「閣下は我々に、それぞれの貴族への護衛を割り振っていました。それに従うよう指示を出し、残った数名を連れ、ユゥバ子爵と共に真っ先に逃走を開始しました。追っ手は全て閣下を追ってきたように見えました。途中ユゥバ子爵とは別れましたが、おそらくあちらにも追っ手が行っているはずです」
バッハ侯爵がその時に何を考えたのかはわからない。
あるいは、全ての護衛を自分に付けていれば生き残れた可能性もあったのかもしれない。それをしなかったのは、そうして生き残った結果、他の貴族が命を落とした場合のことを考えたからだろう。
クルム陣営につけば殺される。
全員が殺されてバッハ侯爵とユゥバ子爵だけが生き残れば、そんな噂が広がり、貴族でクルムに味方する者など他に誰もいなくなる。
では全員を連れて逃げればよかったかと言えば、そうはならない。
足手まといが多くなるほど逃げ切れる可能性は下がる。
ただ、もしバッハ侯爵とユゥバ子爵のみが殺されたのであれば、主導者が死んだとして、他陣営による粛清のようなものであると皆が判断できる。そこから先は、クルムの腕の見せ所、になってくるだろう。
バッハ侯爵は、クルム陣営に可能性を残すことを選んだのだ。
「……できるだけ視界を切るように路地を進み、一度はまいたかに思われましたが、気付けば挟み撃ちにされておりました。バッハ侯爵は、その場で護衛の我々がいれば生き残れる可能性を尋ねられました。全力を尽くすとお答えしたところ、王女殿下へこのことを知らせるのを優先せよ、と命令をされました。我々は閣下を見捨て……、この場に知らせに……!」
「……ではまだ生きているかもしれないのだな!?」
「申し訳ありません。その可能性は非常に低いかと」
モーリスの言葉を護衛についていた男は否定する。
「助けに……!」
「モーリス殿!」
クルムがモーリスが動き出そうとする機先を制して声を上げる。
「動くのは話をすべて聞いてからです」
モーリスはこぶしを握り、目をぎゅっとつぶって天井を仰いだ。
感情をどうにかして抑えて、クルムの指示に従おうと努力していた。
「グレイ殿に閣下から伝言です」
「なんじゃ」
「『忠告を無駄にしてすまぬ』と」
「馬鹿め……」
グレイが言葉を零す。
侯爵の護衛が思わず顔を上げると、グレイは酷く険しい顔をしていた。
憤懣やるかたないのか、こぶしを握り、全身に怒気のようなものをみなぎらせている。バッハ侯爵に対してだけではない。
貴族も王族もこの継承者争いも全部嫌いなのだという、長年積もりに積もった怒りの燻りから、火が燃え上がったような形だ。
その怒りの中には、手の届かない場所への無力感のような、自分に対する怒りも多分に混ざっていた。
バッハ侯爵の最後の一言は、見事にグレイの心をかき乱した。
貴族が嫌いで、暗殺者を育てているようなバッハ侯爵家も気にくわない、というグレイの価値観の一部を上書きする。律義な奴だったとか、命を張ってクルムのために動いたとか、そういった思考が混ざり、嫌いきれなくなった。
グレイはきっと、どうしたって今後、バッハ侯爵の息子であるモーリスを気にかけることになるのだろう。
この国で最も警戒すべき人物に、跡取り息子を気にかけさせることができたのだから、バッハ侯爵は家を保つという判断において、自分の命を最大限有効に使ったとも言えるのかもしれない。
ここまで計算をしてモーリスを今日一日王宮に預けていたのだとすれば、少なくともここ数日のバッハ侯爵の深謀遠慮は、経験の浅いクルムを完全に上回っていたことだろう。
だからこそ、ここで侯爵を失ったことはクルム陣営にとってあまりに手痛い。
「話は終わりですか」
「はい」
「お二方の生死の確認をしつつ、他現場に居合わせた貴族当主の生存確認及び保護をします。私と先生、それにモーリス殿で向かいますが、その前にお兄様のところへ向かい、事情を説明し騎士たちの協力を得ます。貴族当主が命を落としている以上、もはや陣営だけの問題ではなく、王都全体の治安の問題です。ウェスカ、ビアットには留守を任せます」
「承知いたしました」
ウェスカとビアットの返答の後、さっとその場にいる全員を見回し意思の確認をしたクルムは、そのまま歩き出し、扉をくぐって王宮内の廊下を早足で進む。
「報告をくださったあなた、名前は」
「今はハチと」
番号管理をされていたのだろう。
クルムは一瞬眉をひそめたが、すぐに気持ちを切り替える。
「ではハチさん。外にいるモーリス殿の部隊と連携をとり、今すぐにユゥバ子爵の生死と居場所を確認してください。私はお兄様の下へ寄ってから外へ出ます。案内が欲しいので王宮の門で合流しましょう。異論なければすぐに出てください」
ハチは一瞬モーリスの表情を見る。
すでに部隊の全ての権限は、バッハ侯爵からモーリスへと移譲されているのだ。
指示を出すのは本来モーリスの仕事である。
しかし、動揺しているモーリスはその視線に気づくことはなかった。
「はっ」
ハチは目を伏せて鋭く返事をすると、庭へ飛び下り、そのまま壁を飛び越えて消えていく。クルムはそれを目で追いかけることもせず、急ぎハップスの下へ向かうのであった。