「もう決めたんだな」
「もう決めた」
言葉は少なく眉間に寄った皺はそのままであったが、ホワイトは早々にハップスから話を聞くのを諦めたようだった。
ハップスの頑として譲らない性格を、しっかりと把握している辺り、この二人には確かな信頼関係があったのだろう。
「……私は、王女殿下のことも、グレイ殿のことも信用できない。手を組んだのも、お前が絶対に裏切らないからと考えたからだ。王を目指すことをやめるのであれば、関係も終わりだ」
「そうか」
ホワイトは話を勝手に切り上げてくるりと回れ右していなくなろうとする。
ハップスも『そうか』ではない。
連れてきたらそれで役割が終わりというわけではないのだが、引き留めもしなかった。
「逃げるんじゃな」
急ぎクルムが声をかける前に、グレイがここぞとばかりににやにやと笑いながら挑発の言葉を投げかけた。絶対にタイミングを狙っていたに違いない。
「誰が逃げると」
ぴたりと足を止めたホワイトが振り返る。
こちらも単純だ。
こんな見え見えの挑発に乗るものは、そうそういないだろう。
「お主しかおらんじゃろうが」
「逃げていない。用がなくなっただけだ」
「私にはあります、ホワイト殿」
「私にはない」
「良い良い、放っておけ。臆病者など相手にするな、クルムよ。敵にいても味方にいても役に立たん」
グレイが動物でも追い払うかのように、しっしと言いながら手を振る。
煽りすぎて、これでは話などまともにできたものではない。
ホワイトの目が剣呑なものに変わったが、グレイのお陰でこの場にとどめることができているのも事実である。
「……無礼な」
「お、大丈夫か? 足が震えておるぞ」
「震えていない」
「どうだかのう。どうせお主、同じ陣営に自分より強い者がいるのが嫌なんじゃろう? 精々お山の大将でもやっておればいい」
「……私より、強いつもりか」
「おー、強いに決まっておる。お主なんぞちょちょいのぱーじゃ」
「言ったな」
そこでクルムはハッと気づく。
先ほどグレイが『どけておこう』と言っていた壺が、いつの間にかしっかりとよけられてスペースが確保されている。
冗談などと言いつつ、グレイはしっかりと戦うための場所を整えていたのだ。
ただクルムのために呼び止めているわけではない。
これは気にくわないやつと喧嘩するための挑発に違いないと悟り、バッとグレイを睨みつける。
しかし、グレイもホワイトも、既に完全に臨戦態勢で、バチバチににらみ合っている。
グレイが袖をまくって腕を回すと、ホワイトは鋭い目つきをしながらも、腰に下げていた剣を外して木箱の上にそっと置いた。
「剣は使ってよいぞ。使っても儂の方が強いからのう」
「拳で十分だ」
「言いおるわ。ならば儂も魔法は使わずに相手してやろう」
「使え、遠慮するな。使っても私の方が強い」
「うぬぼれるな糞ガキが。儂は身体強化も使わん」
「私も使わん」
「あ? じゃあ儂は足技も使わん」
「私も使わん」
「真似するな、お主は猿か? ならば儂は左手も使わん」
「私も使わない」
「おー、言うたな。では交互に殴り合って決着をつけよう。先に殴らせてやる」
「いいや、そちらが先行だ」
喋りながらどんどん距離を詰めた二人は、至近距離でにらみ合う。
「ほれ、こい。先にやらんとお主の番は回ってこんぞ」
「年寄りから先にやれ」
「いいんじゃな?」
「来い」
グレイがこぶしを握ると、血管が浮かび上がり、腕の筋肉が盛り上がり、その筋の一本一本までがはっきりと見えるようになる。
振りかぶり、身体をひねってから繰り出された拳は、うなりを上げ、寸分の狂いもなく、見事にホワイトの左頬へ吸い込まれた。
ホワイトの鍛え抜かれた体がよろめき、棚に手を突いたあげくに膝をつく。
クルムは目を見開いて驚いた。
普通であればもんどりうって倒れるところを、ホワイトがしっかりと耐えきったからだ。
口の端からは血が流れ、ぷっと吐き出された血の中には歯が混じっているようだが、意識は何とか保っているようだった。
「ほう……、耐えるか」
グレイも感心して思わず称賛の声を上げる。
思っていたよりもきちんと体を鍛えているらしい。
よろっと立ち上がったホワイトがこぶしを握ると、ふらつきがぴたりと止まる。
攻撃に意識がむいたことで、強制的に体の不調を一時的にシャットアウトしたのだろう。
これもまた、一流の証であった。
グレイとは違ってフックを打つような形で繰り出された拳は、コンパクトでスマートであったが、その分速度があった。
グレイは拳が頬にあたる瞬間に首をグリンと回して威力を軽減、それでも殺し切れぬと悟って腰から上も僅かに捻った。
口の端からたらりと血が流れるが、ふらつきはなく、その場についた両足も一歩も動かさなかった。
ホワイトは驚いたような顔をしたが、すぐに仁王立ちに戻りグレイの番を待つ。
「ホワイト殿、勝負はもうついたでしょう」
「まだだ」
「まだだな」
「まだじゃ」
クルムが声を上げると、ガタイの良い男ども三人がほぼ同時にそれを拒絶する。
男の意地なのだ。
クルムには理解できなかったが、そういうものがあるということだけは、何とか受け入れることができた。
「……好きなだけやって構いませんが、終わったらちゃんとスペルティアさんのところへ行ってくださいね」
暗い倉庫の中で男の意地の張り合いが続く。
世界でも最高峰クラスの二人がやり合うには、あまりにも狭い。
だからこそ、この程度で済んでいると考えれば、クルムの場所選びは実に適切だったのかもしれない。