「あー……、ラウンド様には難しかったですね。【青天の隠者】というのは、グレイ様が冒険者をしていた折につけられていた二つ名のようです」
「お前、グレイが生きているのを知ってて俺に教えなかったのか」
テーブルを叩いて立ち上がったラウンドに対して、リゾルデは面倒くさそうな顔をして答える。
「私が知ったのはグレイ様が冒険者をやめて雲隠れしてからのことです。ちゃんと二十年くらい前に報告したでしょうが。拳を振り上げるのはやめてください」
「……そうだったか?」
「そうですよ、謝って下さい」
「すまん」
「いいですよ」
そこまで話せばラウンドにもリゾルデの言っていることは分かったらしく、溜飲を下げて椅子に座った。長年一緒にやってきただけあって、リゾルデはラウンドの操作の仕方を心得ているようだ。
「という感じでいかがでしょうか。そうですね……、外から見える場所で訓練を見学しながら立ち話、くらいになるでしょうか。傍から見れば王女であるのに雑に扱われているように見える程度で、もちろん歓迎などはできません」
「十分じゃろう。最初から味方をしてくれと頼んでいるわけでもない。お主らが話して、勝手に決めるが良い」
「……教育係の言葉とは思えませんね」
やはりリゾルデは王位継承争いに詳しいようである。
王になった者の教育係が得る権力は莫大だ。
地位も名誉も思うがままであり、それだからこそ危険を顧みずに教育係を引き受ける。
教育係を引き受けた以上、グレイだって何らかの野望があるはずだと、リゾルデはいぶかしむように尋ねる。
「儂はな、頼られたからにはクルムの命くらいは守ってやろうと思っている。じゃがあれもこれもと手を出すつもりはない。儂が何でもかんでもやらねばならぬような王ならば、ならん方が良い」
グレイが王位継承争いのことを詳しく思い出したのは、教育係を引き受けてからのことだ。随分と昔のことで、あまり思い出さぬよう引き出しの奥深くにしまっていた忌々しい記憶だった。
そもそも引き受けたのはクルムからの『頼み事』であって、それが教育係であるとは知らなかった。褒められて気分が良くなった結果、調子に乗って内容を聞かずに聞き入れたのだ。
当然教育係になったからどうこうという野望はない。
しいてあげるのであれば、人生に有終の美を飾ることくらいだろう。
しかしそれも、結果として手にするものであって、グレイはそこを目指して動いているわけではない。第一の目的は、自分を頼ってきた王位継承争いの参加者、すなわちクルムの命を守ることである。
それはある意味、過去に上手くいかなかったことへのリベンジのようなものでもあった。
「厳しい教育係ですね。普通は全力で支援するものでは」
「向いていないものを王にさせる方が残酷じゃ」
「……なるほど」
「お前らだけで納得するな。難しい話ばかりしてないでそろそろ飯にするぞ」
難しい話ばかりしているのが気にくわなかったのか、ラウンドは席を立ちあがると扉を開けて二人に呼びかける。
「会っていなかった間の話でも聞かせてくれ。何年だ、おい……、えーと、五十五年くらいか」
「そんなもん全部喋れるか、馬鹿が」
「ならまた一緒に飯を食えばいいだけだろうが、ほら行くぞ」
さっさと歩き出したラウンドを追って歩き出したリゾルデは、しゃんと背中を伸ばしたまま、ちらりと横目でグレイを見て口を開く。
「ラウンド様とは五十年一緒にいました」
「そうらしいな」
「あの人はその五十年の間、時折思い出すようにグレイ様の話をしていましたよ。懲りもせずね」
「そうか」
馬鹿な男だが実直で恩を知る男だ。
相談もせずに、暴れて国から消えたグレイのことをずっと気にしていたらしい。
グレイにだって事情はあったが、それでも友達甲斐のない奴だと見捨てられてもおかしくないような行動であったはずだ。
それを五十年ずっと気にし続け、再会すれば友と呼ぶ。
義理のないのは自分であったかと、グレイは少しばかり反省していた。
随分と時間も空いたし、死ぬ前には冒険者時代の知人にも挨拶に行くべきか、なんてことも考え始めていたが、いったんそれを横に置いて、隣を歩くリゾルデをじろりと見る。
「お主は随分と儂を知っておるようじゃったな。そして敵意を感じる。なぜじゃ」
「……当時の王位継承争いで、私の父が別の王子の教育係をしていたんですよ。あなたが暴れたせいですべての計画が狂って王子は殺され、私の家も取り潰しになりましたがね」
「なるほどのう……、しかし本当に儂のせいか?」
「さぁ、どうでしょうね。少なくともあなたが暴れたせいで、博打に出る回数は増えたと思います。ただ、敵意を感じるとしたら、それはただの警戒です。私はあなたが暴れた現場を目の当たりにしていましたから。いまだにあの時の光景が信じられませんよ。王位継承争い参加者が全員一堂に会する中に殴り込みに来るなんて、普通に考えれば自殺行為でしかありませんから」
「若気の至りじゃな」
「そう願います」
過ぎたことは過ぎたことであるが、リゾルデから見たグレイの眼光は今でも鋭いままで、当時の鬼神の如き暴れようを思い起こさせるのだ。
魔物を狩り続けて五十年、いまだ現役のラウンドに殴り勝ったというのだから、当然腕も衰えていないはずだ。
そんな化け物を目の前にして警戒するなという方が難しいのだが、あまり警戒心を強く出し過ぎると、なにが刺激になって鬼人を呼び起こすか分かったものではない。
恨みつらみも警戒もあるが、三割くらいは恐怖に近い感情も持っていた。
リゾルデはそれこそ綱渡りをしているような気分で、交渉を進めたというのに、連れてきた本人であるラウンドは鼻歌交じりで気楽なものだ。
リゾルデは心の中でラウンドに恨み言を言いながら、どんな魔物よりも恐ろしい暴力の化身の横を平然とした表情で歩くのであった。