暁の黄泉鴉   作:マサイのゴリラ

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85.不屈の男

「何だ……あの雲は……!?」

 

 西神宿(にししんじゅく)にある『一目連龍(はじめれんりゅう)水道』本社。

 最高階である28階の社長室の窓から、瑞子鳴河(みずこめいが)はあるものを目撃して驚嘆の声を漏らしていた。

 北北東の空に、灰色の巨大なキノコ雲が昇っている。そんな"異常"を目にしたのだ。

 いくら『四大財閥』の長の一角と言えども、目を見張る他なかった。

 

「……この感じ、『四凶』か。名前は窮奇だったか……? いよいよ暴れ出したようだが……何と戦ってる……? ()()()()()()だ」

 

 キノコ雲の下で炎のように揺らめく妖力は、鬼のものとは違う。

 距離にして約7km先。『四大財閥』など大妖怪クラスの妖力であれば

県をまたいでもハッキリ察知できる。

 しかしその妖力はそこまで強力な存在でもなく、まるで生まれたばかりの妖怪のようでもあり。

 瑞子の中に、謎だけを残していた。

 

「…………」

(そろそろ俺も……俺たちも、準備を整えるべきか)

 

 瑞子は(きびす)を返し、デスクの引き出しを開ける。

 その中には、緑色のプラスチック水鉄砲が。拳銃よりも一回り小さい、まさしく玩具(おもちゃ)の銃である。

 それを懐にしまい、瑞子は社長室を後にした。

 

「……派手にやったな」

 

 扉を開けてすぐ、瑞子の目に入ったのは真っ赤に染め上げられた廊下だった。

 瑞子が大蝦蟇(おおがま)に人間の虐殺を許可してから二時間近く経過した今、壁や絨毯(じゅうたん)に染みついた血液は乾燥し、すっかり赤黒く変色していた。

 しかし廊下の惨劇を彩っているのは血しぶきだけであり、殺された社員や役員たちの肉片や残骸は残されていない。

 

「……? 食ったのか? ガマのやつ……」

 

 大蝦蟇は人間も食らう。

 だとしても、あくまで肉しか食わない。犠牲者が身を包んでいた衣服までは食べはしない。

 それでも瑞子が不審がるようなことはなく、彼は惨劇の跡を辿っていく。

 

「…………」

(ひどく汚してったもんだな)

 

 血は床、壁、天井一面を赤黒く染めていた。

 階下に降りてもそんな景色は変わらず、大蝦蟇の獲物(ぶき)である三叉槍による傷跡が血痕にまぎれて刻まれている。

 かの(がま)の襲撃の悲惨さを物語っていたが、相変わらず死体は転がっていなかった。

 瑞子はここであることに気がつく。

 

「……! ガマの攻撃の跡が途切れてる」

 

 彼はようやく異変を察知する。

 大蝦蟇の攻撃の特徴的な跡、猛獣の爪痕のような三本の線は、20階よりも下に至った時点で目につかなくなっていた。

 それだけではない。ぶち撒けられた血液のつき方も変わっている。

 壁や床一面を真っ赤に染めるような飛び散り方ではなく、細かい血の(しずく)が点々と、()()()()()()()()()()()()()血痕が残されるようになっていたのだ。

 

「…………」

(……やけに時間がかかってるが、()()()()……。妖力は、この社内には感じられない……)

 

 ガマは二時間経っても戻らない。

 彼の様子を見るためというのもあるが、瑞子はある違和感を覚えて今、下のフロアへと降っていた。

 妖力同士のぶつかり合いは、東饗(とうきょう)のいたるところで起こっている。

 一つは斗島(としま)区、一つは胎東(たいとう)飢野(うえの)、最後の一つは血代田(ちよだ)区NTC本社。

 『四凶』は四体。一体、足りなかった。

 

「どいつが誰と戦ってるのかは知れねェが……あともう一体! まさか、ここに来てるんじゃねェだろうな」

 

 ボソボソと呟きながら、早歩きで大蝦蟇を探す。

 そしてようやく、彼は感じ取れた。

 

「ガマ……!」

 

 妖力の源は、廊下の突き当たりを右へ曲がってすぐの場所。

 瑞子はズンズンと大股で歩き、角を曲がった。

 そしてそこには、大蝦蟇がいた。

 

「ガ──」

 

 

「んお?」

 

 

 角を曲がった手腕、瑞子の目に飛び込んできたのは、山羊角を生やした黒いシルエット。

 背中を向けていたそれは、瑞子の接近に気がつくとおもむろに振り返る。

 ()()は顎が完全に外れるまで大口を開き、瑞子のよく知る者の上半身が呑み込まれていた。

 下半身が力無くぶら下がっているその様を見た瞬間、瑞子の右手が懐へ伸びる。

 

「むおおーーっ、あばばはいぅおはァン!」

(おお〜〜っ、貴方は瑞子さぁん!)

 

 大蝦蟇を(くわ)えたまま、饕餮(とうてつ)は瑞子に声を投げかける。

 しかし──

 

「……なにっ」

 

「うほへへへははははははっ、あはいえふえぇ!」

(ウハハハハハハハハハっ、甘いですねぇ!)

