スペルティアが仕事を終えた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
たったそれだけの時間で、グレイに再起不能にされた数十人を治したと考えれば驚異的である。
スペルティアはそれぞれの怪我の具合を書き出した一覧を作り、その隣にすらすらと値段を書き込んでいく。実にわかりやすく書かれたその合計は、バッハ侯爵をして一瞬くらりとするような額であった。
それでも、十分に金を用意して待っていたバッハ侯爵は、「すぐに準備します」と答えたのは流石だ。
「そっちで預かっていていい。持って帰るの大変。こっちの都合だから利子はつけない。必要な時は絶対に渡す」
「わかりました。支払い用として別所に確実に保管するようにしておきます。この度はわざわざ御足労くださり、本当にありがとうございました」
「気にしない」
その後もいくつか言葉を交わし、もう遅いから泊まって行ってはどうかと提案されたのだが、スペルティアがそれを断ったので王宮へと帰ることにした。もし万が一、誰かが治癒室を訪れていたら大変だ、とのことだった。
そういうことなら、とさっさと屋敷を後にした二人は、出がけと同じ道を通って王宮へと帰ることにした。
「さっきの、帰り道も襲ってくる?」
「どうじゃろうな。むしろ寄こせばまとめて始末してやるんじゃが」
「私様は、気分が悪かった」
「当たり前じゃろ」
あの襲撃者には意思がなかった。
始まりがどうだったのか知らないが、しっかりとした身分のあるものをああいった捨て駒として使うわけには行かないはずだ。すなわち、彼らは街でも身分の低い者たちや、消えても問題ないような者たちの慣れの果てである可能性が高い。
グレイはスラム街で長いこと子供たちにものを教えてきた。
その過程で関わって来た者は、子供たちだけではない。
スラム街に住んでいるからといって、悪人ばかりではないことをグレイは知っている。そこで暮らさざるを得ない事情を抱えているものだってたくさんいるのだ。
もしかしたらそんな彼らが消費されているであろう現状を思うと、マジでこの国ぶっ壊してやろうかなと思ったりもする。
まぁ、実際本気で取り組んでしまえば、国の中枢機能をマヒさせることくらいはできるだろう。問題は、そうした国が崩壊した場合、これまで普通に暮らしていた善良な人々までもが、路頭に迷い苦しむことになるという点だが。
結果、周りにいるものを助けるか、国の体制を変えるかという話になってくる。
クルムが王になり、まともな政治をやるというのならば、現時点ではそれが一番手っ取り早い。
グレイが我慢をする理由を探していると、隣のスペルティアがやけに静かだった。
なんだと思って横目で見ると、わざとらしく目を見開いて、口に手を当てている。
タイトルをつけるならば、『私様、驚いている』といったところだろう。
「何じゃその顔」
どうせ道中も暇なので、一応スペルティアの馬鹿な反応に付き合ってやるグレイ。
「大人になった。昔だったら一族郎党根絶やしにしてやると怒ったはず」
「嘘つけい。若い頃だってもう少し分別があったわ」
「薬、魔法。いずれにせよ意思はないようだった」
「痛覚もだ。人としてあるべきものがほぼ残っておらんかった」
話していても気分が悪くなるが、二人は思い出しながら彼らの特徴を整理していく。筋肉は確かに膨張していたが、動くたびに骨の軋むような音がしていた。
身体の限界を超えた力を振るっていることは明らかだ。
痛みや自損の恐れによるブレーキがない者は捕獲することも難しいだろう。
捕まえたところで、自分の腕を引きちぎってでもロープから脱出しそうだ。
ちょうどその六人を殺した辺りに差し掛かると、そこには兵士と騎士たちが集まっていた。辺りは篝火で照らされて随分と明るい。
死体が異様であったためか、上役の騎士が随分と動員されているようだ。
「通りたいんじゃが」
六つの死体を作り出した犯人は、平然と兵士に声をかける。
あちらが勝手に襲い掛かってきて、尋常ではない様子だから殺すしかなかった、はグレイの都合でしかなく、この凄惨な現場を作り出したのは間違いなくグレイである。
とはいえ、その時点で通報したところで何が分かるわけじゃない。
襲い掛かって来たから殺したと言っても、調査に時間をかけられたり、クルムに迷惑がかかったりするだけだ。
襲撃者たちの表情は生きていた時から、まるで死んでいるかのように弛緩していた。今となっては普通の死体と見た目は全く変わらない。
こいつらが異常であり、グレイが襲われたというのは、その現場を見なければ理解できないことなのだ。
だからこそグレイは平然とこの場を通りたいと要求をする。
他に騎士たちに協力してやれることもないし、その義理もないのだから。
「うお……、ちょ、ちょっと待ってください。すみません、こちらのお二人がここを通りたいと……」
「なんだって? 回り道を……」
遠回りさせろと言いかけた騎士は、振り返ったところにあった特徴的なシルエットを見て口を閉ざした。
長い古ぼけたローブにフードを被った、やけにガタイの良い老人。
副団長から、関わるなと口を酸っぱくして言われているその本人にそっくりだ。
騎士は仕方なく、警戒しつつ近付いていき「グレイ殿でしょうか?」と尋ねる。
「そうじゃが」
「……ついて来てください。死体が転がってるので、あまりあちこち見ることはお勧めしません」
「ほう、そうか」
知らん顔のグレイが後をついていくと、しばらく進んだところで騎士が口を開く。
「…………王宮へお帰りですか?」
「そうじゃな」
「出かけもここを通ったりはしていませんか? もしそうだったら、その時の状況を教えていただけると助かるのですが……」
関わるなと言われていても、それは余計なちょっかいを出すなという意味だ、とこの騎士は捉えている。この忌まわしい惨殺に関する情報を少しでも集めようと、グレイに対して情報収集をすることにしたのだ。
大した度胸である。
そして、副団長の注意は、思ったようにうまく伝わっていないようでもある。
「昼前に通りがかった時に死体はなかった」
去る時には出来上がっていたけれど。
「そうですか、ありがとうございます。もうずいぶんと遅い時間となっておりますので、お二人もお気をつけてお帰り下さい。まだ犯人が潜んでいる可能性もありますし、ご心配でしたら兵士をお付けしますが……」
途中でスペルティアが女性であることに気が付いたのだろう。
まともな気遣いまでされたところで、グレイはよそ見をしながら自慢の鬚を撫でた。
「兵士はいらん。こんな状況じゃ、お主らも十分気を付けると良い」
「は、はぁ、ありがとうございます」
思ったよりもまともな反応を返してきたグレイに、騎士は困惑しながらも礼を述べる。
無礼なことをしなければ、グレイの反応はこんなものだ。
この惨殺の犯人は、真面目に働いている兵士や騎士に突然襲い掛かるようなことはないのである。