて歩き出す。

 『四大財閥』を終わらせて、王を迎える準備を整えるために。

 

『イバラよ』

 

『……はい』

 

『玉藻(なにがし)と言ったか。それが今、現世を支配していると』

 

『はい。そう、話しましたが』

 

 相変わらず背中越しに話しかける酒呑童子。

 そんな彼に返答するために、茨木童子も一度足を止めて振り返る。

 玉藻が『四大財閥』を通して日本社会を支配する2040年。それが事実であると茨木童子が答えれば、酒呑童子はゆっくりと振り返り──言った。

 

『終わりのない時代はない……。それはその玉藻でさえ同じだ。勝てるぜ、お前』

 

『……はいっ』

 

 今度は力強く頷く。

 必ず鬼の世を(ひら)く。その決意を込めて。

 茨木童子は黒い霧を抜け、現世に戻る。

 再び富士山の土を踏みしめると、引き連れて来た『赫津鬼会(あかつきかい)』の構成員たちと共に東饗(とうきょう)へ帰還を始める。

 『一目連龍(はじめれんりゅう)』襲撃作戦の尻ぬぐいをするために。

 

 

 

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