「交渉、か」
バッハ侯爵も馬鹿ではないから、流石に状況は分かる。
ここから残る全ての戦力を投入したとて、グレイを打倒しうるとは思っていない。
ただ、ここまでやって、ただで済むと思うほどおめでたい頭もしていなかった。
「王女殿下は私に何を望むというのだ」
それでも、玉砕する前に一つ話を聞くくらいはしてみようと思えたのは、クルムの才能の片りんのようなものを感じたからだ。この候補を王にして、こんなことをしてやろう、ではなく、こいつが王になったら何をするのかが気になる、と思ってしまった時点でバッハ侯爵の負けだった。
「これは妙なことを仰いますね。私も王位継承争いに参加する王女として、自らを盛り立ててくれる方はいくらだってほしいのですよ。もちろん、後押ししてくださる方にも、それなりの品位を求めますが」
「……なるほど、確かに殿下のことを推している貴族の名は聞いたことがありませんな」
「ええ、残念ながら。しかし、ユゥバ子爵様やバッハ侯爵様をはじめとした貴族派閥の方々に、今一度、誰を本当に推すべきか考える機会を持っていただけないかと」
突然名前を出されたユゥバ子爵は驚いたが、無茶苦茶な提案をされたバッハ侯爵も表情をひきつらせた。
つまりクルムは、ここまで自分たちを追い詰めておいて、旧貴族派の多くを自分の派閥に鞍替えさせようともくろんでいるのだ。それは、もし裏切られたとしても、そこから何とかする自信があるとも取れる言い方である。
少なくともバッハ侯爵には、クルムがまだ見えぬ何らかの切り札を隠し持っているように思えた。
そうして考えを巡らせたときに思い至るのは、つい先日までの遠出の件である。
バッハ侯爵は、クルムが〈リガルド〉へ出かけたことは知っていたが、何をしてきたのかまでは知らない。
ただ、アルムガルド家を憎んでいたバッハ侯爵は〈リガルド〉が、旧アルムガルド領であることは知っていた。
そして、クルムがそこでグレイをきっかけとして、旧アルムガルド家由来の、とてつもない戦力を手にしてきたのではないかと推測したのだ。〈要塞軍〉をそれとするのならば、推測はまさにドンピシャなのだが、バッハ侯爵の想像する戦力は、もっと自由の利くものであった。
それは例えば、自分の持つ暗殺部隊をさらに強化したような何かである。
的外れのようだが、ある意味間違っていない。旧貴族派閥にいるほとんどが、〈要塞軍〉の詳細や規模感をよく分かっていないので仕方のないことだ。
「ケルン様の派閥を、丸ごと取り込もうと?」
「丸ごとなどそんな……。しかしお二人が本気で応援してくださるのならば、貴族の方々の中にも考え直してくださる方もいらっしゃるかと」
「……何割くらいを想定していらっしゃるのだろうか」
「そうですね……、まぁ、七割程度でしょうか」
本当は三割もいれば十分と思っているが、自信がないと思われても困る。
盛りに盛って、チラリとユゥバ子爵、そしてバッハ侯爵の表情を見ると、今日一番の引きつりを見せてくれていた。
まぁどちらも弱みを握っていることだし、生き残るために必死に頑張ってもらいたいところなので、これくらいの反応で丁度いい。
「まぁ、お二人にはその半分も心を動かしてもらえれば、残りは私の方で地道にやらせていただきますので」
それでも言葉を失っているバッハ侯爵に、クルムはさらに言葉を続ける。
「まぁ、こちらから支援をお断りしたい方も中にはおりますし、あまり無理は申しません。残念ながら私、貴族の方々にはあまり縁がないものですから、閣下が手伝ってくださるというのであれば百人力なのですが……」
そう言って今度はちらりと、バッハ侯爵周りにいる暗殺者たちを端からゆっくりと見ていく。
貴族派閥に関する当たり前の情報はもちろん、バッハ侯爵が育てた暗殺者たちをうまく使えば、諜報活動のような事もできるだろう。相手がグレイだったからこそ、踏みにじられた暗殺部隊だが、その統率力とバッハ侯爵への忠誠は目を見張るものがある。
やり方や運用方法には見直しが必要であるが、クルムはそれがバッハ侯爵の才能の一つであると考えていた。
才能は使い方次第だ。
もしあまりにもひどい育成をしている場合は、味方にしてから切り捨てることも考えるが、いずれ王になるものとして、そのノウハウくらいは知っておきたい。
「これ以上のことは答えを聞いてからお話ししたいですね」
「……今、この場で決めろと?」
「はい。もちろん私が支持するに値しないと思うのであれば、断ってくださっても構いませんよ。その場合はご縁がなかったということで」
「殺す、と?」
「そんなまさか」
分かっていてあえてとぼけて見せる。
明確な答えを渡して楽にさせるつもりなどなかった。
今この瞬間、自分の実像に霧をかけ、バッハ侯爵から見える虚像をできる限り大きくしたい。
弟子は師匠に似るものなのか、グレイの得意とする曖昧なはったりのようなやり口であった。本人が聞けば嫌がるだろうけれど。
バッハ侯爵が悩んでいるのが表情で分かる。
もう一押しが必要だ。
「何を悩みますか。てっきり閣下は、今の権力に抗うために牙を研いでいる方だと、評価していたのですが、買いかぶりでしたか?」
「……何を」
これまでの柔らかい様子から、ころりと様子が変わって冷たくなったクルムに、バッハ侯爵はまたも動揺を露わにしてしまう。雰囲気の変化があまりに急で、ついていけないのだ。
この状況になってからずっとだ。
心のどこかでクルムを恐れ、その雰囲気に飲み込まれていることに気づきながら、バッハ侯爵はそれに抗いきれずにいるのだった。