夕暮れ時になって、騎士が一人やってくる。
騎士は明朝早い時間に訓練場へ来るようにとだけクルムに告げて去っていった。
「……本当にいいのですね」
「もちろんじゃよ」
クルムの確認に、余裕をもって答えるグレイ。
以前と同じような会話がなされているはずなのに、なんだか妙な空気感があることを鋭く察しているウェスカ。しかし聞かされた話は二人が派手に言い争いをしたこと以外の全てだ。
どちらも緊張しているのだろうか、と、未だグレイの本性を知らないウェスカは尋ねる。
「グレイ様。相手は名の知れた手練れになります。私が正面から当たれば、道連れにできるかも危ういかと。本当に……」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃよ」
心配して投げかけた言葉は、主とグレイどちらからも途中で返事をされる。
なるほど、自分の知らぬ間に、二人には確かな信頼関係ができたのだなと、感動するウェスカ。
『ああ、紹介をすることができて本当に良かった』と、胸に拳をあてて心振るわせるウェスカ。
何も知らぬウェスカは、一人大きな勘違いを抱えたまま翌朝を迎えることになるのだった。
鳥が鳴き始めたくらいの早い時間。
空が白み、ぼんやりと靄がかった王宮を、クルムを先頭に三人は歩く。
訓練場は騎士たちのテリトリー。
時間の設定も相まって、ハップスはやはり、この戦いを他の勢力には見せないことを選択したのだとわかる。ここまではクルムの予測通りであった。
訓練場に到着する。
その場にある影は三つ。
ハップスと、若い騎士と中年の騎士。
顔が確認できた段階でクルムは小声でグレイに情報を渡した。
「若い方が昨日話した騎士です。もう一人は騎士団の副団長。純粋な打ち合いでいえば実力は互角程度、と聞いています。お目付け役できたのではないかと」
「ほう、大物が出てきたのう」
打ち合いの実力が互角というのであれば、年の功が厄介さをあげることが多いとグレイは知っている。相手取る場合は、体力のある若者より、副団長の方が厄介になることだろう。
「副団長は厳格なことで有名な方です。おそらく、戦いを監督しに来たのでしょう」
「なんじゃ、邪魔くさい」
ぽつりとつぶやいた言葉に、ウェスカは『ん?』と思ったが、すぐにハップスの方から声をかけられてしまって思考が中断する。
「そちらの人数に合わせてこちらも三名。こちらが戦いに出すのはこのスカべラだ」
鋭い目つきのやせ型の騎士。
その筋肉は絞られたしなやかなもので、長い手足は使いようによっては十分なアドバンテージとなりそうだ。グレイが気になったのは、その腕や足に数か所包帯がまかれている点だ。
騎士として普通にあり得ることなのかと、グレイは首をかしげる。
打ち身というよりも切り傷のまき方。
ならば訓練で本身を使用している可能性が高い。
知らぬうちに騎士団の訓練もよりハードになったのかもしれないと推測するグレイである。
スカベラの目つきは非常に悪く、入った瞬間からグレイだけをじっと見つめていた。
しかし聞いていた話とは違って、爛々と輝いている瞳は、グレイをいたぶることを楽しみにしているというより、追い詰められた獣が牙をむき出しにしているような印象を受ける。
「スカベラが勝てばその教育者は首にして、お前は俺の陣営に入る。スカベラが負ければ、その怪しげな老人のことはもう何も言うまい」
「……ハップスお兄様」
黙って話を聞いていたクルムは、顔を上げてまっすぐにハップスを見つめた。
見れば憎悪が湧き出してしまいそうで、これまで長いこときちんと目を合わせたことがなかった。
だが一晩悩んでクルムは決めた。
今回だけはグレイを信じてみようと。
考えてみれば、グレイは王位継承争いの不毛さや残酷さを知っていてなお、勝ちの望みが限りなく薄く見えるクルムの教育者を受け入れてくれたのだ。一度くらい自分の計画を曲げてでも信じてみてもいいのではないかと。
実際のグレイは成り行きでやってきただけであったが、クルムからはそんな風には見えない。何かきっと意味があるに違いないと思うのも、無理はなかった。
グレイは、深く考えれば考えるほど勝手に勘違いを引き起こさせる老人である。
「その条件は一方的すぎます。もし先生が勝利した場合は、お願いを一つだけ聞いていただきます。もちろん、王位継承争いに参加できなくなるようなお願いは一切いたしません」
「そんな空手形受けられるわけがないだろう」
