暁の黄泉鴉   作:マサイのゴリラ

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97.アンチ・マター・パワー

「1932年、アメリカの物理学者カール・ディヴィッド・アンダーソンは宇宙線から陽電子を発見した」

 

 玉藻は金色のオーラに包まれた、バスケットボール大のドス黒い妖力塊を掲げたまま、目下の渾沌に説明する。

 

「電子というのはマイナスの電荷を持っているが、その陽電子は違う。電子の正反対、プラスの電荷を持つ。原子というのは電子の回転によって形作られているわけだが、つまるところその陽電子(=反粒子)によって構成されているのが──」

 

「…………」

 

「"反物質"だ」

 

 渾沌は無表情のまま、ただただ玉藻を見上げている。

 玉藻は言葉を続けた。

 

「……で、その反物質が何だって話なんだが。プラスとマイナスの電荷の話はしたね? この二つの正反対の電子は、互いの性質を打ち消し合おうとする。つまり物質と反物質が接触した時、お互いにその存在を抹消しようとし……質量は完全にゼロとなり、エネルギーに変わる。その現象こそが対消滅(ついしょうめつ)というもの」

 

 玉藻は空いている左手をフッと上げると、それぞれ金色と紫電色の妖力の塊二つを浮かばせる。

 そしてピンポン玉サイズのそれらを空中で衝突させる。すると音もなく二つは弾け、一瞬だけ輝き影も形もなく消失した。

 

「対消滅はこの世に存在するあらゆる実体を消滅させ、エネルギーとして拡散させる。渾沌よ、君がどれだけ優れた再生力を持っていたとしても、同じ質量の反物質をぶつけられたら──」

 

「……!」

 

「跡形もなく、確実に消える」

 

 玉藻は周囲数キロメートルに渡り、円形の結界を張る。

 一枚だけではない。何重にも、玉葱(たまねぎ)の皮のように自身と渾沌を包んでいく。

 

「"此花磔矢(このはなさくや)"」

 

「!?」

 

「正直、この技は結構シャレにならないんだよね。扱いを間違えたら、私も危ない。だからきちんと安全を確保して使おうと思う」

 

 渾沌の肉体に、再三無数の光の槍が突き刺さる。

 その場から動けなくなった彼の前に降り立った玉藻は、しばらく右手の指先に生成したままであったドス黒い妖力塊を差し出す。

 可視化されたその妖力は脈動するように(うごめ)いており、今にも外膜として機能している金色の妖力を突き破りかねない状態だった。

 

「さっき君を掴んでみて、何となくで質量を推測してみたよ。グラム換算で、大体80000gぐらいかな? だから今、私の手元にある()()の質量も同じ80000g分だ」

 

「ッ…………!」

 

「ちなみに、1g分の対消滅で、廣島(ひろしま)に落とされた原子爆弾の三倍の威力を出せるんだ。3×(かける)80×(かける)1000で……原爆一発の24万倍の威力だよ? すごいよね」

 

 物質の消滅。圧倒的な破壊。

 これから起こる出来事は、この世に生きる者にとって危険極まりないものである。

 しかし玉藻は、その声色に興奮を含ませていた。

 なぜなら、反物質の生成は可能でも実戦で使うのは今回が初めてだったから。

 

「大雑把に言えば、月の表面積の三分の一は焼き払えるだろうさ。まあ、来世じゃもっと穏便に死ねるよ、多分」

 

「……!」

 

 渾沌は自身に突き刺さる光の槍──"此花磔矢(このはなさくや)"──を無理やり突破しようと、体をひねったり、槍そのものをへし折ろうとする。

 前回の拘束では、肥満体の柔らかい肉を貫かれていた分、自身の肉体を引きちぎって抜け出すことができた。

 だが今のマッシブな獣人の姿では、増した頑強さが(あだ)となって手こずってしまう。

 

「じゃあな、渾沌」

 

「ッ────!!」

 

 玉藻はそう言い残すと、渾沌に向けて妖力塊を放り投げる。

 そして瞬時に"転移"を使ってその場を離れた。

 妖力塊は身動きの取れない渾沌に触れると、その肉体を一瞬で蒸発、消滅させ、超強力な光エネルギーへと変換する。

 圧倒的エネルギーの奔流そのものにされた渾沌は、そのまま結界に覆われた月の荒野を吹き飛ばす。

 

 

 ──"素殺嗚(すさのお)"

 

 

 玉藻が対消滅のエネルギーを抑えるために張った結界は、硬度そのものは彼の周囲に張られたものには遠く及ばない。

 幾重(いくえ)にも張られた結界は薄氷のように割れていき、最も外側に張られた、漆黒(しっこく)の結界に爆風と光が受け止められる。

 内側の結界はエネルギーの吸収と細分化を役割とし、最も重要な外側の結界に対して弱いエネルギーの連続した衝突となるように調整するためのものだった。

 

