転生爺のいんちき帝王学   作:嶋野夕陽

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幼少期

「覚えてなくて当然、あたしも当時はただの街の娘だったからね」

「……うぅむ、名は?」

「アン」

「ああ、あのおてんば娘か」

 

 グレイはポンと手を叩いて、一人の女性を思い出す。

 一桁歳の時に、色々と構ってくれた優秀な狩人の家の娘だ。

 両親からはそれほど愛情を注がれなかったが、街の住人は案外グレイのことを気にして構ってくれたものだった。

 

「坊ちゃまは昔からやんちゃで、本当によく手を煩わせてくれたよ」

「いや、たまに魔物を狩った帰りに寄ってただけじゃろ」

「血の付いた手で壁に触ったり、土を落とさず上がってきたり、一人で森に入ってうちの両親が慌てて追いかけたり、毎日騒がしかったけどね! 何度も頭をひっぱたいたり頬をつねったりした記憶があるよ。家事はみーんな長女のあたしの仕事で、なぜだかうちの親はあんたに甘々だったからね」

「お前の両親は腕のいい魔物狩人じゃった」

「もう死んだけどね」

「そりゃあ歳だからな」

 

 グレイが子供の頃に三十半ば。

 今生きていれば百に届く年齢であるから、生きている方がおかしい。

 

「違うよ。アルムガルド家がいなくなった街に残って、魔物に食われて死んだのさ。生まれ育った街を捨てられないと言ってね」

「馬鹿な……。あ奴らならいくらでも他で生きられただろう。それこそ、お前のように冒険者にでもなれば……」

 

 グレイは実に数十年ぶりに激しく心を揺さぶられた。

 旧アルムガルド領の街が廃墟になっていることは風の噂で聞いていたが、まさかあの強かった領民が魔物に食われて死んだとは思っていない。

 

「そうさ、馬鹿な両親だった。だけどね、ある程度年を取った者たちは、街に殉じて死んだよ。故郷を捨てられなかったのさ。アルムガルド家と共に魔物を倒して生きることが誇りだったのさ。何があったか知らないけどあたしはね、あんたたちアルムガルド家を恨んでいたよ。なぜ勝手に死んだのかと。なぜ街を見捨てたのかと。だけどね、この年になると、もうそんな恨みも風化してくる。恨んで生きるのは疲れるものさ。きっと何か事情があったのだろう。どうしたって譲れぬ事情があったのだろうって、自分に言い聞かせて生きてきた。……相変わらずなグレイ坊ちゃまを見たら、思わず恨み節も出てしまったけど、今となっちゃあね」

「婆ちゃん……」

「はー、やれやれ……、黙っててやろうと思ったのに。坊ちゃま的に言わせてもらえば、藪をつついて蛇を出したってやつさ。昔から坊ちゃまは妙に説得力のある、変な言い回しが好きだったね」

 

 倒木に腰かけたアンは、グレイと向き合って苦笑する。

 その表情には言葉通り恨みなどみじんもこもっていないように見えた。

 

 一方でグレイはしばし黙り込む。

 自分の判断が知人の多くを死に誘ったと、実に五十数年越しに知ってしまったのだ。

 

 少なくともアルムガルド領に住んでいた狩人たちの上澄みは、ロブスが見ればよだれをたらして勧誘して回る様な逸材ばかりであった。時折竜食山や呪い谷から流れ込んでくる超大物の魔物以外は、アルムガルド家を抜きにしても狩ることができたはずだ。

 

「本当に馬鹿な…………」

 

 グレイは転生者だ。

 自分なりに必死に努力して生きてきたつもりだが、却ってそれが気味悪かったのだろう。

 いくら優秀でも家を継ぐ立場でなかったことも災いした。

 家に馴染めず、家に勤める者たちからも冷たい目で見られて育った。

 そんな家から飛び出し、半分魔物と戯れながら生きてきたような幼少期に、面白がって優しく接してくれたのが街の魔物狩人たちであった。

 

 家の者は気味悪がって叱責すらしてこなかったが、街の住民は坊ちゃま坊ちゃまとはやし立てる割に、ちょっとでも悪戯すれば拳骨が降ってくる。危ないことをすれば叱られる。

 グレイはそんな住民たちのことが好きだった。

 そして、働けど働けど魔物の脅威にさらされ続ける心の根の良い住民たちを、哀れにも思っていた。

 

 結果から言えば、それは見当違いの哀れみだったのだろう。

 幼少期のグレイの、アルムガルド家嫌いによる偏った考えからくる、そうであってほしいという願望でしかなかったのだろう。

 今になれば思うところがあるが、若い頃のグレイはそんなことには気づかない。

 貴族の誇りも、序列も、住民の誇りも、地元への思いも、執着も、もとは現代人であったグレイは持ち合わせていなかった。あっという間に家族から避けられて、学ぶ機会すらなかった。当たり前のように王都の学園へ放逐されて、結局分からぬまま成長した。

 そしてそれは、貴族社会において圧倒的に異質な存在であった。

 異質な存在は弾かれる。

 弾かれれば反発する。

 グレイの人生は、この世界の当たり前との闘争の歴史でもあった。

 なまじ負けず嫌いで、努力家で、才能があって、その上ひねくれていた。

 だからたった一人の人生だった。

 たった一人の人生だと思い込んで生きてきた。

 

 グレイがすっかり黙り込んでしまったのを見て、アンは思いのほか自分の話がこの子供のような性格をした老人を傷付けたことを悟った。

 こうなってしまうと、姿は老人でも、昔の姿を思い出してしまって申し訳ないことをしたような気持ちになる。

 グレイは、アンの両親と共に家に帰ってくると、その日の成果をいつも自慢げにアンに報告してくれていた。そんな普通の幸せな日々が、グレイにとってもそうであったとアンにも理解できたのだ。

 

「生涯最初で最後の墓参りさ。坊ちゃまも付き合ってくれるだろう?」

 

 自暴自棄で森を駆けまわっていた時に殴って止めてくれたのは、実の父でも兄でもなく、アンの父親だった。その時は大喧嘩して互いに酷い怪我をしたものだ。

 最後には、大人げなくグレイの背中に足を乗せて勝利宣言した糞頑固おやじである。

 思い出したら腹が立ってきたが、我流でしか魔物を狩っていなかったグレイに、魔物狩りのイロハを教えてくれたのもその頑固おやじだった。もしかするとグレイが頑固な人間を好むのはそのせいかもしれない。

 

「…………そうじゃな。一度くらい参っておかねば、あの頑固おやじにぶん殴られる」

「一発殴られた方がいいんじゃないかねぇ」

「化けて出たら返り討ちにしてくれるわ」

 

 軽口が戻ってきたところで、アンとグレイは、互いに体を揺らして笑ってから、昔話に花を咲かせるのであった。




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