バッハ侯爵家へ到着すると、他と同じように家令に対応され、嫡男であるモーリスの下へ通される。
フルート同様モーリスも疲れているだろうと思っていたが、顔を合わせてみたところ、しゃきっとした顔で黙々と作業をこなしているようであった。
「お主は元気そうじゃな」
「……フルート殿のところへ先に?」
「はい。今日の訪問はここが最後になります」
「それだけ信頼していただけているということでしょうか」
「はい」
クルムがはっきりと答えると、モーリスはふっと笑った。
「……父のお陰ですね。ありがとうございます」
「他の方々にも同じように伝えていることですが、犯人は必ず突き止めます。バッハ侯爵家はしばし忙しくなることでしょう。あまり大きく動かずに、家の立て直しに集中してください」
クルムが続けて、バッハ侯爵の献身について話をしようと一呼吸置いたところで、モーリスは首を横に振る。
「クルム様、父はこうなることを予測していたのだと思います。様々な手続きが、私の了承ひとつで済むように準備がなされていました。父は……、はじめから、近いうちに私に爵位を譲ろうとしていたのです」
「ほう……?」
グレイが意外に思い声を上げると、モーリスはさらに続ける。
「一度はクルム様の命を狙った自分が、今後本当に信頼されることはないだろうと。それならば私に爵位を譲って、その支援をすることでバッハ侯爵家が本当にクルム様の味方であると証明すると」
「そんなことをしなくとも……」
「けじめ、だったのかもしれません。そして、今回の派閥の引き抜きに関して、急いては自らの命が危うかろうことも想定していたようです。……ユゥバ子爵にも、クルム様にもそれを共有していなかったのが、父らしいですが。自分が死んだあと、何をするべきかも書き記されていました。私はすぐに動けます」
クルムは口を結んでしばらく黙り込んでから、どうするべきかを考える。
もちろん猫の手を借りたいほど人員は足りていないのだが、ここでモーリスの力を借りるとなると、フルートや他貴族への不信感につながりかねない。
バッハ侯爵家だけが特別扱いをされているとなるのは困る。
「……安心してください。いつでも動けるという事実をお伝えしただけで、勝手に動くつもりはありません」
グレイはひそかに感心していた。
昨日連れ回した頼りない青年とは思えぬほど、意志の灯った眼をしている。
これまで抱いていた父への自覚していない甘えが消え、後継者として選ばれないのではないかという不安もなくなり、そして覚悟ができた。
だからといってこの瞬間に能力の向上が見られるわけではないが、こういう目をするようになった者は、劇的な成長を見せることがある。
グレイはそんな若者を、冒険者時代からあまた見守ってきた。
「私に励ましの言葉なども不要です。バッハ侯爵家は、父の遺志を引き継ぎ、そして私の意思で、クルム王女殿下を全力で支えさせていただきます」
「……ありがとうございます」
「私が確認した大事なことをお伝えしておきます。父は、シープ子爵をルミネ王女の派閥、メゾン伯爵はヘグニ王子の派閥の間者だと見ていました。そしてモルグ男爵も怪しいと考えていたようです」
「それは……!」
まさに今、クルムが欲しかった情報だ。
シープ子爵は消され、メゾン伯爵は面会を拒否した。
おそらくメゾン伯爵は、間者であることがばれると踏んで撤退したのだ。
となると協力を申し出てきたモルグ男爵は、第三子のジグラ王子の派閥ではないかと当たりがつけられる。
「それが分かっていて襲撃が避けられなかったのか?」
「それに関しては十分に警戒をしていたはずです。手練れに後をつけられたか……、他に協力者がいたか……」
「……話し合いの現場を知っていたのはバッハ侯爵だけですか?」
「そのようでした」
「そうですか……、ありがとうございます」
もしユゥバ子爵と情報を共有しているようだったら、裏切りの可能性もあったが、それを消せたことにクルムは内心ほっとした。バッハ侯爵家の部隊に気付かれず、後をつけることができる手練れがいたと考えるのが無難だろう。
「モーリス殿、やはりしばらくは家のことに集中してください。バッハ侯爵がこの情報を握っていたことを知られたくありません」
「わかりました。私は今、父の手記を遡って確認しているところです。何か他に情報があれば共有いたします」
「お願いします」
バッハ侯爵は元々ケルン派閥で、その勢力の先頭を走ろうとしていた人物だ。
長年王位継承争いを見つめ、その情報を集め続けてきたに違いない。
本当は直接目を通したいところだが、バッハ侯爵家にとって不利になる情報も様々隠されているのだろう。
モーリスの宣言を考えれば、その手記を譲ってもらうこともできるのだろうが、クルムはあえてその情報の精査をモーリスに任せることにした。
じっくりと読むことで父であるバッハ侯爵の努力や苦悩を知ることもできるだろうし、その間に、改めて当主としてのあり方を練り上げることができることだろう。
モーリスには、今の勢いだけの状態ではなく、改めて万全の状態で味方をしてもらいたい。
「……読み終わって、相続の件が落ち着いたらまた訪ねてきてください。その時は存分に働いてもらいますので」
「承知いたしました」
動き出すきっかけはできた。
そして、いずれバッハ侯爵の代わりにモーリスが味方として戦いに加わってくれる。
失ったものばかりではない。
クルムは次なる手を考えながら、バッハ侯爵邸を後にした。