グレイは二人を残して部屋を後にした。
隣の自室の扉をくぐると、ロッキングチェアに体を沈める。
ぎしりと音を立てたのは、クルムと出会って以降体の調子を取り戻すためにいつもより余分に積み上げた筋力トレーニングのせいだろう。
年を取ると体力は多少落ちるが、真面目にトレーニングをこなす元気さえ残っていれば、いくらでも筋力は復活させることができる。
メナスは一般的にはかなり強い部類に入る剣士だ。
本気を出せば、一秒とかからずクルムのことを殺すことができるだろう。
それでもグレイが部屋を空けたのは、メナスがそうしないであろうと確信しているからだ。
グレイは目を閉じて久々に冒険者時代のことを思い出す。
暗殺者があまりやって来なくなってからは、それなりに楽しんで暮らしていた。
いつ巻き込まれるかわからないので、仲間と呼ばれるような者を作ることはなかったし、人を大事にしようと思ったこともなかった。
それでもメナスとは長い時間を共にした。
最初の一件以降、随分と懲りたようで、警戒心も高くなって、似たようなことは起こらなかった。
弱いものを近くに置いておくことができない。
そんな事情を抱えたグレイが、人として最低限度の交流をもって生きてこられたのは、間違いなくメナスのお陰であった。
絶対に本人には言わないことであるし、グレイ自身も意識しないようにしているが、そんなことは誰が見たって明白である。
だからグレイは、メナスが『相棒』と口にしたときも否定しなかった。
強引にどこにでもついてきていたメナスが、二十年も王都にだけは現れなかった理由もわかって、少し心穏やかになってしまったグレイは、それを認めるのが癪で深く深くため息をつく。
自分があの場にいたって、どうせメナスはべらべらと余計なことを話し続けるに違いなかった。
だったら聞かないでいる方がまだましだ。
生き物相手に撤退させられるのは、グレイが大人になってからの人生経験上ほとんどないことであるが、その多くにメナスが関わっている。
バミに説得されて王国から離れたこと。
メナスから一度離れたこと。
不死竜を相手にウィクトの命を守るために引いたこと。
冒険者をやめて王都へ戻ったこと。
そして今回。
「まったく、お節介婆が……」
グレイは椅子を揺らしながら目を閉じて、一人ぽつりとつぶやくのであった。
さて、場所は戻りクルムの部屋。
残された二人は、グレイが扉を閉めるのを確認して改めて向き合うことになった。
「さて、邪魔者も居なくなったし話の続きをしよう」
「本当に仲が良いのですね」
「邪険にされてばかりだが、仲のいい自覚はある。そうなるまで付きまとった」
その付きまといようは世間一般で言うところのストーカーであったが、当時のグレイを思えば、メナスがそれくらいしなければ、もっと悲惨で孤独な人生を歩んでいた可能性はある。
「邪険にされているのに一緒にいたのですか?」
「うむ。命の恩人であるしな」
「そのお話、聞かせてもらえませんか? 先生、自分の過去の話はあまりしないので」
「聞いてくれるのか? いや、しかしな、関係性についてむやみに話すなと口止めをされているのだが……」
メナスは話したくてうずうずとしているようであるが、一方でグレイとの約束を破るつもりもないようである。
この様子なら切り崩すのは容易だと、クルムはにっこり微笑んだ。
「私は今、先生の雇用主です。一方で、先生から教わり、守られている存在でもあります。先生のことをもっと知りたいのです。むやみに、の対象外ではありませんか?」
「……しかし、そういうのは本人から聞いたほうが良いのではないか?」
「先生は絶対に話してくれません。聞けば聞くほど話してくれないと思います」
「それならばいっそうだと思うのだが……」
渋るメナスに対して、クルムは少し腰を浮かせて身を乗り出し囁く。
「先生が部屋を去ったということは、私たちがこんな話をすることも想定してのことであるはずです。逆に今話をしなければ、もう話す機会はないかもしれません。私が先生と出会ってからのこと、気になりませんか?」
「う、む……、気になる」
「ではお互いにお互いだけの秘密ということで話しましょう。他に誰にも話さなければ、むやみに話した、とはならないでしょう?」
メナスは腕を組んで数秒天井を見上げたが、やがて大きく頷いた。
「確かに。クルム王女殿下は聡明だなぁ。では聞いてもらおう、私とグレイのなれそめからだったな!」
自分の心の中で話していい方に天秤が傾いたらしいメナスは、ご機嫌に、これまで話す機会が得られなかったグレイと自分の話について語り始める。
「初めてグレイを見たのは、酒場でのことだった。私はカウンター席に、誰も近づくなという雰囲気を醸し出している、圧倒的な強者の背中を見た。でもな、その背中は私には、なんだか少し寂しそうに見えたのだ……」
メナスはグレイとの出会い、そして一度目の別れまでのことを詳細に語る。
実に数時間かかったその冒険譚は、一流の冒険者であっても、人生のうち一度も経験しない様な激動の一年半であり、今のグレイの前身として、想像に難くない活躍ぶりであった。
まともに動けないメナスと共に各地を旅して、それこそ数えきれないほどにその命を救っている。
グレイが何も言わずにメナスの前から姿を消した辺りまで話がたどり着いた時、クルムはすっかりメナスの話に夢中になってしまっていた。