暁の黄泉鴉 作:マサイのゴリラ
「何だ……あの雲は……!?」
最高階である28階の社長室の窓から、
北北東の空に、灰色の巨大なキノコ雲が昇っている。そんな"異常"を目にしたのだ。
いくら『四大財閥』の長の一角と言えども、目を見張る他なかった。
「……この感じ、『四凶』か。名前は窮奇だったか……? いよいよ暴れ出したようだが……何と戦ってる……?
キノコ雲の下で炎のように揺らめく妖力は、鬼のものとは違う。
距離にして約7km先。『四大財閥』など大妖怪クラスの妖力であれば
県をまたいでもハッキリ察知できる。
しかしその妖力はそこまで強力な存在でもなく、まるで生まれたばかりの妖怪のようでもあり。
瑞子の中に、謎だけを残していた。
「…………」
(そろそろ俺も……俺たちも、準備を整えるべきか)
瑞子は
その中には、緑色のプラスチック水鉄砲が。拳銃よりも一回り小さい、まさしく
それを懐にしまい、瑞子は社長室を後にした。
「……派手にやったな」
扉を開けてすぐ、瑞子の目に入ったのは真っ赤に染め上げられた廊下だった。
瑞子が
しかし廊下の惨劇を彩っているのは血しぶきだけであり、殺された社員や役員たちの肉片や残骸は残されていない。
「……? 食ったのか? ガマのやつ……」
大蝦蟇は人間も食らう。
だとしても、あくまで肉しか食わない。犠牲者が身を包んでいた衣服までは食べはしない。
それでも瑞子が不審がるようなことはなく、彼は惨劇の跡を辿っていく。
「…………」
(ひどく汚してったもんだな)
血は床、壁、天井一面を赤黒く染めていた。
階下に降りてもそんな景色は変わらず、大蝦蟇の
かの
瑞子はここであることに気がつく。
「……! ガマの攻撃の跡が途切れてる」
彼はようやく異変を察知する。
大蝦蟇の攻撃の特徴的な跡、猛獣の爪痕のような三本の線は、20階よりも下に至った時点で目につかなくなっていた。
それだけではない。ぶち撒けられた血液のつき方も変わっている。
壁や床一面を真っ赤に染めるような飛び散り方ではなく、細かい血の
「…………」
(……やけに時間がかかってるが、
ガマは二時間経っても戻らない。
彼の様子を見るためというのもあるが、瑞子はある違和感を覚えて今、下のフロアへと降っていた。
妖力同士のぶつかり合いは、
一つは
『四凶』は四体。一体、足りなかった。
「どいつが誰と戦ってるのかは知れねェが……あともう一体! まさか、ここに来てるんじゃねェだろうな」
ボソボソと呟きながら、早歩きで大蝦蟇を探す。
そしてようやく、彼は感じ取れた。
「ガマ……!」
妖力の源は、廊下の突き当たりを右へ曲がってすぐの場所。
瑞子はズンズンと大股で歩き、角を曲がった。
そしてそこには、大蝦蟇がいた。
「ガ──」
「んお?」
角を曲がった手腕、瑞子の目に飛び込んできたのは、山羊角を生やした黒いシルエット。
背中を向けていたそれは、瑞子の接近に気がつくとおもむろに振り返る。
下半身が力無くぶら下がっているその様を見た瞬間、瑞子の右手が懐へ伸びる。
「むおおーーっ、あばばはいぅおはァン!」
(おお〜〜っ、貴方は瑞子さぁん!)
大蝦蟇を
しかし──
「……なにっ」
「うほへへへははははははっ、あはいえふえぇ!」
(ウハハハハハハハハハっ、甘いですねぇ!)