「…………」

(さて、どうだ……)

 

 玉藻はまだ月面にいた。

 圧倒的な光を放つ、対消滅の爆発。それを黒い結界で覆ったために、地球からは月面に黒い影が見える以外の異変は見えない。

 結界で覆ったエネルギーは宇宙の適当な場所へ棄てるとして、渾沌を仕留めきれているかどうか。玉藻はそれが気がかりだった。

 

(私も()()()反物質は生成できない……。"素殺嗚(すさのお)"はあくまで、反物質の性質を限りなく再現した妖力の塊に過ぎないからな。対消滅自体が上手く起こっていれば、渾沌も殺せてはいるだろうが)

 

 "転移"で最も必要とされる要素は、転移先の地点を完全に把握していること。

 地球上だけでの転移に絞れば、風景や地点そのものは変わりづらく、一度訪れる程度で転移先として選択できるようになる。

 だが、それが星の外を対象とすれば話は別である。

 惑星の位置は日時によって常に移りゆく。

 いつ、どこにその星があるのか。三次元的に確実に地点を把握していなくてはならない"転移"を、星外である月面にまで可能とした玉藻の脳には──宇宙が広がっているのだ。

 

「……渾沌は、できればこの手で消しておいた方がいい。宇宙の片隅とかに放り込んだら、どうなるかわかったものじゃないからな……」

 

 腕を組んでそう呟く玉藻。

 すると、足下にかすかな振動が伝わった。

 

「……!」

(おいおい……まさか)

 

 おもむろに背後へ振り向く。

 玉藻の眼前には、なんと足があった。

 赤い、手羽先の中身のような脚。足首から膝、太もも、腰、腹……と、徐々に肉体が構築されていく。

 頭頂部まで再生しきれば、またも焦点の合わない眼球を玉藻に向ける。

 渾沌、復活である。

 

「……こいつ、どうなってるんだ……?」

 

「…………」

 

 玉藻の頬を、冷や汗が伝う。

 

「なーーんで細胞一つ残さず消し飛ばしたはずなのに、生きてるのかなぁ。あの一瞬で空間と、世界そのものに混ざって避けたとか?」

 

「…………」

 

「……何とか言えよ」

 

 ほんのわずかな焦りが生まれた玉藻。

 否、彼は緊張感と言う。

 数千年生きて初めての緊張感。それを与えたのは、ひたすらに強い大妖怪ではなく、どう殺せば死ぬのか全くわからない。まさしく蒙昧(もうまい)たる存在だった。

 

「まだ何か隠してることがある、ということか……」

(再生してきたところを見るに、おそらく能力を使って回避したわけじゃない。"素殺嗚"は確実に食らっている。ただ、やつの再生のメカニズムの問題か)

 

 (にら)み合いながら思考を巡らせる。

 文字通り、ゼロから自身の肉体を再生できるというのであれば、魂を起点としたそれが考えられた。

 そうであるなら、玉藻にとっても初見ではない。だが、"素殺嗚"は妖力攻撃でもあり、魂そのものにもダメージを与え、そうすればそもそも霊力による再生が不可能となるはずだった。

 

(霊力でも妖力でもない……他の要因で再生しているのか? だが、それは一体……?)

 

「ッ!」

 

 突然、渾沌が体を震わせる。

 ブルブルと、痙攣(けいれん)でも始まったかと玉藻が思えば、渾沌の肩が変形して肉塊が伸びていく。

 ピザ生地のように伸びる肉の塊は、引き締まった今の彼の肉体のどこに隠れていたのかというサイズになり、やがて千切れて分離する。

 

「なんだ……?」

 

 玉藻が怪訝(けげん)な顔で見ている中、渾沌から分離した肉塊は、本体の体躯を超えるほどに膨れ上がっていく。

 巨大なバルーンのようなシルエットから、下部には四本の象のような足が現れ、丸太のような人間の腕が生える。

 肉塊の最上部には頭は現れず、切り落とされた首の断面だけが伸び。背後には、真っ白な六枚の翼が出現する、

 

「……()()()()()()()()?」

 

「…………!!」

 

『…………』

 

 それは、今の姿に変身する前の渾沌にも似ており。

 玉藻はすぐに理解した。

 『四凶』は人間の生まれであるが、人間をあまりに逸脱した力を持っている。玉藻は彼らの背景に、何かが絡んでいることは想像できていた。

 そしてその答え合わせが今、されたのである。

 

「神、ねぇ……」

 

 窮奇の背後に現れた禺強(ユーチアン)

 それと同じように今、渾沌の背中から帝江(ディージアン)が産まれた。

 肥満体ながらに歌舞の神であり、渾沌の力の源となっていた大いなる意志そのものである。

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