帰り道でも時折魔物は出てきたが、グレイと〈サッシャー家〉は難なく撃退した。
往復で五日ほどの行程で、大きな怪我がなかったのは、グレイの強さによるものだけではなく、〈サッシャー家〉が十分に力を持った冒険者チームである証明でもあった。
〈リガルド〉の街の門をくぐり、そのまま宿へ戻る。
まだ昼を少し回ったくらいの時間だったが、〈サッシャー家〉の面々に礼を言って別れて部屋へ戻ったクルムは、身体をソファへと投げ出した。
まだグレイは同じ部屋にいるが、そこにまで遠慮していては気が休まる暇もない。
「疲れました……」
「そうじゃろうな。しかし本来の旅というのはあんなもんじゃ。魔物の襲撃は少々多かったかもしれんが。良い経験になったか?」
「はい、とても。足が棒のようですし、足の裏も随分と皮がむけてしまいました」
「きちんと綺麗にしておけ」
「そうですね……」
クルムは宿の者を呼び出して、足を洗うための水を用意してもらい、部屋で丁寧に汚れを洗い落とす。
グレイは窓の外を見ながら、クルムに話しかける。
「隠しておったつもりかもしれんが、家長とアン辺りにはお主が足を怪我しているのはばれておったがな」
「それでもかまいません。〈サッシャー家〉の方々が非常に優秀そうなので、できることならば自分の味方につけたいと思っています。結果的に良い印象を残せていればいいんです」
「腹黒いのう」
クルムは足を洗い終えると、荷物から軟膏を取り出して、傷口に塗りこみ、包帯でくるくるとまいて保護をする。こんな展開も見越して準備していたのだろう。
短い準備期間しかなかったはずなのに、随分と周到なことである。
「先生と一緒にいるようになってから気づいたのですよ。現政権や貴族制度に不満を持っている人は多い。そういった人々は、私の味方になり得ると」
「足並みをそろえるのは難しいじゃろうけどな」
「瞬間的に揃えばそれでいいんです。そこから先はまた色々考えます」
「ま、そうじゃのう。そこから先で偉く苦労しそうじゃが」
「まずは王位継承争いに勝つことが第一です」
「割り切ったのう」
足の治療を終えたクルムは「これでよし……」と言って足を引きずりながら移動し、ベッドに横たわった。
「少しだけ休みます。申し訳ありませんが、もしどなたかが尋ねてきたら、起こしていただけると……」
「うむ、さっさと休むが良い」
最後にあくびをしていたクルムは、靴を脱いで寝転がると、数秒で静かな寝息を立て始めていた。強がったことを言っていたが十三歳の少女が、初めて五日間通して旅をしてきたのだ。
いくら普段からグレイが鍛えていようと、身体は限界に決まっている。
褒めこそしなかったが、グレイも内心では『よくもまぁ気合いだけで頑張ったものだ』と思っている。
グレイは宿の者に頼んで汚れた桶を片付けさせ、茶を入れるためのセットを貰って部屋へ戻り、いつものお茶を入れてのんびりとした時間を過ごす。随分と年を取って体力は衰えたが、それでもたった五日程度普通に旅をしたくらいでグレイは疲労したりしない。
何せ貴族をしていた期間より、隠居老人をしていた期間より、冒険者をしていた期間の方が長いのだ。足の裏はすっかりガサガサで皮は分厚く、今更水ぶくれなどできる余地はなかった。
クルムは日が落ちても目を覚まさなかったが、グレイは起こしたりせずにそのまま寝かしてやることにした。夕食を部屋に運ばせて、起きた時に食べられるようにしておく。
グレイもソファでしばらくうとうとして、クルムが変な時間に目を覚ましたところで夕食を共に食べる。
食べ終わった後のクルムは真っ暗になった外をしばらく眺める。時折明かりを持った歩哨が通るが、それ以外の人通りは極端に少ない。場所によっては賑やかな場所もあるのだが、この辺りはそういった夜の遊びをするものが少ない区画となっていた。
パクスにしては意外と、ちゃんとした宿を用意したものである。
「変な時間に寝たせいで眠くなりませんね」
八時間近くしっかりと眠ったのだからそれも当たり前なのだが、グレイはちらりと見て軽くため息を吐きながら茶を入れる。湯気の上がる茶に、適当に体の温まる香辛料と蜂蜜を固めた携帯食を入れて、茶に馴染むのを待ってからカップに注ぐ。
「馬鹿なことを言っておらんで、茶を飲んで寝るんじゃな」
「別に冗談を言っているわけではないのですが……」
グレイのいるところまでやってきたクルムは、ソファに腰を下ろし、ゆっくりと茶をすする。
いつもとは違って角の取れた少し甘い味。
それでいて体は温まる。
すっとするような香りが落ち着いて、飲んでいるうちに少しずつ瞼が重くなっていく。
「飲んだらさっさとベッドに戻るんじゃな」
「……そうですね、寝転がっていればまた眠たくなるかもしれません」
クルムは時間を無駄にすることが苦手だ。
常に自分を追い詰め、時間に追いかけられるようにして生きてきた。
だから必要以上に眠ることに抵抗があるのだが、どうやら眠気には抗えないようであった。
ふらりと立ち上がると、ベッドに座り、横になってすぐにまた寝息を立て始める。
クルムが、本人が思っているよりもずっと疲労していることを、長く子供を見てきたグレイの方がよく分かっていた。
「まったく、自分の体の具合もわからんとは……、子供じゃのう」
グレイは寝息だけが聞こえるクルムの部屋で、意外と優しい声でぽつりとつぶやくのであった。