親玉の黒点猿を殺せば、残りは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
アンはそれにすら追撃をして多くを仕留めるが、やがて一匹も姿が見えなくなると、深いため息を吐く。
故郷が猿に荒らされているのは気分がいいものではないし、魔法を集中して使ったことによる疲労感もあった。
歩いて戻ってきたグレイは、供えられた花の横にしゃがみこむと、黒点猿の牙を数本と、古びた帽子をその横に置いて手を合わせた。この世界の人間は死者に花を手向けることはあっても手を合わせることはしない。
この仕草もまた、グレイの精神性が未だどこか元暮らしていた世界に残り、この世界に馴染み切れていないことを示していた。
奇行はいつものことなので、あまり誰も気にしないけれど。
「あの親玉は強かったかい?」
「強かった、のではないか? 対峙した時点で腕と足に古傷があって庇いながら動いているようじゃった。随分と老齢であったようじゃし、最盛期ほどの強さはなかったじゃろうな」
あれだけ大きな体を支える手足だ。
グレイのことを警戒しているのならば、牙よりも先に手を出すこともできただろうし、もしかするともっと素早く動くこともできたのかもしれない。
それでも牙を頼ったのは、あの親玉に残された唯一の無傷の武器が、牙であったからなのだろう。
おそらくこの街という領域を確保するために、あの親玉も狩人と、そしてたくさんの魔物と縄張り争いをしたのだ。グレイたちがここを離れれば、いずれはあの黒点猿の群れも淘汰されて、別の魔物が街に居座ることになる。
結局この場所は今この瞬間だけしか、人の街になっていないけれど、アンにとってはそれで充分であった。
黒点猿にとっては随分と迷惑な話だが、魔物の住むエリアなんて常に弱肉強食だ。
殺される理由が恨みであろうが、縄張りの確保だろうが一緒だ。
負けたほうが悪いのである。
「さて、そろそろ帰るとするかね」
「そうじゃな」
黒点猿の素材は、はっきり言ってあまり金にならないのだ。
あまり増えても面倒なので、グレイがこの辺りに住んでいた当時も、黒点猿は見つけ次第排除するようにしていた。
その猿たちに街が占拠されていたというのだから、何とも皮肉な話である。
帰りの道を歩き出すと、横にすっと並んだクルムが、グレイの顔色をうかがってから口を開く。
「先生は先ほど何の詠唱もせずに猿に打ち勝ちましたが……、魔法無しではありえませんよね?」
「ほう、怖がらずによく見ておったな。大した観察力じゃ」
『まさかたった一度の観察でそこまで見抜くとは』、とグレイは素直に感心して、思わず賞賛してしまった。
「先生がいるのに死ぬならば、それは私の死ぬときでしょう。怖がるだけ無駄です」
得意になって持論を展開するのはクルムだ。
間違ってはいないが、ちょっと調子に乗ってしまっている感はある。
「言うではないか。確かに、魔法は使っておった。じゃがまあ、あれは秘伝のようなものじゃから他言無用。どうせお主には使えないじゃろうから、何をしたかだけでも教えてやろう」
グレイは声を潜めて注意をしつつ、ついでに調子乗って伸びた鼻をへし折っておこうと、余計な一言を付け加えた。
魔法を使うことのできる〈サッシャー家〉には聞かせられない内容だ。
子供のころから使っていたので、もしかするとアンの父親は察していたかもしれないけれど、それはそれ、これはこれ。戦うための手段は、特に実力者相手には知られるべきではないというのがグレイの考えだ。
家族ですら殺し合いになったのだから、いつどこで誰が敵になるかなどわかったものではない。
「はい、どうせ私には先生みたいな戦う才能はないですからね」
半目になって皮肉を言ってくるクルムに、グレイはにやりと笑う。
「そうじゃ、お主は魔法の才も戦う才も微妙じゃから無理じゃ。護身術だけ学んでおけば上々じゃろう」
「だからわかっていると言っているじゃないですか」
しつこい嫌味は半分趣味だが、半分は意味がある。
強者の戦いに憧れた者は、時折下手に努力をして、強くなったような気になってその身を滅ぼすことになる。
王になるというのであれば、自らが拳や剣を振るって戦うことに関しては、慎重なくらいでちょうどいいだろう。
しっかり眉間に皺の寄ったクルムだったが、グレイにはそんな顔をしたって意味がない。怒った怒ったと喜ぶだけの糞爺である。
「あれはな、動作に魔法の意味を組み込んであるんじゃ。踏み込みと同時に詠唱をすることを繰り返し、やがて詠唱を踏み込みに変える。たった一人で魔物たちを殺すのに、いちいち口を動かしていては時間が足りぬ。声が出なければ戦えぬのでは危険すぎる。……お主のような聡い人間には、あまり使うと悟られるからな。使う時は殺す時と決めておる」
「なるほど……」
「憧れるなよ、お主には無理だ」
「憧れません。戦うのは私の仕事ではないので」
「なんじゃ、つまらん」
憧れるなと言ったりつまらんと言ったり、天邪鬼な年寄りである。
今日は一日神妙な雰囲気を出していたけれど、話し始めてみればやはりいつも通りの糞爺であったことに、クルムはなぜか安心していた。