クルムは昨日暇をしていた。
やらなければならぬ仕事もなく、挨拶回りに行くあてもなく、知識を詰め込むための本もない。
外へ出ればいくらだってやれることはあるが、それには危険が伴う。
だからたっぷりと空いた時間をどう使うか考えて、世話になった〈サッシャー家〉の話を聞くことにしたのだった。
そしてどうせ聞くのならば、グレイと関係のありそうなアンに聞くのが一番だ。
クルムはさりげなくアンに近付き、さも当然のように、グレイの話を振った。
二人の間にある最も濃い共通点は、グレイだ。
アンは老人らしく話を渋っていたが、聞き上手で可愛らしいひ孫くらいの年齢であるクルムにせがまれて、段々と舌の滑りが良くなっていった。
アンはこれまで旧アルムガルド領のことを、気軽に話せる相手がいなかった。話せばあふれ出しそうになる感情を、息子や孫に聞かせるつもりはなかったのだ。
だが、墓参りをしたことで、グレイと再会したことで、その感情の氷塊は、すでに随分と溶けて小さくなった後だった。
ずっとわだかまっていたアンの心のとっかかりは、昔話に変わったのだ。
だから、そのきっかけを運んできたクルムは、ある意味アンにとっての恩人のようなものでもあった。
話しているうちにそれに気が付いたアンは、冷静になってクルムの目の奥を覗き込み、この可憐で可愛らしい少女が、ただ無邪気な子供でないことを思い出した。
何か企みがあることに気づき、見逃した。
企みを除いたとて、クルムがグレイの昔話や、アンの感情や言葉に興味を持っているのは明らかであったし、それくらいで恩返しになるならばという気持ちもあった。
「……もしかすると、アンさんの他にも、故郷に参りたいという方はいるかもしれませんね」
「どうだろうね。まぁ、あの街に住んでいた者たちがいくらしぶといとはいえ、そろそろお迎えが来てもいい頃だ」
「アンさんがこれまで来なかったのはどうしてですか?」
「そうさねぇ……。単純に機会がなかった……、というと嘘になるね。魔物を討伐する冒険者をしているんだから、何度も〈要塞軍〉の募集は目に入ったさ。協力する冒険者の募集もね。ただ……、アルムガルド家以外が支配している故郷を見たくなかったのかもしれないねぇ」
遠くを見ながら語るアンの言葉に共感するように、クルムはしばし沈黙。
十分に余韻を残しつつ、クルムがぽつりと一言。
アンにとって長すぎず短すぎない、心地よいタイミングだった。
「アンさんのように、故郷を見たくても来られていない方、いるかもしれませんね」
「いるだろうね、何人か心当たりがあるよ。……紹介してほしいのかい?」
「……恥ずかしながら、私には味方があまりいません。旧アルムガルド領出身で、腕の立つ方がいらっしゃるのならば是非」
「正直だねぇ、誤魔化さなくていいのかい?」
「味方になってくださるかもしれない方に、嘘を吐きたくありません」
「気の早い……」
半分感心、四割呆れ、一割の心地よさ。
その心地よさは多分、クルムの心根がどこかアルムガルド家の在り方と似ているからだ。
アンは妄想する。
もしアルムガルド家が無くなった時にクルムが寄こされていれば、弱いながらもきっとアンの家族や他の狩人たちと共に、森の中へ踏み込んでいったのだろう。
撤退する時には逃がすのに苦労するくらいにはその場にとどまりそうだし、誰かが命を落とせば悲しんでくれたのではないのか。
当時はクルムの母親ですら生まれていなかったろうが、そんなくだらない妄想が捗った。
「王女様、あんた、グレイ坊ちゃまはどんな人だと思う?」
「……正直に答えたほうがいいですか?」
はじめて自然と出た淀みだったのだろう。
アンはいつの間にか、もっと年上の女性と話しているような気になっていたが、妙な間に、クルムが十三歳の少女であったことを再認して笑う。
「あたしを味方にしたいんだろう?」
「……意地が悪いです。性格がかなり悪いと思います」
「ほー、言うねぇ。仮にもあたしたちの元主だよ」
「嘘を吐きたくないので」
それから何かを誤魔化すようにクルムは窓の外を見ながら続ける。
「攻撃的で、容赦がなく、自分勝手で子供っぽいです。……それでいて義理堅く、情に厚く、真剣で…、どこか……、なんというか、時々、寂しそうに見えます。最近は、なんというか、その……、楽しそうです」
「そんな細かいところまで聞いてないんだけどねぇ。それに、何を恥ずかしがっているのだか」
「分かりません。あまり本人にはこんな話をしないので、後ろめたいような、照れくさいような」
「そうかい」
アンは目を細めて皺を深くして笑う。
「怖くないかい」
「はい、怖くは……ないです」
「そうかいそうかい。そりゃあグレイ坊ちゃまが楽しそうにするわけだねぇ」
アンは声を出して大きく笑った。
あまりそんなことはないのだろう。
〈サッシャー家〉の面々もぎょっとした顔をしている。
家長なんかは心配になって「大丈夫かよ」と駆け寄ってきたほどだ。
笑いすぎたアンは涙をぬぐいながら、心配して顔を覗き込んできた家長に尋ねる。
「あんた、グレイ坊ちゃまが怖いかい?」
「なんだ、やぶからぼうに」
「いいから答えな」
「まぁ、怖くねぇって言ったら噓になるな。誰だってそうだろ」
グレイの圧倒的な戦闘能力は、戦いを知るものほど恐怖させる。
家長は冒険者の中でも上位の実力者であるが、そのプライドを曲げても怖いものは怖い。
「だってさ、あんたきっと特別だよ。この子たちがどうするかは知らないけどね、あたしはあんたの味方をしてやろう。この婆に何でも言いつけな。老い先短いからどこまで役に立てるかわからないけどねぇ」
「ありがとう、ございます……」
クルムにはまだ何が良かったのかわからない。
こうなるように十分気を付けて話したつもりだったが、決定的にアンの気持ちが変わった瞬間がクルムにはまだわからなかった。
それだけに、なんとなく自分自身を認められたような気がして嬉しくもあり、不可解でもあった。
「婆ちゃん……、何の話してんだよ」
「あんたには関係ない話だよ」
「儲け話なら俺にも話せって」
「気分のいいときに俗なこと言うんじゃないよ、まったく」
クルムと〈サッシャー家〉の会話は、それからまだしばらく続き……。
◆
「はい、ありますよ」
さもずっと前から準備をしていたかのように、クルムはにっこりと微笑んで、リゾルデを見つめ返すのであった。