「……わかりました、では、そうですね……」
クルムは考えているふりをしながら、目線を左右に動かす。
ウェスカは心配そうな表情を、グレイは意外だとでも言うように片方の眉を上げてクルムを見つめていた。
グレイからすると、負ければ死ねと言っていたはずのクルムが、勝ったときの条件を押し付けようとしているのは意外であった。
なぜならこの交渉は、万が一グレイが負けた時には相手に非常に良くない印象を与えることになるからだ。
どういう心境の変化かと観察するグレイに気づいて、クルムは内心で行儀悪くガッツポーズをした。糞爺の予想を裏切ってやったことによるちょっとした優越感である。
信じる信じないはともかくとして、昨日のやり取りに腹が立っていることには変わらなかった。
「私の身が危ういとき、一度だけハップスお兄様の力を使って助けていただく、というのはどうでしょう?」
「……まぁ、それくらいならば良かろう」
「ありがとうございます」
交渉が成立すると、どちらが先にでもなく戦う二人が前に出る。
スカベラは初めから剣を抜き、グレイはいつものローブにフードの姿である。
「武器がないのであれば貸し出すが」
「おお、ありがたい申し出じゃのう。しかしお断りしておこう」
厳格と噂される副団長からの申し出を、グレイは好々爺のような笑みを浮かべつつ断わった。
内心では『信用できないやつから受け取った武器等、怖くて使えるわけないじゃろ』と毒づいていたが、今はしっかり鷹揚な老人モードである。大柄な体も、心なしか背中が曲がって小さく見える。
グレイはかなり遠間でぴたりと足を止めるが、スカベラの方はずんずんと距離を詰めてくる。
「スカベラ、そこで止まれ」
副団長の声に、スカベラは舌打ちをしながらぴたりと足を止める。
数歩踏み込めば切りつけられそうな距離だ。
「のう、若いの。この距離からのよーいドンでの勝負じゃあずるいとは思わんか? もう少しこう、距離というか、手心というかじゃなぁ」
大げさに腕を広げ、情けないことを大きな声で言って見せるグレイ。
「うるせぇよ、くたばり損ない」
「……確かにそうだ。スカベラ、五歩下がれ」
チンピラのように吐き捨てたスカベラであったが、グレイがこれを伝えたかった相手はその後ろにいる副団長だ。わざと大声を出したのはそのためである。
「ざけんな! どうしてわざわざ不利になる様なこと……!」
「黙れ」
スカベラが振り返って文句を言うと、副団長は短く鋭くそれを威圧した。
そして尋ねる。
「勝てないのか?」
「……勝つよ。勝ちゃあいいんだろ!?」
どうやらあちらはあちらで事情があるようである。
どんな事情かは知らないが、副団長がスカベラに対して強い嫌悪感を抱いているのは雰囲気からよく理解していたグレイ。利用して、うまいこと距離を取れたことに内心ほくそえんでいた。
「グレイ様は、大丈夫でしょうか」
「心配なの?」
「ええ、実績のある方ですが、誰かとパーティをくむときには、仲間のサポートに専念されていたと聞きます。得意な魔法は味方へのバフ。当時から考えれば御年もめされてますし……」
突然不安な要素を繰り出してきたウェスカに、クルムは内心『もっと早く教えなさいよ』と思ったが、何とか口に出さずに思いとどまることができた。グレイと余計な会話をしたせいで、口が少しばかり軽くなっているようである。
これもまたあの老人を雇った弊害か。
「ルールは相手を殺さないこと、それだけだ。明らかに勝敗が決した場合は、私が止める。……両者位置についたな」
副団長が確認のために声をかける。
よーいドンの、よーいの部分みたいなもんだ。
「では……はじめ!」
口の中でコッソリと身体能力向上の魔法を唱えていたグレイは、はじまりの合図とともに大きく飛びずさった。たった一度地面を蹴っただけで訓練場の端まで移動したグレイ。
「んだっ、この爺っ!!」
スカベラが思わず叫び、副団長は自身の失態を悟る。
移動手段などいくらでもある。
身体強化は、なにも他人だけに付与するものではないのだ。
距離を一気にとったのは、意表をついてスカベラの動揺を誘うためだけだ。
内心小ばかにしながらの高速移動である。
目を剥きながら迫ってきているスカベラに向けて、グレイは再び口の中で何かを唱える。
両手に湧いて出た炎の塊。
グレイが目を怪しく光らせながら腕をブンと振れば、その塊は左右からスカベラを挟み込むようにして襲い掛かった。
頑張れスカベラ!
この糞爺を痛めつけろ!