流石に後ろ姿くらいは見られているだろうからと、グレイは貧民街でしばらく時間を潰すことにした。そうして騎士たちに捜索されて見つかったとしても、儂は里帰りしていただけじゃ、で押し通して済ませるつもりだ。
ほぼ確信があったとしても、騎士たちはグレイにと接触せぬように言いつけられているから、あまりしつこくはいってこないはず。
少なくとも今日のところは王宮に戻ることができるし、それ以降は知ったことではない。何かあったとしても、知らん顔を決め込むだけだ。
勝手に今日の予定を決め込んだグレイは、しばらくうろうろと歩き回ることで、現在位置のおおよそを把握。そのまま、自分が暮らしていたあたりに向けて足の先を向けた。
貧民街をモーリスのようなキッチリした格好の者が歩いている時の、住民たちの反応は二択だ。一つは、身分が高いものだから何をされるかわからない、と素早く逃げ出す者。貧民街と言っても生きていくための知恵は身に付けるものだから、九割九分がこちらになる。
そしてもう一つは、身ぐるみはいで殺してしまおうとする、貧民街の中でもかなり攻撃的な連中である。
グレイはそんな連中がつけてきていることに気づきながらも、知らん顔で狭い道を進んでいく。
「これは……、どこへ向かっているのでしょうか?」
外壁や王宮との距離感を見て、自分たちが街の中央部に向かっていないことに気づいたらしいモーリスがグレイに質問を投げかけた瞬間、複数方向からモーリスを狙っていた曲者が、一斉に姿を現す。
モーリスもその挙動には気づき、慌てて振り返って剣に手をかける。
すると、襲い掛かるかに思われた者たちは、一斉に知らん顔でそれぞれ別方向に歩きだした。
彼らとて、鴨を餌にしたいのであって、気配に気づいて剣を構えるほどの相手を積極的に狙うつもりはないのだ。狙われるというのは、隙だらけであるという証拠である。
どうやら思ったよりは真面目に剣の訓練を積んできているらしい、とグレイはモーリスの背中に笑いながら声をかける。
「ちょいと時間つぶしじゃ。表通りではまだ騎士共が捜索してるかもしれんからな」
「なるほど……? 時間を潰しても騎士たちが捜していたらどうします?」
「知らん顔をする」
「……それで済むのであれば今戻っても同じでは?」
「鼻息荒く熱心に捜索している時に見つかるより、めんどくせぇなぁってなった頃に戻った方が良かろう。どうせ帰ってもやることはないんじゃ」
「そうですか」
納得したようなしないような調子で、モーリスはプラプラと歩くグレイの背中を追いかける。先ほど妙な奴らが現れたこともあって、前後左右に気を張って、人の気配があればすぐにそちらを確認するようになっていた。
「……グレイ殿は随分とこの辺りを歩き慣れていますね」
「二十年ほど住んでおったからな」
「貧民街にですか? 何をしていたのです」
グレイが国から追放されるまでの経緯はある程度知っているモーリスだが、それ以降のことは何も知らない。こうして一緒に歩いてみると、この奇怪な老人が一体どんな数奇な人生を歩んできたのかが、ひどく気になってきてしまった。
「暮らしていただけじゃ。追放の期間も終わったから、いっちょ帰ってやろうと思ってのう」
「……では追放されている間は?」
「なんじゃ。父親に儂の情報でも探って来いと頼まれたか?」
「いえ……、私の好奇心です。ご不快でしたら止めますが」
「好奇心、のう」
喋ることとグレイの様子を探ることに夢中になっているモーリスの後ろには、また一人曲者がついて来ている。
「おしゃべりは良いが、気を抜くとまたあとをつけられるぞ」
グレイに注意されて、モーリスが慌てて振り返ると、曲者が一人路地の奥へと消えていった。
「……ここは、常にこんな調子ですか?」
「まぁ、この辺りは特にそうなんじゃろうな。もう少し行けば、闇市がある。そこまで行けば物騒な輩は多少鳴りを潜めるじゃろう」
貧民街に住む者でも、必要な物をすべて自分でそろえるのは難しい。
そんな時貧民街の住人は、闇市にいって金を払ったり物々交換をしたりして、欲しいものを手に入れるのだ。当然壊れていたり、盗品だったりするのだが、その辺りのことも込みで手に入れるので、返品なんかは不可能だ。
そんな場所でも一定の秩序は保たれているのは、そこで暴れたりすると貧民街からすらもはじき出されて、暮らしていくのが難しくなるからだ。
モーリスがピリピリしながら歩いているうちに、そんな闇市にたどり着いたグレイは、当たり前のようにその真ん中を堂々と歩いていく。老人とはいえ、貧民街にはグレイ程の巨漢は珍しいので、そうしていてもあちらから人が避けて通る。
また、二十年は貧民街に住んでいたグレイは、一部界隈にはよく知られている顔でもあった。
「こんなに人がいるのですか」
モーリスは突然開けた闇市の賑やかさに驚いていた。
貧民街にどれだけ人が住んでいるかなど、モーリスは知らない。
実はモーリスの父であるバッハ侯爵は、暗殺部隊の再建のためにスカウトに訪れたことがあるだろうから貧民街にはそれなりに詳しい。だが、モーリスは違った。
バッハ侯爵は自分の代で家を復興させ、モーリスが貧民街などに関わらなくて済むようにするつもりで、そういった王都の暗い部分のことは進んで教えようとはしなかったのだ。
どうせ当主になれば嫌でも知ることで、そこで初めて様々な情報を渡してやるつもりでいた。
「…………いや、やや活気がないのう」
モーリスの反応とは裏腹に、グレイは眉をひそめながらぽつりとつぶやく。
久々にやってきた闇市は、グレイがいつも訪れて居た時よりも、なんとなくどんよりと暗い雰囲気が漂っているようであった。