昨日訪ねたことを覚えられていたのか、ハップスに与えられた区域へ行って入り口に立った兵士を見上げると、それだけではっとした顔をされる。
「ハップス様でしたら、本日は中にいらっしゃいます」
「ありがとうございます。取次ぎをお願いします」
「どうぞ一緒にいらしてください」
外で待っているつもりだったクルムが取次ぎを頼むと、兵士の一人が扉を開けて、もう一人が先導を請け負う。
「いいのですか?」
思わぬ顔パスに確認をすると、兵士は頷いて答える。
「ハップス様から、クルム様がいらしたらすぐ通すよう申し付かっております」
「……そうですか」
留守の間に訪れたことを聞いて、また来ることもあるかもしれないと取り計らったらしい。意外とまめな男である。
部屋をノックした兵士がクルムの来訪を告げると、内側から扉が開いてハップスが姿を現す。
兵士に「ごくろう」と言って戻してから、クルムを見て、それからグレイを見て部屋へ入れるように扉を押さえたまま道を空けた。
部屋には最低限の物しか置いていない。
ただ、来客と話すためであろうイスとテーブルだけは、黒光りする木で作られた、割と良いもののようであった。最低限相手をもてなそうという気持ちはあるらしい。
「座るといい」
勝手に椅子を引いて座ったグレイを見てから、ハップスは立ち尽くしている妹に声をかけて、自身もクルムと対面する場所に腰かける。
クルムが軽く一礼して座っても、話を促すために自分から声を発したりはしなかった。
「何か食べるもんや茶はないのかの?」
「……少し待ってくれ」
図々しい客の要求に、立ち上がったハップスは、引き出しを開けてぴたりと固まり、しばし悩んでから廊下の方へ向かって、何事かを兵士に言いつけて戻ってきた。
そうして今度は茶の準備を始める。
「どうしたんじゃ?」
「……しばらく来客がなかったから、菓子が悪くなっていた」
「ふむ、訪ねて来る者がおらんのか?」
「そもそも部屋にいることが少ない」
「なるほどのう……」
肝心のクルムが言葉を発しないまま数分が過ぎ、部屋がノックされ、茶菓子が届いたころに茶の準備も終わる。
ハップスが慣れない手つきで茶を淹れて、真面目腐った顔のまま三つのティーカップをテーブルに置いた。
グレイが既に茶菓子を食べているのを、何か言いたげにじっと見てから、ハップスはやはり何も言わずに椅子を引いて、またクルムの正面に腰かけた。
「お兄様は……」
ティーカップに入った琥珀色の液体の揺れを眺めながら、クルムが口を開く。
準備をしていたはずなのに、少し声がかすれてしまったことに、クルムは眉を顰め、少しだけお茶で口の中を潤し、それから今度はハップスを正面から見つめて言った。
「ハップスお兄様が、……レニスお兄様を殺したのですか?」
「ああ」
あっさりとした肯定に、クルムは一瞬頭の中が真っ白になった。
ハップスを親友と呼んだ、自分の上の兄のことを聞いたのだ。
まさか表情も変えずに頷かれるとは思ってもみなかった。
「あれは、俺が殺したも同然だ」
続いて呟かれた言葉に、クルムはふっと大きく息を吸う。
紛らわしい。
そして、少しだけ安堵している自分の気持ちを無視しながら、続けて尋ねる。
「……どういうことです」
「嵌められた。あの日の狩りには参加せざるを得なかった。狩りは、ヘグニ兄上が計画したものだった。ともに出かけた王子たちとはそれなりに交流があり、俺はそれほど警戒していなかった。しかし、レニスは警戒をしていたし、俺にも気を付けるようにと忠告をしてくれていた。俺はそこまで無茶はしないだろうと思っていたが、甘かった」
「何があったんですか」
どうにもハップスは、やはり口下手なようであった。
説明があまりうまくない。
「母が、当時病気を患っていた。狩りの途中で、危篤の知らせが来た。狩りを取り仕切っている家の者からだった。自分の家の使いでないことに疑いを持つべきだった。レニスの忠告を思い出し、俺はその場にとどまるべきか迷った。そんな俺に、レニスは戻るように言った」
クルムは、当時のハップスにあまり厳しいイメージを持っていなかった。
どちらかと言えば、優しい兄であるレニスと気が合うような、穏やかな気性の持ち主であったと記憶している。今と同様に剣の腕は磨いていたが、家族を大事にしており、野心だって持っていなかった。
「レニスが大丈夫というのなら、大丈夫なのだろう、と思ってしまった。母の元へ戻ると、確かに母は体調を崩していた。しかしそれは、病によるものではなく、毒によるものであったのだと思う。そんな母が血を吐きながら、俺に『何をしているのだ』と怒った。『使いなど出していない』と。『あなたが支えると決めたレニスを一人置いて、なぜ母のところになど戻って来たのか』と。『今すぐにレニスの下へ戻れ』と。俺が慌てて狩りの場に戻った時には、共に狩りに出ていた二人の王子は、笑って何かを話していた。俺が戻ってきたのを見て驚いたような顔をして、急に深刻そうに、魔物が現れたことと、レニスが戻ってきていないことを話した。レニスは死んでいた。母も、俺が戻った時にはもう息を引き取っていた。王位継承争いは、醜い殺し合いだ。俺がそれを甘く見ていたから、レニスは死んだ。俺が殺したようなものだ」
クルムがテーブルを拳で殴りつけた。
丈夫なテーブルはさほど揺れなかったが、ティーカップの水面は揺れ、僅かにこぼれ落ちる。
「なぜ! すぐに教えてくれなかったのですか!」
「すまぬ」
「なぜ、私たちを避けるようになったのですか!」
「すまぬ」
レニスの葬式にも顔を出さず、どこかですれ違っても話しかけても来なくなった。
そりゃあ、幼いクルムや下の兄は、おかしいと思いながらもハップスを疑うに決まっていた。
クルムの怒りを真正面から受け止めて、ハップスは繰り返し謝罪をして続ける。
「お前たちを、王位継承争いに巻き込みたくなかった」
「馬鹿な……!」
「すまぬ」
完全に逆効果だ。
ハップスは不器用で、愚かで、その自覚のある男だった。
上のお兄ちゃんの名前、どこかで別の名前で出してないよね……?