ぐっすりと眠ってしまったクルムは、朝日と鳥のさえずりに目を覚まして、慌てて時間を確認する。何かやらなければいけないことがあったような気がしたが、落ち着いて考えてみれば出先なのでやるべきことはない。
とりあえず身支度を整えて、何をしたものかとそわそわしていると、昨晩はクルムよりも遅く寝たはずのグレイが部屋をノックしてから姿を現した。
「訓練の時間じゃ」
となると外は明るくなっているとはいえ、それなりに早い時間である。
夜はすっかり眠ってしまったが、代わりにいつもと変わらぬ時間に目を覚ますことはできたようだ。
「はい、準備します」
出先でも訓練をするのか、というような事を思いつつ、クルムは素直にグレイの言うことに従う。なにせグレイに言わせれば、クルムには魔法の才も武術の才もないらしいのだから、ひたすら反復練習をするしかないのだ。
足を怪我しているにもかかわらず、遠慮なくいつもと変わらぬ量の訓練を課されたクルムは、ぐったりとしながら部屋でゆっくりと朝食を食べる。
幸いなことに、長い睡眠をとったおかげか、身体の調子は悪くなかった。
旅を終えた翌日であるのに、老人であるグレイがいつもと変わらずぴんぴんとしていることに、なんとなしの敗北感を覚えるクルムである。
「ロブスさんからの連絡はどうなっているのでしょうか」
「一昨日から〈要塞軍〉の者が寄こされているらしい。今日も来るじゃろう」
「そうですか。では外出は控えることにします」
グレイは朝一番で軽い朝食を取り、ルーティンとなっている自分用の訓練を終え、今は二度目の朝食をとっているところだ。その間に宿の主人から聞いてきた話だった。
先ほどのクルムの訓練を見て、体力を十分に回復したらしいことは確認できた。
流石のグレイも年であるから、ぐったりとするほどに疲労すれば一晩ぐっすり寝たくらいで回復することは難しいだろう。
体力が化け物じみているので、それほどに疲れることがまずないのだが。
相変わらず何をするにも掛け声はかけるが、ここ最近、久々に戦闘を繰り返したおかげか、少し前よりも体の調子は良くなっているくらいだ。戦闘の時にいちいち『よっこらせ』なんて言ってから突きを放つわけにはいかないので、当然のことである。
案外精神というのは体に影響するものだと、この年になってから新たに学びを得るグレイであった。
「先生は冒険者をされていた時にこの辺りに来たことは?」
「ないのう。直接呪い谷や竜食山へ行ったことはあるが。ま、そもそも国外追放されておったから、この国の主要道など通らん」
「そうでしたね、すっかり忘れていました。当時の先生のことを知っている役人などはいないのでしょうか?」
「大方もう引退しておるじゃろ。軒並み爺か婆か土の下じゃ」
老いてますます盛ん、みたいなグレイが言ってもあまり説得力はない。
「先生を見ていると、案外元気に働いている人がいるのではないかと思えてくるのですよね。気づいて捕まえに来たらどうしますか?」
クルムがたらればの話をするなんて、相当暇な証拠だ。
十三歳にしてワーカーホリックの気があるので、たまには田舎に来てのんびりするくらいでちょうどいいのかもしれない。
「そんな気合いの入ったのがおったら丁重に歓迎してやるわ」
ぐっとでかい拳骨を見せたグレイに、クルムが呆れた顔をしたところで、部屋がノックされる。
許可を得て扉を開けたのは、一人の要塞軍の兵士だった。
「ご用件はなんでしょうか?」
「は、私は〈要塞軍〉の者です。上官より、グレイ様をお迎えするように申し付かっているのですが……」
チラリとクルムの方を見た兵士は困ったような表情だ。
言い方から察するに迎えるのはグレイだけで、クルムを呼びつけたいわけではないらしい。
クルムは仮にも王女であるのだから、むしろあちらから足を運ぶのが当たり前、という考えから、先にグレイをとなったのならば丁寧である。逆に、トップにいる人物がクルムの現状や王位継承争いの詳細を知っており、クルムごときとは会う気がない、となるとなかなか残念な事態である。
その場合はクルムが想定していた最悪である。
冒険者を取り込んでせめてもの土産として引き上げるほかないだろう。
「ふぅむ、儂だけか?」
「は、クルム王女殿下と相対するには、服の準備がないとのことです」
「服の準備、ですか」
「はっ、なにぶん辺境でありますゆえ! 準備ができ次第本人が直接挨拶に上がるとのことでした!」
〈要塞軍〉の兵士は、グレイともクルムと目を合わせぬよう、天井を睨むようにして答える。緊張しているのか、それとも白々しい嘘をついているのか微妙なところだ。
「改めて機会を設けますので、兵に特別指導をしてくださるグレイ様とだけでも先に、とのお話です!」
「……楽しみにお待ちしております、とお伝えください」
「ならば良かろう」
クルムが待つと決めたのならばグレイからはそれ以上言うことはなかった。
グレイは、宿でのんびりしている〈サッシャー家〉にクルムの護衛を頼み、兵士に案内されて要塞軍へと向かうのであった。