転生爺のいんちき帝王学   作:嶋野夕陽

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グレイの硬い拳

 街のほとんどは繁殖した黒点猿の住みかとなっていた。

 どうしたって物陰が多いから、接近されることは仕方がない。

 遠くの敵は女性陣が魔法で仕留め、襲ってきたものは男性陣が武器で仕留める。

 役割分担しながら戦う〈サッシャー家〉には隙がない。

 

 ちなみにグレイは一人で両方やる。

 もちろん隙はない。

 

 通常よりも進む速度は少しばかり遅いが、ほぼノーストップだ。

 目まぐるしい戦いの中で、ただの一匹も陣の真ん中にいるクルムや子供たちの下までは辿り着かない。

 

 黒点猿たちは決して弱くないが、狩人たちを滅ぼすにはあまりにも力不足である。

 グレイはどこかに他の魔物も潜んでいるのではないかと警戒していたが、結局かつてのアンの家に到着するまで、それらしい魔物は姿を見せることがなかった。

 加えて、途中からとてもかなわないと思ったのか、それとも数を随分減らしたからか、黒点猿からの襲撃もやんだ。

 

 目的の場所に到着したアンは、足を止め、崩れ落ちた廃屋を見つめる。

 グレイもまた、その後ろに立って静かに物思いにふける。

 

 随分と草も生えて蔦に巻かれてしまっているが、現物を見れば思い出すことも様々ある。

 この世界は糞だと、半ば自暴自棄で魔物を狩りまくっていたグレイに、人らしい生活と感情を取り戻させてくれた場所であった。アンの話を聞いてみれば、恩をあだで返したような形になる。

 たくましい人たちだと思っていた。

 だからきっとどこかで元気にやっているだろうと信じていたのだ。

 

 いくら傍若無人なグレイと言えども、思うところはある。

 

「……両親はね、坊ちゃまのことを恨んじゃいなかったよ。残った狩人たちはみんなそうだ。アルムガルド家はあたしたちと一緒に戦って、あたしたちと一緒に生きた。特に坊ちゃまは、何度も何度も狩人たちを助けてくれたさ。だからこそ、やってきた偉そうな奴らと共に戦う気にはならなかった。狩人を案内人として利用したあげく、捨て駒にして逃げ出すような貴族とはね」

 

 アンは腰をかがめ、その辺に咲いていた花を摘みながら言葉を続ける。

 

「そいつらはこんなところは住めないと、新しい街を作る計画をたてた。民のいない街なんて成り立たないから、やつらはあたしたちに移住を求めてきたよ。もちろん、断ったけどね。アルムガルド家を馬鹿にする貴族の下へなんぞ行くものかとね。あたしはともかくね、少なくとも多くの住民は、坊ちゃまのことを好いていたよ。皆がここで死んだのはね、坊ちゃまたちだけのせいじゃない。色々あったんだ。……本当に、色々ね」

 

 束ねた花を供えるようにして地面に置いたところで、アンは「さて、そろそろ……」と言いながら振り返って、途中でぴたりと動きを止めた。

 

 妙な気配を感じてグレイも振り返ってみると、異様に筋肉の発達した、体長二メートルは越えるであろう黒点猿が、他の黒点猿を率いてやってきている。頭にはちょんと、似合わぬ古びた帽子を乗せており、顔の周りには鬣のような白い鬚がぐるりと生えていた。

 

「ありゃあ、まずいね」

「ふむ、親玉か」

 

 喋った直後に魔法の詠唱を始めたアンは、すぐさま魔法を発動させる。

 たくさんの黒点猿が貫かれて命を散らす中、親玉はひょいっと体を躱したかと思うと、生えてきた棘を殴り折って、そのまま振りかぶってグレイたちに向けて投擲してきた。

 

「儂がやる」

 

 家長たちよりもさらに前へ出たグレイは、飛んできた岩の棘を手の甲ではじいて逸らしつつ破裂させる。真正面で受けることもできたが、油断ならぬ相手を目の前にして、破壊した破片で視界を塞がれるのを避けたかった。

 案の定親玉は両方の拳を地面について一気に距離を詰めてきている。

 

「お主らは防衛だけせよ! 反撃はあれを倒してからじゃ!」

「任せる!」

 

 家長が鋭く返事をして、〈サッシャー家〉はぐるりと円陣を組み、中にいる子供たちとクルムを守る陣形をとる。

 

 人としては相当に大きくガタイの良いグレイだが、流石に二メートルを超える筋肉の塊を目の前にすると、普通の老人のように見えなくもない。

 親玉の口角は笑うように大きく上がっており、歯がむき出しになっていた。

 魔物の笑みというのは威嚇であり、今からお前をこの牙で殺すという宣言でもある。

 先ほどの攻撃を払った時点で、この親玉もグレイがただものではないことを察したのだろう。油断はなく、最速で殺すべくグレイの首を狙って飛びついてきた。

 

 グレイの口角もまたぐっと上がり歯が見える。

 齢七十を超えたとは思えない立派な白い歯であった。

 人は普通、何か楽しいことや嬉しいことがあった時に笑うものだが、この笑みは黒点猿の親玉と同じ意味を持っていた。

 

「猿風情が生意気な……!」

 

 グレイは呪文を唱えない。

 一歩、二歩、三歩、と踏み込むごとに全身に力がみなぎり、引いた拳が、全身の筋肉が、ぎしぎしと悲鳴を上げるほどに固くなる。

 

 幾人も屠って来たであろう親玉の鋭い牙と、数百数千と魔物を屠ってきた化け物じみた老人の拳が交差する。

 鋼のごとく硬質化したグレイの拳は、鋭い牙をへし折り、喉奥深く突き刺さり、それでも勢いを止めることなく、親玉の後頭部をまっすぐ地面にたたきつけた。

 すでに絶命必至であろう猿の頭が嫌な音と共に爆ぜ飛んだ。

 

 グレイは、空に舞った古びた帽子を綺麗な方の手でキャッチすると、頭のなくなった黒点猿をじろりと睨みつける。

 

「こいつはお前には似合わん」

 

 この帽子は、幼き日のグレイが狩人の禿げ頭を隠すために買ってやったものである。

 毛むくじゃらの猿の頭には到底似合わない代物であった。

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