貧民街の中心部から、街の方へ近づくと、二人をつけてくる者の質が変わった。
グレイのことをあまり恐れなくなり、代わりにモーリスが腰に差している剣や、その見た目を恐れるようになってきたのだ。つまり、モーリスが貴族であると判断できる程度には、教養があるということであった。
この辺りはグレイが住んでいたあたりにも近く、生活に多少余裕のある者もいる。何が危険で何が安全か、というのを、本能ではなく理性で判断している者が増えてきたのだろう。
そのまま街へ出ると、グレイは堂々といつもと変わらぬ様子で大通りを歩いていく。歩幅は広く、背筋は伸びており、まるでやましいところはないと言わんばかりだ。実際本人の中にはそんなもの一切ないのだが。
普通は兵士や騎士に追われているかもしれないと思えば、どうしたってぎこちなくなるものだ。
モーリスもどうしたものかと考えていたが、グレイの態度を見ると、これで良いのかとばかりに、真似をして普通に歩き出した。
結局途中兵士や騎士たちとすれ違うことはあったが、声をかけられることは一度もなかった。何やらこそこそ話し合っているのを見かけたモーリスは、流石に少し緊張したが、グレイは本当に気にも留めずにさっさと歩き去って行く。
そのまま王宮へ到着し、のっしのっしと長い廊下を抜けてクルムの区画へ帰りついたグレイ。扉をくぐると、ちょうど食事の時間だったのか、ウェスカを伴ったクルムが部屋から出てくるところだった。
「お帰りなさい、先生。それにモーリス殿も」
「お帰りなさいませ。お食事の時間ですが、用意しても?」
「うむ」
クルムとウェスカに迎え入れられて、グレイは鷹揚に頷き一度自室へ戻る。
まるでこの区域の主のような態度だが、別に偉そうにしているわけではなく、いつもと変わらぬだけである。
モーリスは少しばかり対応に迷って、頭を下げるだけで返答とする。
「随分と長いお出かけでしたが、何かありましたか?」
グレイの部屋の扉が閉まったところで、クルムは改めてモーリスに問いかける。
怪我はないようだけれど、出かけた時とは随分と違った雰囲気を感じていた。
「……色々とありました」
「先生と喧嘩になったりは?」
モーリスは目元をひきつらせて慌てて首を横に振る。
「まさか」
「そうですか。うまくやっていけそうで何よりです」
クルムはモーリスの慌てぶりを見て、喧嘩はしなかったにしても、その力の一端を垣間見たことを確信する。それで悪い方向に感情が振れていないのだから、きっと大丈夫なのだろうと判断。
クルムは「では、後ほど」と言って、食事をする部屋へ入ることにした。
現状のモーリスに、自分から多くの情報を与えるつもりはない。
話をするにしても、グレイに今日一日のことを聞いてからだ。
「モーリス殿のお食事も準備してよろしいでしょうか?」
「……頼みます」
「ではお待ちしております」
ウェスカに伺いを立てられて、モーリスは短く返事をした。
とはいえそれは事務的なものではなく、割と丁寧なものであった。
モーリスからすると、クルムの区域にいる誰が、どのような身分の人物であるのか、今一つはっきりしていない。
ウェスカはクルムの従者のような役割をこなしているので、間違いなくモーリスよりも身分が低いはずなのだが、それだけ常にクルムの傍にいるということでもある。あまり悪い印象を与えても仕方がない。
今日一日の散歩ですっかり疲れていたモーリスだが、食事があるとなればまだまだ気を抜くわけにはいかない。自室へ戻り衣服を清潔なものに替えると、身体をソファに投げだして一時の休息だ。
モーリスからすれば、父に無理やり派遣されて不安が残る中で、化け物じみた老人に一日連れ回された上、大量殺人現場に居合わせた形である。疲れない方がどうかしている。
それでもモーリスには収穫があった。
それは、クルムが王位につく可能性を感じたことである。
モーリスとて、クルムが自分のことを警戒していることくらいは気づいている。
しかしそれでいい。
味方に付くのだから、それくらい慎重であってくれた方が助かる。
いざという時に大胆に動く人物であるということは、父であるバッハ侯爵と敵対した件でよく分かっている。
あとは、自分がクルム陣営に馴染むだけだ。
ここまでくれば一蓮托生なのだから、モーリスも自分にできることは全てするつもりであった。父に改めて認められるためにも、どうしたって結果が必要だ。
気合いを入れ直してみるが、身体と精神の強い疲労感は急に抜けたりしない。
背もたれに体を預け、ほんの少し気を抜いたところで、モーリスは目を閉じてうたた寝をしてしまっていた。
部屋が激しくノックされ、モーリスは目を覚ます。
思っていたよりも随分と休んでしまったのかと、慌てて体を起こす。
それにしてもけたたましいノックだ。
少し寝坊したくらいでこれほど激しく起こされるのかと思いながら、モーリスは扉の向こうの人物に返事をする。
「申し訳ありません。少し眠ってしまっていて……」
そう言いながらノブに手をかけ扉を開けると、そこには険しい表情をしたクルムとウェスカ、それにグレイまでもが揃って立っていた。
「バッハ侯爵とユゥバ子爵が凶漢に襲撃され亡くなったと知らせを受けました。詳細は今から確認します」
クルムの言葉に、モーリスはぐらりと世界が傾いたような衝撃を受け、思わず体をよろめかせた。
「父上が……? 馬鹿な……、護衛は常に十分についているはず……。そんな、馬鹿な……」
モーリスは壁に手を突いて辛うじて体を支え、うわごとのように呟くことしかできなかった。