暁の黄泉鴉   作:マサイのゴリラ

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96.月面の戦闘

「ようこそ、月面へ!」

 

「…………!?」

 

 荒涼とした砂原。

 頭上に広がる夜空。

 そして、眼前に浮かぶ青い星。

 玉藻と渾沌(こんとん)は月面へと転移し、その地を戦場にせんとしていた。

 

「空気が無い場所でどうして喋れる? って感じのことでも思ってるかな?」

 

「……」

 

「ああとも。私の周りにはあるよ、空気。でも君のいるところは──」

 

 玉藻がそう言いかけた瞬間、渾沌の体表に無数の()が浮き出てくる。ボコボコと、沸騰するように。

 

「真空なんだ」

 

 空気の無い宇宙空間では、人間は数十秒で窒息。死に至る。

 しかし渾沌は尋常の存在ではなく、呼吸をそもそも必要としていない。

 食事も要らない。魂から生み出される膨大な霊力だけで、彼は生きているのである。

 だから自身が置かれている場所が真空なのか、そうではないのか。すぐに理解することができなかった。

 真空空間に放り出された生身は、数秒でその水分が沸騰する。

 渾沌を襲う現象はそれであった。

 

「あ、じゃあなぜ私の声が君に届くのか、疑問に思っただろ。それは──あーー、あーー。念話ってやつさ。今、君の脳に直接話しかけています……ってね。厳密には魂に直接お送りしてるんだが」

 

 体中が沸騰し慌てる渾沌を眺めながら、玉藻は誰も聞いていない解説をしていた。

 妖怪の中には、発せられる霊力に思念を乗せて相手に伝えることができる者がいる。人間にも、超能力者と呼ばれる者の中にはこれを可能とする特異体も稀にいる。

 渾沌は自身の体のあちこちを手で押さえたり、腕をブンブンと振って体表に浮かび上がる気泡を分散させようと試すが、抵抗虚しく沸騰はどんどん進む。

 

「肉体自体は丈夫だからか。体が膨張するようなことは無いか。だが、あと数秒ほどで体中の水分の蒸発が終わるかな。そうしたら、気化によって熱を奪われ……徐々に体が凍りつく」

 

「ッ……!!」

 

「だが冷たさを体に感じさせる空気が無いから、凍りつく感覚は体が動きづらくなっていくことでしか自覚できない」

 

 玉藻は鼻を鳴らしながら言う。

 抵抗をやめた渾沌は、己の意思だけで動きを止めたわけではない。

 既に、腕の関節は凍りつき、無理に動かせば折れて崩れてしまう可能性があった。

 凍結されることは渾沌にとっても初めての経験。無理にダメージを負うことも、できれば避けたかったのである。

 

「ッ!!」

 

「おっ」

 

 渾沌は妖力を解放する。

 ブワッと月面の砂を撒き上げ、彼の姿が隠れてしまう。

 そして、砂埃が晴れたその場に、渾沌は()()()()()()()()()()立っていた。

 

「……へぇ。もしかして、真空状態そのものに混ざったしたのかな」

 

「……」

 

「尋ねるだけ無駄か──」

 

 玉藻が言い終わるとともに、渾沌は地面を蹴って彼に迫る。

 高速で近づく渾沌は拳を握り、玉藻の端正な顔立ちを破壊せんと振り抜いた。

 

「残念。君の能力にはもう引っかからないよ」

 

「……!」

 

 玉藻は結界を張っていた。

 これが玉藻と共に月面へ移動させられた空気を逃さず、過酷な宇宙空間から彼を完璧に守っている。

 しかし、あらゆるものと混ざることができる渾沌に、頑丈なだけの結界は無いに等しい。

 渾沌を阻める障害など存在しない、はずだった。

 彼の拳は止められていた。

 

「君が混ざれるのは、あくまで認識できた物までのようだ。つまり君自身の反射神経頼り。混ざる物の数は関係なさそうだねぇ。宇宙空間そのものに溶け込み、私の結界に溶け込み……。どうかな?」

 

 渾沌の右拳を止めていたのは、紫電色に輝く、何の性質も付与されていないただの妖力の塊だった。

 玉藻はそれを、渾沌が認識できないスピードで生成し、拳を受け止める盾とした。

 

「ッ……!」

 

「弱点、看破されちゃったねぇ〜〜」

 

 渾沌はすぐさま左手に力を込め、玉藻の顔面に掌底を叩き込もうとする。

 だがそれよりも速く、玉藻は妖力の塊を爆破。渾沌の右上半身を吹き飛ばす。

 

「"猿咫飛子(さるたひこ)"!」

 

 吹っ飛ぶ渾沌の体。

 玉藻は容赦なく追撃し、手のひらから紫電色の妖力弾を三つ放つ。

 渾沌の体に迫るとともに槍状に変形した妖力弾は、そのままその胴体の断面に突き刺さった。

 パチンッと玉藻が指を鳴らすと、妖力弾は一瞬輝き爆発。渾沌は、下半身だけを残して小重力空間を舞った。

 

「…………!」

 

