暁の黄泉鴉   作:マサイのゴリラ

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87.混濁する世界

「ガハッ……なにっ……!?」

 

 渾沌(こんとん)の手が玉藻の首を締めつける。

 絶対不可侵。そう誇っていた結界が、敵の侵入を許してしまった。

 その事実に、玉藻は理解が追いつかなかった。

 

(()()()()……それが能力じゃないのか!? 結界を無視して、内側に入ってくるとは…………)

 

 玉藻が考えを巡らせる中、渾沌はもう片方の手で握り拳をつくり、振りかぶる。

 擬態としての眼球はギョロリと玉藻の顔を睨みつけ、怒っているような、それでいて何かを考えるほどの知性も無さそうな。そんな顔で、殺気を放っていた。

 

 

 ドゴオォッ──!!

 

 

 渾沌の拳が鈍い音を鳴らす。

 ひしゃげたのは玉藻……ではなく、彼の背と結界がぴったりと密着していたエレベーターの扉。拳が貫通した鉄板は、まるで紙のように簡単に原型を失ってしまっていた。

 

「……危ないな。さすがに肝を冷やしたぞ」

 

 玉藻の声が後方から聞こえ、渾沌はゆっくり振り返る。

 玉藻は"転移"を用いて彼の手から逃れたのだ。

 

「どうやって私の結界をすり抜けられたのか、とか……魂ごと爆殺したはずなのにどうしてまだ生きてるのか、とか……。気になることは色々あるが、ゆっくり探られるほどの余裕を持つのは難しいみたいだね」

 

「ウゥゥ……!」

 

「フン……デブから獅子の獣人になって、凶暴性も上がったのかな」

 

 渾沌は体を玉藻の方へ向け直すと、姿勢を低く落とす。

 皮膚が変形した毛髪、顔のパーツは全て擬態に過ぎない。

 しかし、巨漢の形態の時では唸り声どころか息の音すら聞こえなかった。

 だが今は、くぐもった声が渾沌のダミーの口から漏れている。口のような()()()()()は、空気を震わせて音を鳴らしていた。

 

「アオォオオッ!!」

 

「"昏御津羽(くらみつは)"」

 

 床を蹴り、渾沌が玉藻に再度飛びかかる。

 ハッキリ姿が見える彼に、狙いを外すことはない。

 玉藻は指を鳴らして、渾沌の魂に自身の膨大な霊力を流し込んだ。

 再び渾沌の胴体は膨張し、肉片と血液を飛び散らせながら爆裂する。

 

「…………」

(魂は確かに捉えていた。渾沌の魂に、しっかり私の力を流し込み……破裂する感覚も確かだった……。どうだ)

 

 玉藻の周りに張られた結界に、渾沌の残骸がへばり付く。

 赤黒いそれらを眺めながら、玉藻は自分が感じ取っていた渾沌の"死"を思い返す。

 確実に殺せた手ごたえはあった。

 しかし、結果は変わることなく──

 

「……どうなってるんだ、本当に」

 

 渾沌の死体は一人でに動き、結界から離れる。

 周囲に飛び散った血液や肉片が本体の方へと集まり、何事も無かったかのように渾沌は復活した。

 彼は結界の外から、内側にいる玉藻をギョロリと睨みつける。

 

「多分、君の能力が関係してるんだろうが。魂ごと殺しても復活できるなんて、私の常識が死んでしまったよまったく」

 

「……」

 

「……君のメインの力だと思ってた"認識阻害"、こっちがサブか……もしくは、メインの能力の応用といったところかな?」

 

 玉藻は既にいくつか仮説を立てていた。

 しかしいずれも、納得するにはエビデンスが足りない。どこか引っかかりを覚える。

 

 一つは、月兎(げっと)のように奪った魂をストックし、それを"昏御津羽"の身代わりにしているというもの。だがこの理論は、渾沌と同レベルの妖力や霊力を放つ魂を用意していなければおかしい上、結界をすり抜けられたことの説明がつかない。

 

 一つは、認識阻害の能力の精度が想像以上であること。魂を捉えたと誤認させ、結界そのものの認識すらも狂わせて渾沌を中に入れてしまったという話である。前者ならまだしも、結界の認識を狂わせられるだなんてまず不可能である。"月夜深(つくよみ)"のように、技自体に意思や知能を付与しているならまだしも。

 

 最後の一つは、現実改変など因果律操作の能力。これなら二つの現象どちらも説明はできる。しかし、死亡してから能力を発動できていることがおかしいことになる。

 

「……もう少し試してみるか……」

 

「ウゥゥッ!」

 

「"昏御河巳(くらおかみ)"」

 

 飛びかかってくる渾沌。

 彼を避けようとする動きを見せることなく、玉藻はおもむろに手を差し出した。

 その手のひらに、紫電色の妖力の睡蓮(すいれん)が花開く。

 睡蓮の花弁は開花と共に、細く長く、無数の触手となって渾沌へと伸びた。

 

