転生爺のいんちき帝王学   作:嶋野夕陽

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喋った!

「……乗るしかねぇんだろうなぁ」

 

 ブルトンの次に降参したのはゾエだった。

 クルムの言うことを信じるのならば、既に貧民街はクルムの作戦に乗るしかないところまで追い詰められているということだ。

 実際に貧民街で暮らしている彼らは、年寄りから、昔の方が生活が楽だったという言葉を山ほど聞かされて育っている。ここ三十年ほどの貧民街の暮らしの変化を見てきた彼らもまた、子供の頃の方がまだ貧民街への当たりが柔らかかったと感じている。

 このしんどくなっている原因には、貧民街の住人への弾圧が厳しくなったからとか、パクスが有能な人材を引き抜くからとか色々あるのだけれど、とにかくじり貧であることには違いない。

 

 このままいけば近い将来、例えばそれが今回の王位継承争いが終わった時に、貧民街が粛清される未来も、なんとなく想像ができてしまうのだ。

 

「いや、まずは力を示してもらわねば……」

 

 この中では最も慎重な性格であるらしいグンナイが、ゆっくりと首を横に振った。

 

「来月にある集まりとやらで、貧民街の焼き払いが中止になってはじめて、私は協力をしたい」

 

 熱に浮かされないタイプなのだろう。

 深いくまが刻まれたじっとりとした疑り深そうな灰色の瞳が、クルムを品定めするように見つめている。普段だったら長身とこけた頬のせいで酷く不気味に映る姿なのだろうが、今は片方の頬が腫れあがっていてややコミカルだ。

 

「その交渉材料を用意するために協力が欲しいんじゃねぇのか?」

 

 話に乗る方に傾いているゾエは、グンナイの提案に反論する。

 どうせ作戦に乗るのなら全員が参加した方がいい。

 こうなってくるとゾエはクルムの味方であった。

 

「はい、できることならば、貧民街の住人の方々が、私の考えに賛成しているという印や署名を集めたいと考えています。数があればあるほど、効力を発揮するでしょう」

「貧民街の住人が、印など持っているわけがないでしょう……。文字が書ける人なんてそういませんよ……」

 

 グンナイが顎を上げて見下ろしながらさらりと言ったところで、クルムとゾエが一瞬黙り込む。王宮で育ったクルムにとっては、あまり想定していない返しだったようだ。

 ゾエもでは代わりに何か、と考えたが咄嗟に出てこなかったようだ。

 何せ貧民街では契約なんてものが発生することの方が稀だ。

 

「拇印でよかろう」

 

 そこでようやく口を挟んだのはグレイだった。

 人間の部位の一部は、個々人によって違いがある。

 それが指紋であったり、耳の形だ。

 商人の間でならば、時折手形や拇印などが契約で使われることはあるのだが、貧民街の住人や王侯貴族にとってはあまりなじみのない文化である。

 

「なるほど」

「拇印、ってなんですかね?」

 

 流石に本ばかり読んでいたクルムは、拇印の存在自体は知っていたようだ。

 なるほど、と言いつつ少し悔しそうにしている。

 一方でゾエやグンナイは何の話かさっぱりなようだ。

 グレイは説明のために親指だけを立てて、ぐっと前に差し出す。

 

「ほれ、指のところがぐるぐるしとるように見えるじゃろ。これが個人によって形が違うんじゃ。同じものなどない。インクと紙だけ用意して、同意するものにペタペタとしてもらえればそれで済むじゃろう」

「へぇ、そりゃあ便利ですね」

「ま、指を切って押すことも、無理やりに押すことも簡単じゃから、効力は微妙なところじゃがな」

 

 物騒な話であるが、その点一つしかない印章指輪や、本人しか書けないサインは中々に面倒くさい本人証明だ。これらが商人たちでもあまり拇印を多用しない理由である。

 彼らだって気軽に指を失うリスクを背負いたくない。

 

「ま、確かにそうっすね」

 

 あっさりと同意する貧民街の住人達。

 いざとなれば指の一本や二本は平気で切り落としてきそうな連中は納得が早い。

 

「しかし……、貧民街でわざわざ指狩りをする意味もあるまい……。証明としては十分か……。……要求はそれだけか?」

 

 思ったよりもやるべきことが少ないことに、グンナイも少しばかり前向きな気持ちになったらしい。

 

「はい、それだけで。あとは私たちの方で何とかします」

「とにかく、俺は協力する。ブルトン、お前は賛成だろ?」

「あ? 勝手に決めんじゃねぇよ」

「じゃあ反対なのかよ」

「黙ってろ」

「私も……、それくらいならば手を貸そう……」

 

 ゾエに言われたのが気に食わないのか、ブルトンはへそを曲げてしかめっ面になってしまった。その間にグンナイの方が先に協力を示す。

 

 「おい、ロンヌス、お前はどうすんだ?」

 

 ずっと黙りこくっていたロンヌスに、これもまたゾエが声をかける。

 すると腕を組んだまま目を閉じていたロンヌスは、突然カッと目を見開いて、口をパクパクと動かして大きく頷いた。

 

「……いや、聞こえねぇって。もういいからあのガキ連れて来いよ」

「……メロディエ、だ」

 

 呆れた様子のゾエが言うと、ロンヌスはじろりとゾエを睨みつけながら立ち上がって、過去最大の声量で何かを言って歩き出す。

 相棒の少女をガキと言われたことが許せなかったらしい。

 

「まともに喋れるのかよ、お前……」

 

 そんなことよりゾエは、ロンヌスが喋ったことに驚いて、名前どころではないようだが。

 

 メロディエの元までたどり着いたロンヌスは、しゃがみこんでその肩をつつくと、ぼそぼそぼそっと何かを言った。

 するとメロディエが耳から手を離して振り返って口を開く。

 

「とても素晴らしい提案ありがとうございます。是非お手伝いさせていただきます、だって!」

「あっそ……、相変わらずよく分かんねぇ奴だなぁ……」

「ブルトン殿は、協力していただけますか?」

 

 すっかりへそを曲げていたブルトンは、クルムにじっと見つめられてもしばらく黙り込んでいたが、十秒、二十秒と経過したところで、立ち上がって地面をダンッと踏みしめた。

 

「俺は最初から協力するって言ってんだろうが! あぁ?」

「はい、確認をさせていただいただけです。どうぞよろしくお願いいたします」

「お、おぅ……」

 

 クルムが深々と頭を下げると、猛り立っていたブルトンは、急に戸惑っておろおろとし始める。別にクルムに頭を下げさせるつもりはなかったのだろう。

 ある種、この中では一番分かりやすく、クルムと相性の良さそうな男である。

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