転生爺のいんちき帝王学   作:嶋野夕陽

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知らない感情

「じゃあ……、なんで生かしたんだよ!」

 

 八つ当たりだった。

 自分よりもずっと強くて、知識があって、何でもできそうな大男が、少女を見捨てようとしていることが許せなくて、つい反射的に出た言葉だった。

 

「……では殺せばよかったのか?」

 

 男の表情が固まり、パクスを見下ろす。

 パクスはこの時初めて、これまで恐ろしいと思ったことがなかったその男に強い恐怖心を抱いた。男が怒っているのが分かった。

 それでも子供であるパクスは口を閉ざすことができなかった。

 

「俺たちは……、そうやって生きてきたんだ! 助からないやつに食べ物をやってたら、俺たちも死ぬしか……」

 

 その瞬間、破裂音と共にパクスの体が吹っ飛んで床を転がった。

 パクスは目を白黒させ、しばし何が起こったか分からなかった。

 しかし少しずつ頬がじんじんと熱を持って痛み始めたことで、頬を張られたのだということが分かった。

 

「俺はあの娘に、目を覚ました時点で助からないだろうと告げた。あの娘は、じゃあ迷惑だから殺してほしいと言った。腹が立ってな、死ぬまで面倒を見てやるからくだらねぇことを言うなと言った。……あの娘は、お前たちと残りの時間を過ごせることを、図々しく喜んでいたぞ」

 

 パクスがゆっくりと体を起こしている間に、男の言葉がその小さな体に降り注ぐ。

 

「お前の言うことは、お前たちがそれぞれ心の底に抱えている思いなんだろうな。でもな、それは自分以外に対して言う言葉じゃねぇだろうが。間違えるんじゃねぇよ、クソガキが」

 

 よろよろと立ち上がったパクスは、男の顔を見ることもできなかった。

 後悔をしていた。

 余計なことを口走ってしまったことを酷く後悔していた。

 男の言葉がぐうの音も出ないほどに正しくて、悔しくて、そして、一刻でも早く拠点へ戻って少女と共にいてやらなければいけないと思った。

 パクスはそのまま男の家を飛び出して走りだす。

 その日からパクスはどこにも行かず、少女の横につきっきりになった。

 仲間たちも、何かを悟って同じように時間を共に過ごすようになった。

 少女は皆が出かけていかないことを心配しながらも、どこか嬉しそうで、それがまた、余計なことを言ってしまったパクスの心を苛むことになった。

 

 必要なものは、気付けば拠点のすぐ前に紙袋で置いて行かれるようになった。

 男が音も出さずにやってきて、何も声をかけずに去っていくのだ。

 

 それからまた数日が過ぎた。

 少女が目を覚ます時間は減り、詳細を知らぬ仲間たちも、きっと少女が助からないであろうことを悟った。

 皆それぞれ悲しんだ。

 そして、仲間を失うということが、悲しいことであることを思い知った。

 自分たちが生きることで精いっぱいである毎日では、知ることすら許されない感情であった。

 

 初めての悲しみを抱え込んだ仲間たちは、知らぬうちにあの男の厚意に甘え、少女を助けに来てくれないことに不平不満を述べた。

 パクスはそれがお門違いであることを重々承知のうえで、止めることもできなかった。自分も同じ穴の狢であることを知っていたから、偉そうにやめろと言う気になれなかった。

 

 いよいよ少女が目を覚まさなくなったところで、男が一人の修道服を着た老人を連れてやって来た。老人は無駄にぎらぎらとした装飾品を纏っている、いかにも金品が好きそうな下品な表情をしていた。

 

「何しに来たんだよ!」

「目が覚めなくて……」

「なぁ、なんとかしてくれよ!」

 

 パクス以外の仲間たちが口々に喚くと、老人は面倒くさそうな顔をしてそちらをじろりと睨みつけた。

 路傍のごみを見るような目つき。

 パクスたちがいつも向けられている視線だった。

 

「まったく、こんな汚らしいところまで連れてきて……。私を一体何だと思っている……。こんなところに長居すると、それだけで病気がうつされそうだ……。あんたもね、金を持っているのだから、こんなの構ってないで……」

 

 男が、老人の胸倉を掴んで引き寄せる。

 

「御託はいいからよぉ……、サッサと見ちゃくれねぇか? 前金払ってんだろうが、あ?」

「ら、乱暴はよせ! わかったわかった!」

 

 ずるずると引きずられるように中へと連れ込まれた老人は、ぶつぶつと文句を言いながら少女の姿を一目見て、肩を竦めて笑った。

 

「ははっ、治癒魔法にはできることとできないことがあってな。治したかったのならば、怪我をしてからすぐに……」

 

 嘲笑いながら講釈を垂れ始めた老人の頭を男がガシリと掴んで至近距離で睨みつける。

 

「結論だけ言え」

「む、無理だ、治せない、て、手を放して……」

 

 男は舌打ちをしてポケットから金が入った袋を取り出すと、まだ喋っている途中の老人の口にそれを突っ込んで、そのまま外へ放り投げた。

 

「藪医者が」

 

 男はそれだけ言って、その場に胡坐をかいた。

 

 パクスは男が何をしようとしたのかが分かった。

 金を払い、どこからか治癒魔法使いを連れてきたのだ。

 一縷の望みに賭けたのか、パクスを納得させるためだったのか、あるいは、男が納得するためだったのか。

 結果は男の見立て通り、助けることができないと分かっただけだったけれど。

 

 男の行動が理解できない仲間たちは、口々に男に文句を言い始めた。

 パクスはしばらく黙っていたが、やがてへの字に曲げていた口を開く。

 

「黙ってろ! ……こいつの前でそんなこと言うの、もうやめろよ……」

 

 そう言ってパクスは、少女の頭のすぐ近くに座った。

 『こいつ』が、少女のことなのか、それとも黙り込んでいる男のことなのか、パクスにもよく分からなかった。

 滅多に声を荒げることのないパクスの怒りに、仲間たちも驚いて黙り込み、そして一人、また一人と、少女を囲うように腰を下ろした。

 

 名もない少女は、その日の夜、静かに息を引き取った。

 呼吸の止まった少女の亡骸をじっと見つめていたパクスは、ふと、隣で微動だにしていない男を見た。

 男は、大きな背中を少しばかり丸めて、自分たちと同じように、何かを堪えるようにじっと難しい顔をしているばかりだった。

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