 しかし、彼はすぐにムクリと起き上がる。

 瞬時に体を全回復させる再生力は健在だった。

 

「そろそろ私も本気で君を消すとしよう」

 

「……」

 

 玉藻は金色の九尾をより一層輝かせる。

 扇状に広がったそれらは、風が吹いていない中でもなびき、宇宙で最たる美として玉藻の背後で揺れていた。

 

「"武甕雷(たけみかづち)"」

 

 右手を左手のひらに突き立て、妖力を込める。

 すると、右手の指先から前腕までを金色の妖力が覆った。

 形を変え、薄く広がり、先端は尖り。

 剣となる。

 

「はぁッ!」

 

「ッ……!」

 

 玉藻は渾沌へと高速で迫る。

 渾沌もそれに呼応し、地面を蹴って玉藻へ向かう。

 拳を掲げる渾沌に対し、妖力の刃を纏った手刀を迎え討つ玉藻。

 二人がぶつかり合えば、周囲に妖力の波動と砂埃が巻き起こる。

 

「フッ、やはり肉体そのものはあまり頑丈じゃないようだ!」

 

 そう投げかける玉藻の目線の先には、真っ二つにされた渾沌の拳が。

 玉藻の妖力の刃、"武甕雷(たけみかづち)"は高速振動している。細かい妖力の粒が超高速で移動することで振動を実現しており、触れたものを容易に切断できるのだ。

 渾沌はすぐさま拳を修復し、脚を振り上げて砂埃を立たせる。

 目つぶしだ。

 

「"昏御河巳(くらおかみ)"」

 

 玉藻は左手に、紫電色の(はす)を咲かせる。

 妖力でできたそれは、生命の魂を感知し、貫いて破壊しようと無数の触手を自動で伸ばす技である。

 だが、玉藻は触手が伸びきるのを待たない。

 触手が数ミリ、向きを統一して伸びたのを見た瞬間、その方向を妖力刃で振り払った。

 

「ッ……!?」

 

「甘いな、渾沌」

 

 間一髪のところで反応しきれた渾沌は、後退して妖力刃を回避しようとした。

 それでも胴体に横一文字に深い傷を負わされてしまう。

 玉藻はまだ攻撃の手を緩めない。

 怯む渾沌の顔面を鷲掴みにすると、そのまま地面に叩きつけた。

 

「斬り刻んでやる、よッ!」

 

 地面に突っ伏す渾沌の後頭部をさらに蹴飛ばし、地面へ押し付ける。

 玉藻は空中へ飛び上がると、うつ伏せに倒れる渾沌を月面もろとも滅多斬りにしていく。

 伸びた妖力刃は数メートルの刃渡りとなり、玉藻の妖力が及ぶ範囲に無数の斬撃を刻みつけていった。

 

「消し飛べ」

 

 数十の斬撃を放ち、地表が巻き上がる砂や小石で隠れてしまう中。玉藻は左手を渾沌のいた地点へ向け、圧縮された妖力弾を放つ。

 紫電色の光弾が着弾すると、周囲数百メートルを吹き飛ばす大爆発が起こった。

 

「…………」

 

 無論、玉藻は無傷である。

 自身で放った攻撃であろうと、彼を覆う結界には傷一つ付かない。

 これをすり抜けられるようなことでもなければ、玉藻に傷を負わせることは不可能である。

 

「……まあ、これで死ぬとも思ってなかったけどね」

 

「……」

 

 砂埃が晴れ、直立する渾沌の姿が露わになる。

 相変わらず彼も無傷であり、焦点の合わない二つの眼球を上空の玉藻へ向けていた。

 

「ん?」

 

「ッ!!」

 

 渾沌は腕を伸ばし、玉藻に手のひらを向ける。

 赤い妖力がそこに集められると、光弾へと変化。玉藻へと撃ち出される。

 

「……私の真似事かな?」

 

 光弾は結界にぶつかり、爆発。玉藻は無傷である。

 だが次の瞬間、爆発の衝撃が再び結界に伝わった。

 玉藻が振り向くと、赤い妖力がちょうど霧散していくところであり。

 そのさらに奥では、赤白い肉片が浮かんでいた。

 

「ああ……そういう。自分の肉片の一部を切り離して、遠隔で操作しながら妖力を放つ衛星子機(オービット)みたいなものか。でもそんな曲芸、私には通じないよ」

 

 面白くなさそうに言う玉藻に、渾沌はニィと(くぼ)みでしかない口を歪ませる。

 怒っているのか、笑っているのか。玉藻にもそれはわからなかったが、どのみち自身に通じる攻撃ではないとたかを括った。

 

「……そろそろ飽きてきた。いい加減決着つけようか、渾沌」

 

「…………?」

 

 玉藻は人差し指を立てると、その指先に妖力を集中させる。

 最初は紫電色の小さな光球であったが、それは黄金色に変わり、そして中心からドス黒い色が広がっていった。

 得意げな顔で、玉藻は見下ろしている渾沌に投げかけた。

 

「渾沌、"反物質"って知ってるかな?」

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