 

 冷静に、高速で水鉄砲を引き抜いた瑞子。

 銃口からは高圧水流がまっすぐ、音速で飛び出し、饕餮を襲った。

 大蝦蟇を捕食している最中。つまり、無防備。瑞子は刹那でその判断を下したが、饕餮が言うようにそれは甘い見積もりであった。

 彼の胴体から広がる黒い粘液が、足元から飛び出して水流を絡み取ってしまった。

 瑞子がその反応速度に驚いている中、饕餮はバキバキと音を立てて大蝦蟇を噛み砕いていく。

 そして彼を衣装ごと口の中へと押し込んでいくと、外れていた顎も元に戻り、普段のニヤケ顔に。

 

「ウフーーーー……。両生類は久しぶりに食べましたねぇ。東饗都は何でもそろってると思ってましたが、野生的な食事には中々ありつけませんでしたよ。なつかしー気分」

 

「てめェ……饕餮!!」

 

「ウフフ、部下のことを大切に思ってるんですねぇ。羨ましいかぎりです。玉藻さんはそうでもありませんでしたから」

 

 大蝦蟇を奪われた怒りは一瞬で瑞子を支配するが、彼は冷静さを欠かない。

 大蝦蟇は決して弱くなかった。だというのに、この社内で彼と饕餮が()()()形跡は無かった。

 つまり、二人の戦力にはそれだけ圧倒的な差があったということになる。鴉ですら、大蝦蟇に無傷で勝ってはいない。

 瑞子は情を抜きに、大蝦蟇のことは評価していた。

 饕餮は手を抜ける相手ではない。そう判断し、妖力を静かに昂らせる。

 

「まあまあ妖力も戻ったところで……私もそろそろ始めるとしましょうかねぇ。戦争を」

 

「始まるのは戦争じゃねェよ。蹂躙(じゅうりん)だッ」

 

「ああーー……んーーーー、確かにそうかもしれませんねぇ。私の、"食餌(しょくじ)"ですね」

 

「!」

 

 突如、ビル全体が震動し始める。

 震度3までの弱い地震どころの震動ではない。

 震動はどんどん強くなり、天井や壁にヒビが走り始める。それと同時に、饕餮が発するのと同じ性質の妖力がビル全体から轟く。

 ドス黒い、タールのような邪悪な妖力が。

 

「ウヒヒヒッ、ええ! さあ始めますよぉ! "世界"を並べた食卓の、貪食を!」

 

「ッ……!」

(まずっ──)

 

 

 ──"貪食料亭(タンシィリャオティン)"!

 

 

 フロア全体が崩落を始める。

 そして崩れた箇所から、いつの間にか巣食っていたシロアリのように、根を張った(かび)のように、ビル中に侵食していたドス黒い粘液が溢れ出す。

 粘液には無数の口がうごめいており、瑞子を喰らおうと唾を撒き散らしながら襲いかかった。

 

「チッ!」

 

 崩れる天井から、壊れる壁から、落ちる床から。

 数えきれない口が襲いかかってくる。

 文字通り四方八方から捕食しにかかってくる口を避けるため、瑞子は反撃を諦めて体を水流へと変える。

 ビルの外へ逃れるため、空中を滑るようにして逃亡を開始。迫る口を次々と回避しながら、廊下突き当たりの窓ガラスを目指した。

 

「おおっとぉ、逃しませんよ!」

 

「…………!」

(クソっ、数が多すぎるッ! いつの間にこれだけ仕込んでやがったんだ!? 体が削られるっ……!)

 

 口たちは水流そのものと化した瑞子を追いかけ、次々と一口、また一口と水を食いちぎっていく。

 どんどん体積が小さくなっていく瑞子だが、それでも逃亡の一択から選択肢を変えることなく外を目指した。

 だが、ドラム缶一つを満タンにするほどだった瑞子の体積は、コップ一杯程度分になるまでに食われてしまい。ようやく窓ガラスに到着したものの、体当たりの威力はガラスを突き破るに至らなかった。

 そして──

 

 

 バクンッ──!

 

 

「ごちそうさまでしたぁ〜〜っ」

 

 大質量の数十の口が迫り、あと少しとなった瑞子の破片を呑み込んでしまった。

 食いついた衝撃でガラスが割れ、黒い粘液の津波はビルの外へと飛び出す。

 瑞子はすっかり食い尽くされてしまい、もはや、()()()()()となって空中へ──消えてしまった。

 

「いくらこの国を支配する『四大財閥』と言えども、不意打ちをすればこの程度ですかぁ〜〜。存外、期待はずれでしたねぇ〜〜……」

 

 饕餮は廊下の突き当たりにまで来ると、窓の外を見下ろしながらそう呟いた。

 北北東の空からはキノコ雲は消え、空を灰色の雲が覆いかけていた。

 

「……空の割には、乾燥しますね──」

 

 そう言いかけた時、饕餮は目を見張った。

 自身の眼下。『一目連龍水道』本社の門前で、何やらうごめくものがあった。

 それは流動する、透明な液体。まるで、水。

 

「おや、おやおやおやおや〜〜っ……!?」

 

 ドクン、ドクンと、脈動するように。膨れ上がるように、体積を増していく水の塊。

 それは空気中の水分を吸い上げなら、形を成していくのである。

 それこそが、水の化身。瑞子鳴河の本質。

 

「やってくれたな……饕餮」

 

「……さっすがぁ〜〜……そうこなくては」

 

 

───────────

 

 

「何なんだ……てめぇはァッ!?」

 

 荒野となった斗島区。

 そこには赤黒い太陽が昇り、窮奇はその光に照らされていた。

 彼の眼下では、かの太陽と同じ暗い火が大地で揺らめき、そして形を成していく。

 完全に形を奪ったはずの鴉が、炎の化身となって蘇るのだった。

 

「窮奇、覚悟しろ。お前を殺す」

 

 

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