転生爺のいんちき帝王学   作:嶋野夕陽

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バッハ侯爵の見通し

「どうだった」

 

 クルムを訪ねた当日の夜、モーリスは、父であるバッハ侯爵の執務室に呼び出された。バッハ侯爵は机に肘をつきながら、片手に持ったグラスを揺らす。

 黄金色の液体は、おそらく相当に強い酒なのだろう。

 モーリスはしばし今日あったことの報告や、クルムから与えられた警告をバッハ侯爵へ伝える。

 そうして息子が手酷くやり込められ、ついでに自分の方にまで忠告が飛んできたことに笑ってしまった。

 

 しかしモーリスの方は笑っている余裕などなく、ずっと深刻な表情をしている。

 

「……暗殺部隊は、誰に、どれほどの規模の被害を与えられたのですか」

「王女殿下の隣にやけにがっしりとした老人がいただろう? あれ一人に、八割がたやられた」

「……何者ですか」

 

 モーリスも後を継ぐ者として、暗殺部隊の練度や規模はしっかりと把握しているつもりだ。それの八割を一人で倒すなど正気の沙汰ではない。しかも、老人が、たった一人でとなると、国中を探したってそんなことをできるものがいるとは思えなかった。

 

「グレイ=フォン=アルムガルド。今はグレイとしか名乗っておらんようだが、かつて王都を混乱に陥れた張本人だ。話くらいは聞いたことがあるだろう」

「聞いたことがあるも何も……、父上が敵対視していた大本命ではないですか!」

「そうだ。そして生涯かけて育てた暗殺部隊が敗れた。結局……、父上の言ったことが正しかったと証明されたわけだ。この年になってそれを思い知るとはな」

 

 未だその事実が飲み込めていないのか、バッハ侯爵は酒を一気に喉に流し込むと、グラスを置いて瓶から更にお代わりを注ぎ入れる。

 

「お前も私の息子だ。私の判断に心中異を唱えることもあるだろう。昨晩反抗したようにな」

「……それについては、十分反省いたしました」

「まぁ、手酷くやられたようだからな。怪我はないことが幸いか」

「怪我ですか? 流石に侯爵家の嫡男に手は出さないでしょう」

「いいや、やる。あのグレイならば、気にくわないという理由で躊躇なくやる。クルム王女殿下がどうやってあの野蛮人を制御しているか知らんが、それがもはや奇跡であり、クルム王女の持つ比類なき才能の証明だ。いいか、忘れているようなら教えてやる」

 

 バッハ侯爵は再びグラスを一気に煽り、それをテーブルに叩きつけてモーリスを睨みつけた。

 

「あの男は玉座の前で、当代最強と言われた父であるアルムガルド辺境伯と、その嫡男、そして当時王位継承争い最有力であった王子を殺した男だ。その場にいた各勢力の切り札が、まとめて襲い掛かってそのほとんどが返り討ちになったのだ。奴を死刑にするには戦力が足りず、やむを得ず国外追放としたというのに、追放期間が過ぎたら当然のように帰ってくる異常者だ。私もお前も、今生きていることが奇跡だと理解しておけ。あれを同じ人間だと思うな」

「そこまでめちゃくちゃをしますか……?」

「する。お前も剣を習ったことがあるだろう? 勝てぬと思った相手と手合わせしたことがあるだろう?」

「……はい」

「奴はそんな連中を、ろうそくの火を吹き消すがごとく容易く屠るぞ。奴は足手まといを三人連れている状態で、うちの暗殺部隊を全員生きたまま再起不能にしたのだ。どれだけの実力差があるか分かるだろう?」

「……わかりました、よくわかりました」

 

 父が臆病風に吹かれた、と思うにはグレイの戦績があまりにぶっ飛んでいた。

 昔のことならばいざ知らず、暗殺部隊の強さはモーリスだってわかっている。

 

「お前は少々考えが甘いから心配だ。明日から毎日クルム王女殿下の下へ通え。いや、そうだな……、ここからひと月、王女殿下の区画に部屋を貸してもらい泊めてもらえ。私からも手紙を書こう」

「父上! それはいったい……っ」

 

 モーリスはクルムから忠告されたことを思い出す。

 それはすなわち『お前以外にも後継者はいる』だ。

 この忙しいときに傍から離すということは、もしや役に立たぬ息子と見放されたのではないかと焦ったのだ。

 

「妙な勘違いをするなよ。ひと月だ。お前は殿下の近くで働き、自分に何が足りないか。そして殿下が何を求めているかを探れ。バッハ侯爵家の後継ぎとして、必要なものを見つけてこい」

「しかし父上! この大事な時期にそれほど長いこと父上の元を離れるのは……!」

「くどい。もう決めた。そうだな……、グレイにだけは殺されぬよう気を付けろ。お前がどう付き合っていくかは自由だが、私はあの男が嫌いだ」

「それは……、私を人質に差し出すような話なのでしょうか?」

 

 バッハ侯爵は深いため息を吐いて、三度グラスに酒を注いだ。

 

「だから馬鹿なことを言うな。私は必要なことをしているだけだ。それほど心配ならば、しっかりと成長して、それを私に見せに来ればよかろう。王女殿下が即位されれば、私よりお前の方が長く仕えることになるのだ。今のうちに近くに侍り、その人柄を見極めておくのだ」

「父上!」

「護衛に暗殺部隊の一部をつけさせる。いつでも使えるよう、王宮の外にでも待機させておくが良い。…………出て行け、話は終わりだ」

 

 モーリスはぎろりと睨まれて、それ以上部屋に居座ることができなくなった。

 父の言葉をどこまで信じて、どうやって行ったらいいのか。

 不安はあるが、当主の決定は絶対だ。

 

 モーリスは翌朝、ひそかに数人の護衛を引き連れ、手紙を持ってクルムの下へと向かうのであった。

 

 

「…………なるほど、構いませんよ」

「申し訳ございません。ご迷惑にならぬよう、何でもお申し付けください」

 

 バッハ侯爵からの手紙を読んだクルムは、あっさりとモーリスを受け入れた。

 そして部屋の一つを与えると、自室に戻り、グレイに話しかける。

 

「……バッハ侯爵は、何を考えているのでしょう」

「知らん。馬鹿息子があまりに馬鹿だから厄介払いしたのではないか?」

「いえ、流石にそれはないと思うのですが……、どうも何か良からぬことを考えているような気もします。ただの予感でしかありませんが」

 

 第六感のようなものであるが、グレイにはぴんと来ていない。

 それはおそらくグレイが、クルムほどバッハ侯爵にまともに向き合っていないからだろう。

 

「ふぅむ、いざとなれば何とでもなろう」

「そうかもしれませんが……。見落としをしたくないので、もう少し考えてみます」

 

 クルムはそう言ってしばし唸っていたが、どうにもすっきりとした答えにはたどり着かないまま、ファンファがやってきて賑やかな仕事の時間が始まってしまうのであった。

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