グレイは周囲の様子を観察しながらしばし歩き回ってみる。
市場自体は前と変わらずに動いているようで、むしろ以前よりも治安は良くなっているくらいである。
それでもやはり物足りない気がするのは何なのか。
グレイが首をかしげていると、すれ違った男が「げ……」と小さな声を上げる。
瞬間グレイが腕を伸ばして、その男の首根っこを捕まえた。
反射的なものであり、誰だか把握してのことではないが、人の顔を見て嫌がるということは、本人が何らかのうしろめたさを抱えているということである。
引き寄せた男はやせぎすで、顔に斜めの切り傷がある。
頭には帽子の代わりに薄汚れて黄ばんだ布を巻いたその男は、グレイに捕まったというのに抵抗もせずに素直にされるがままになっていた。
「ちょちょちょいと、放してくださいって。最近は何も悪さしてませんから」
「なんじゃ、お前か」
「誰だかわからず捕まえたんですか? 勘弁してくださいよホント」
「ちょうどいい、少し話を聞かせろ」
「はいはい、私もちょっと話があったんですよ、端に避けましょ」
男が指差した方には、端材で作られた粗末な箱が数個転がっていた。
グレイは男の言うことに従って移動。二人は向かい合うようにして箱に腰を下ろす。しかしモーリスはグレイの横で、周囲を警戒して立ったままであった。
侯爵家嫡男であるというのに、まるでグレイの護衛である。
「お主も適当に座れ」
「……座ったところを襲われたりしませんか?」
「今は大丈夫じゃ」
ここは闇市の真ん中で、目の前にいる男はここらじゃ知られた顔だ。
その知り合いとわざわざ問題を起こそうという者は、貧民街にはそう多くない。
モーリスは周囲を威嚇するようにぐるりと見まわしてから、手を剣の柄にかけたまま、グレイのすぐ近くにある箱に腰かけた。
「こいつはゾエという名の、闇市を仕切っているましな方の屑の一人じゃ」
「まぁ、間違ってはいませんがね」
ゾエは額の辺りに伸びている傷を指先で撫でながら、不満そうにしながらもグレイの言葉を肯定する。
ゾエをはじめとした数人は、ここのようないくつかある闇市を仕切り、その上前を撥ねて暮らしている。区域のまとめ役のような奴らが、横で繋がって、スラム街内で好き勝手やっているというわけだ。
グレイとて正義の味方ではないから一から十まで調べて、この者たちを殺したりはしないが、自分にとって不都合なことがあればぶつかることだってある。その中でも比較的衝突せずにやってこられたのが、このゾエという男だが。
衝突しなかったのは、ひとえにゾエの努力のお陰だが。
「何やら闇市が以前より静かじゃな。何があった」
「ああ、やっぱりわかります? いやね、聞いてくださいよ。ここ数カ月、いや、遡ると数年続いてることなんですが、貧民街の鼻つまみ者が唐突に消えることがあるんですよ」
「いつものことじゃろ」
「あ、いやいや、普通に消されたんじゃなくて、死体とかが見つからずに消えるんですよ。まぁ、どっちにしても大して変わらないんで、長いこと気にしてなかったんですけどね」
貧民街では、弱いくせに声の大きなものや、何か大きな失敗した者が翌日死体となって発見、なんてことは日常茶飯事だ。ただ、どうやらゾエはそのことを言っているわけではないらしい。
「最初はありがてぇことだって思ってたんですが、数カ月前にドカッとまとめて消えましてね。まぁ、それでも、人が少なくなって活気がない、ってよりは……、酒飲んで馬鹿みたいに喧嘩する奴がいないから、静かってのが正しいですね。商売はしやすいですよ、しかし気味が悪い」
「なるほどのう……」
「てっきりグレイさんもそのくちかと思ってましたよ。グレイさんが居なくなるくらいなら、俺たちの手には負えんし、触れずにおこうってね」
「ふぅむ。儂がおらんくなって万々歳と大喜びして祝ったのに、突然現れたものだから、つい『げ……』と、漏らしてしまったと」
「そんなわけないじゃないですか……。無事で何より。困ったことがあったら何でも言ってくださいよ、まじで」
平気な顔をしてへらへらと笑ったゾエであるが、そのまましばらくしてもグレイがじっとその目を見つめていると、やがてそーっと俯き、視線を右に逸らして口を開く。
「…………南地区のグンナイが『やっと死にやがった』と言って飛び跳ね、西地区のブルトンが何かに祈りながら『やってくれたぜ畜生』と大喜びしてましたけど、俺は『どこで聞いてるかわからねぇからやめろ』って止めました。これはまじです」
「裏切り者が」
「俺は俺の命と利益が大事なんで」
そもそも手を組んでいるだけであって仲間ではない。
馬鹿と間抜けは死ぬのが貧民街のルールだ。足を引っ張られてはたまったものではないというのが、ゾエの考えである。その証拠に、何も言っていない北地区のロンヌスについては何も語っていない。
「ふぅむ、しかしやはり連れ去られておるか」
「心当たりがあるんです? 貧民街に戻るなら、何とかしてほしいんですけどね。あまりポンポン人が消えちゃあ、俺たちのメンツもたたないってもんで」
「お前たちの面子など知ったことか。じゃがまぁ……、何かあればパクス商会にでも連絡をしろ。伝手ぐらいあるじゃろ?」
「……知っていたんです?」
パクスのことだから、貧民街の優秀な人物を見つけるために、ゾエたちを有効に使っているに決まっている。窓口として使わせてもらおうと切り出せば、ゾエはバツの悪そうな顔をして問い返してきた。
パクスに口止めでもされていたのかもしれない。
「知っておった。パクスとは少し前から普通に話しておるから気にするな。……ああ、だからと言って積極的に調べるな。神隠しの正体は、お主らの手には負えん相手じゃ」
「神隠し……?」
「ああ、その人が消える事件のことじゃな。神気取りの糞どもが、人の命をもてあそんでおるってことじゃ」
「……なるほど。御忠告ありがとうございます」
よく分からずとも、ろくでもない状況であることだけはしっかり把握したのだろう。ゾエは真面目な顔で大きく頷き、感謝の言葉を述べるのであった。