「さあ、どうだ──っ!?」

 

 妖力の触手は跳び上がった渾沌の全身を刺し貫く。

 その様子を見て、玉藻は驚きの声を上げた。

 

「……()()()()()()()()……!?」

 

 玉藻が使った技、"昏御河巳(くらおかみ)"は、対象の魂の位置を知覚して自動で攻撃する。

 つまり、貫く部位は魂のある一箇所だけである。

 本来、一対多という状況を見越して開発した技であり、一対一の戦いでわざわざこれを使うメリットは無い。

 だが玉藻は、渾沌の魂に隠された秘密を暴くため、あえて使用したのだ。

 そして、"昏御河巳"は渾沌の胸や頭といった一箇所を貫かず、全身をまばらに貫くことに。

 

「魂を分け、全身に分散させているのか……? いや、だとしても……今こいつは、死んでいない」

 

「ヴゥゥアアァッ」

 

「魂はしっかり捉えられている。それ自体を攻撃しても無駄、魂が全身……。そして、()()()……」

 

 玉藻が思考を巡らせる。

 彼の脳に、光明が見え始めた。

 

「魂=(イコール)肉体、だというのか」

 

「ヴァアアアァァッ!」

 

 全身を貫く触手を引きちぎり、渾沌が玉藻に鋭い爪を突き立てようと腕を振るう。

 渾沌の肉体は再び結界をすり抜けた。

 だが、玉藻は動かない。

 渾沌の凶爪は玉藻に届かず、血しぶきを上げる引き締まった腕が、空中を舞った。

 

「君の名前について考えてみたよ。渾沌の"渾"は、物事が分かたれてハッキリした状態を指す。"沌"は、物事が混じり分かたれず曖昧に存在している状態を」

 

「…………!」

 

「ちょっと話がズレるが、霊体というのは魂=肉体というわけではない。霊体はあくまで、霊力によって構築された体であり、魂が命ある者の核であるという役割は逸脱しない。そして、君はしっかり実体のある()()の持ち主だ」

 

 玉藻は喋りながら、切り飛ばした渾沌の腕を指さす。それと同時に、腕は爆裂して破片が飛び散った。

 

「魂がそのまま肉体であるというのは、まずあり得ない話だ。そこで、さっきの君の名前。そして、結界をすり抜ける現象。君の能力の正体は──」

 

 

「あらゆるものと混じり、分かたれる能力」

 

 

「……」

 

 聞こえているのか。それとも聞こえていないのか。言葉を解しているのか、いないのか。

 玉藻でさえもわからない、渾沌の無表情。

 バラバラにされた腕は再び、本体の元へ戻ろうと(うごめ)く。が、玉藻はそれを許さず指先から妖力の光線を撃ち、破片全てを文字通り消し炭にしてしまう。

 

「魂と肉体を混じり合わせ、魂に君の肉体の不死性を付与……。そうすることで、"昏御津羽"を耐えたんだ。肉体が残っていれば、自動的に魂も蘇るから。結界をすり抜けたのは、触れると同時に自分を結界そのものに溶け合わせ、内側に入る時に分離──そうやって器用に能力を使ってた。どうかな?」

 

「…………」

 

「その沈黙は正解ってことでよろしいかな? ああ、そもそも話せなかったっけ」

 

 正体見たり、と得意げになる玉藻。

 実際、彼の推測は当たっていた。

 渾沌という名前の通り、彼はあらゆるものと混濁する能力を持っている。

 この能力はあくまで、渾沌を中心として発動される。そのため、かつて天地全てが混ざり合っていた『混沌(こんとん)』に、世界を還すようなことはできない。

 それでも、渾沌を殺し切るのは並の存在には不可能である。

 

「そういう能力、一見無敵に見えるが……早い話が、君を細胞一つ残さずに消し飛ばしてしまえばいいだけのことだ。魂も肉体も、ゼロにしてしまえばね」

 

「…………」

 

「フフ、見逃さないよ。一瞬体がこわばったな。怖がらなくても大丈夫だよ、すぐに終わる」

 

 結界を解除し、玉藻は渾沌に歩み寄る。

 何をしようとしているのか。その想像ができなかったのか、渾沌は思わず後ずさる。

 

「とはいえ、ここでそういう技は使いづらい。場所を変えようか──」

 

 玉藻の姿がフッと消える。

 直後、渾沌の左肩にトンと手が置かれた。

 彼は反射的に拳を握り、背後に回った玉藻に殴りかかる。しかし、手ごたえは無く。

 気がつけば、渾沌を取り巻く光景は玉藻のラボから夜の荒野へ。

 否、夜にしては明るかった。しかし空は、確かに黒色だった。星も(またた)いている。

 だが、普通の夜空と違った点があった。

 月の代わりに浮かんでいたのは、青い星。地球。

 

「ようこそ、月面へ」

 

 空気が無いはずの空間に、玉藻の声が響く。

 彼の妖力は(たかぶ)り、金色の九尾はさらにその輝きを増していた。

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