冷静に、高速で水鉄砲を引き抜いた瑞子。
銃口からは高圧水流がまっすぐ、音速で飛び出し、饕餮を襲った。
大蝦蟇を捕食している最中。つまり、無防備。瑞子は刹那でその判断を下したが、饕餮が言うようにそれは甘い見積もりであった。
彼の胴体から広がる黒い粘液が、足元から飛び出して水流を絡み取ってしまった。
瑞子がその反応速度に驚いている中、饕餮はバキバキと音を立てて大蝦蟇を噛み砕いていく。
そして彼を衣装ごと口の中へと押し込んでいくと、外れていた顎も元に戻り、普段のニヤケ顔に。
「ウフーーーー……。両生類は久しぶりに食べましたねぇ。東饗都は何でもそろってると思ってましたが、野生的な食事には中々ありつけませんでしたよ。なつかしー気分」
「てめェ……饕餮!!」
「ウフフ、部下のことを大切に思ってるんですねぇ。羨ましいかぎりです。玉藻さんはそうでもありませんでしたから」
大蝦蟇を奪われた怒りは一瞬で瑞子を支配するが、彼は冷静さを欠かない。
大蝦蟇は決して弱くなかった。だというのに、この社内で彼と饕餮が
つまり、二人の戦力にはそれだけ圧倒的な差があったということになる。鴉ですら、大蝦蟇に無傷で勝ってはいない。
瑞子は情を抜きに、大蝦蟇のことは評価していた。
饕餮は手を抜ける相手ではない。そう判断し、妖力を静かに昂らせる。
「まあまあ妖力も戻ったところで……私もそろそろ始めるとしましょうかねぇ。戦争を」
「始まるのは戦争じゃねェよ。
「ああーー……んーーーー、確かにそうかもしれませんねぇ。私の、"
「!」
突如、ビル全体が震動し始める。
震度3までの弱い地震どころの震動ではない。
震動はどんどん強くなり、天井や壁にヒビが走り始める。それと同時に、饕餮が発するのと同じ性質の妖力がビル全体から轟く。
ドス黒い、タールのような邪悪な妖力が。
「ウヒヒヒッ、ええ! さあ始めますよぉ! "世界"を並べた食卓の、貪食を!」
「ッ……!」
(まずっ──)
──"
フロア全体が崩落を始める。
そして崩れた箇所から、いつの間にか巣食っていたシロアリのように、根を張った
粘液には無数の口がうごめいており、瑞子を喰らおうと唾を撒き散らしながら襲いかかった。
「チッ!」
崩れる天井から、壊れる壁から、落ちる床から。
数えきれない口が襲いかかってくる。
文字通り四方八方から捕食しにかかってくる口を避けるため、瑞子は反撃を諦めて体を水流へと変える。
ビルの外へ逃れるため、空中を滑るようにして逃亡を開始。迫る口を次々と回避しながら、廊下突き当たりの窓ガラスを目指した。
「おおっとぉ、逃しませんよ!」
「…………!」
(クソっ、数が多すぎるッ! いつの間にこれだけ仕込んでやがったんだ!? 体が削られるっ……!)
口たちは水流そのものと化した瑞子を追いかけ、次々と一口、また一口と水を食いちぎっていく。
どんどん体積が小さくなっていく瑞子だが、それでも逃亡の一択から選択肢を変えることなく外を目指した。
だが、ドラム缶一つを満タンにするほどだった瑞子の体積は、コップ一杯程度分になるまでに食われてしまい。ようやく窓ガラスに到着したものの、体当たりの威力はガラスを突き破るに至らなかった。
そして──
バクンッ──!
「ごちそうさまでしたぁ〜〜っ」
大質量の数十の口が迫り、あと少しとなった瑞子の破片を呑み込んでしまった。
食いついた衝撃でガラスが割れ、黒い粘液の津波はビルの外へと飛び出す。
瑞子はすっかり食い尽くされてしまい、もはや、
「いくらこの国を支配する『四大財閥』と言えども、不意打ちをすればこの程度ですかぁ〜〜。存外、期待はずれでしたねぇ〜〜……」
饕餮は廊下の突き当たりにまで来ると、窓の外を見下ろしながらそう呟いた。
北北東の空からはキノコ雲は消え、空を灰色の雲が覆いかけていた。
「……空の割には、乾燥しますね──」
そう言いかけた時、饕餮は目を見張った。
自身の眼下。『一目連龍水道』本社の門前で、何やらうごめくものがあった。
それは流動する、透明な液体。まるで、水。
「おや、おやおやおやおや〜〜っ……!?」
ドクン、ドクンと、脈動するように。膨れ上がるように、体積を増していく水の塊。
それは空気中の水分を吸い上げなら、形を成していくのである。
それこそが、水の化身。瑞子鳴河の本質。
「やってくれたな……饕餮」
「……さっすがぁ〜〜……そうこなくては」
───────────
「何なんだ……てめぇはァッ!?」
荒野となった斗島区。
そこには赤黒い太陽が昇り、窮奇はその光に照らされていた。
彼の眼下では、かの太陽と同じ暗い火が大地で揺らめき、そして形を成していく。
完全に形を奪ったはずの鴉が、炎の化身となって蘇るのだった。
「窮奇、覚悟しろ。お前を殺す」