クルムは外壁の上に立っていた。
すでに日が落ちて暗くなっていたが、辺りにはかがり火が煌々と焚かれ、伐採された草木は駆鎧竜が身を隠す場所を与えない。
話を聞いて竜食山側の外壁を確認したところ、確かに噛みついた跡やひっかき傷のようなものが多数見られており、放っておけばいずれは突破されてしまいそうな気配がある。
クルムがこうして見ているおかげか、〈要塞軍〉の兵士たちの士気は微妙に高い。
王都からは見向きもされない土地に身分の高いものがやってきたという事実と、王女に何かあれば大変なことになるという緊張感が、上手いこと作用しているようであった。
しかしこうして上から戦場を見下ろしているのは、フーヴァからの願いではなく、クルムからの申し出だ。
ご迷惑でなければという話であったが、まともな感性を持っているフーヴァからすれば、王女に対して『ご迷惑です』とは答えられない。
クルムとしてもあまり迷惑そうな雰囲気があれば引き下がるつもりであったが、ちょっと悩む程度であったので、引かずにこうして見学させてもらうことにしたのである。
できることならばたくさんの魔物を自分の目で見て、多くの兵士に自分の存在を印象付けたい。迷惑以上にプラスの効果があると見込んでの申し出であった。
どうしても危ないようならばグレイが止めるだろうという安心感もあるので、ひとまずそれほど緊張はしていない。
「グレイ様、本当に武器も防具もいりませんか?」
「いらんいらん」
フーヴァは肩に大鎚を担いで、グレイに最後の確認をする。
何ができるのかと尋ねると、接近戦も魔法もできると答えられ、では武器はと問えばいらんと答える。
連携はどうするかと相談すると、自分を抜きにしていつも通りと言われ、フーヴァからすればまったくもって困ったものだ。
一応荷駄部隊の者に裏付けを取ったところ、訓練では大将であるラウンドに引けを取らぬ暴れっぷりだったというから、一応信じているが、何かあればサポートに入るつもりで横に待機していた。
駆鎧竜の厄介なところはその装甲と、地を這うような動きそのもの、それから恐ろしい咬合力だ。
どうしたって攻撃が上から下のワンパターンになるうえ、バリスタを使っても角度によっては弾かれてしまってうまく刺さらない。
結局のところ近寄って、鈍器や重量武器を使って、直接頭を叩くか、的確な攻撃により急所を貫く方が殺すためには効率がいいのだ。
そんな面倒な駆鎧竜には、一撃必殺の噛みつき攻撃まであるのだからたちが悪い。
その噛みつきは人間をバツリと嚙み切るほどの威力を持っており、お陰様で特殊な魔物の体液を塗りこんで硬質化してある基地の外壁でさえも酷い有様だ。
やがてのそりのそりと、遠くから駆鎧竜の集団が現れたことで、兵士たちはそれぞれ武器を構える。
余裕をもって迎えているのはグレイだけ。
兵士たちにとっては命懸けであるし、基地を守るための重要な戦いでもあった。
「お先に失礼します」
先陣を切ったのはフーヴァだった。
大隊長というのは後ろで指示するだけでなく、先頭を走ることのできるからこそ選ばれる。だから兵士たちはその背中を信頼してついていくのだ。
飛び上がって体を横にして噛みつこうとした駆鎧竜を、フーヴァは大鎚の振り下ろしで迎え撃つ。見事にその横っ面を捉えた面は、勢いを緩めることなく駆鎧竜の顔面を地面と挟み込み、ぐしゃりと平たく伸ばして見せた。
その間に足元に来た他の個体が、大口を開けたところに、フーヴァは大槌をスライドさせてつっかえ棒のようにして突っ込んだ。
振り回して他の駆鎧竜にぶつけて更なる進行を阻むが、数体は後方へ抜けて兵士たちへと襲い掛かった。兵士たちはそれぞれ数人で部隊を組んでそれぞれ駆鎧竜に致命傷を与えるべく、連携して立ち回る。
グレイはしばしその様子を眺め、後方に加勢するよりも前方で侵攻を止める方が有意義かと、前へ出て行くことにした。
そんなボーっと突っ立っている老人を駆鎧竜が見逃すはずもなく、一体がグレイの足をかみちぎろうと大口を開けた時だった。駆鎧竜の腹の辺りが突然地面から盛り上がってきた岩に突き上げられ、ちょうどグレイの拳が振るいやすい辺りまで浮き上がってくる。
腹部を強く圧迫されたせいか閉じた口。その顎に向かってグレイは下から上へ、更に突き上げるようなアッパーをかます。破裂音と共に駆鎧竜の頭部が爆散し、地を這う魔物たちの上に降り注ぐ。
「さぁて、駆除するとするか。こいつらの革は丈夫で結構な金になるんじゃ」
そこから先のグレイは、着実に地面を這う駆鎧竜の頭部を踏みつぶしながら、フーヴァと横のラインを合わせて少しずつ前へ進んでいく。
着実に一体を仕留め、攻撃を防御、隙を見てまた一体仕留めるというフーヴァの戦い方は、武器の割に派手さはないがグレイから見ても中々完成度の高いものだった。
危険な竜食山の付近を任されているだけあって、良い武芸者である。
そんなフーヴァの負担が大きくなりすぎないよう、あえてペースを調整しながら移動するのは、出来るだけ後方に駆鎧竜を抜かせないためだ。
今のところ問題なく少しずつ処理できているようだが、兵士たちの質を見る限り、抜けていく駆鎧竜の数が増えすぎては事故の元だ。
「お強い……!」
一瞬の切れ目にフーヴァから称賛が飛んできたが、グレイはそれを喜ばずに、不意に空を見上げた。
今日は月の見えない暗い夜だ。
敵影は見えないのだが、何か不穏な小さな音が聞こえた気がしたのだ。
念のため空からくる敵に対応するために魔法の詠唱を始めたところ、それは唐突に篝火に照らされて姿を現した。
「何か来ます!」
グレイの次に気が付いたのは、フーヴァではなく、高い位置に陣取って、あたりを見渡していたクルムだった。本来は兵士の集中を損ねるようなことを言うべきでないことは分かっていたが、現れたのは駆鎧竜の三倍ほどの大きさがある、猿のような顔をした巨大なコウモリのような魔物だった。
その姿にふわふわとした頼りなさはなく、口からはよだれが垂れ、足には立派なかぎづめがついている。
手前の兵士を狙って急降下してきているが、兵士たちは駆鎧竜を相手にするのに手いっぱいで、上空を見上げる余裕がない。
クルムは慌てて手元のバリスタに飛びついた。
これにはいざという時の自衛用にと、すでに金属製の巨大な矢が設置されている。
兵士たちにあたらぬよう、角度を仰角に。
迷う暇はない。
すぐさま引き金を引くと、ビョウと聞きなれない音がして降下してくる魔物に向けて矢が飛んでいく。
攻撃を察した魔物が急停止し、矢がその足元を掠って森の中へと消えていく。
惜しかった。
だが、惜しかったで仕留められなかったというのはすなわち、こちらのターンが終わったということだ。
魔物はその皺だらけの顔で、ぎろりと、攻撃を放ってきたクルムのことを睨みつけるのであった。