「何って言われてものう……。普通に暮らしておった」
「なら冒険者のままでいても良かったのでは?」
ウィクトからすれば自分よりはるかに強いグレイが、表舞台から突然姿を消したのが不思議で仕方がなかった。
どんな理由で顔を隠し、名を挙げずに暮らしているのか知らなかったが、グレイが冒険者の仕事に嫌気を感じているとは思わなかったのだ。
「五十を過ぎて冒険者を続けている者も少ないじゃろう。この婆みたいに若作りでもなければ」
「グレイならば今でもできるだろう」
グレイは言い訳ついでにメナスに悪口を言ったが、ウィクトが真面目に話しているからか、メナスも言い争いに応じない。真面目な顔で返答をされて、グレイは行儀悪く舌打ちをした。
「グレイさん、私の治療のために大金を支払いましたよね。それを恩に着せないために私の前から姿を消したのでは?」
「儂がそんな善人に見えるか?」
「はい」
ためらいのない返答にグレイは盛大に顔をしかめた。
そうして硬い乾いた肉を手に取り、ぶちりとかみ切って咀嚼した。
グレイはやっぱりウィクトが苦手だった。
嫌いなのではない、苦手なのだ。
まるで物語の主役のような。
影がなく、努力家で、平等で、正しく、裏表もなく、欲がなく、自制心が強く、気に食わないのに嫌いになれず、放っておこうとも思えない。
家族から嫌われ、貴族から煙たがられ、騙され、嵌められ、殺し、死を願われながら生きてきた、圧倒的ヒール側のグレイとは対極にいる存在だ。
近くにいると自分の嫌な部分が濃くなる気がするのだ。
「そりゃあとんだ勘違いじゃな。儂には儂の事情があった」
「それはそうとして、お金はお返しします」
「額が分からんじゃろう」
「……知ってますよ。錬金王ジェイロ=ノームの遺産。その一部が、グレイさんが私のために支払った額でしょう? 色々、調べたんですよ。グレイさんが姿をくらましている間にも」
「……その遺産、有名なのか?」
「有名ですよ。使い込みで有名だった錬金王ジェイロ=ノームが、実は試練の塔のための研究資金として、莫大な遺産を残していたと。今では塔の入り口にジェイロ=ノームの像が建てられるほどです」
「糞ボケ爺が……、あの世で会ったらどつきまわしてやる……」
グレイが強い強い感情を込めて、恨みがましく呪詛のような悪口を漏らした。
錬金王ジェイロ=ノーム。
グレイが試練の塔を破壊するたび、意地になって再建して何度も挑んできた錬金術師だ。王の名を冠する通り、錬金術師たちの中でも最も腕が立ち、最も知識を持った男だった。
ウィクトが毒に侵されていた頃、同じく錬金王ジェイロ=ノームの薬を欲する者がいた。大層身分が高い相手だったようで、彼らは試練の塔に対して相応の圧力をかけていたし、大金も積んでいた。
順番に両方治せばいいだけの話。
普通に考えればそれだけの話なのだが、その頃のジェイロ=ノームは、自身が間もなく老衰で死ぬことを悟っていた。
その結果、グレイはウィクトの治療を後回しにするという宣言をされ、その理由を尋ねて初めて、ジェイロ=ノームの寿命について知らされた。
もし当時のウィクトを、ジェイロ=ノームでない者が治療した場合、ウィクトには後遺症が残る可能性があった。
冒険者として生きていくのならば、致命的な後遺症だ。
ジェイロ=ノームがもう一人の治療に専念している間に命を落とせば、ウィクトはこれから先、存分に腕を振るうことはできなくなるだろう。
グレイにとって守るべきものは、身分が高く金をもって圧力をかけてくるような知らん奴ではなく、共に戦い、自分が守り切ることができなかったウィクトだ。
それに、先に塔に運び込まれてきたのはタッチの差であったが、ウィクトであった。それを放り出して権力者の治療を優先するとしたジェイロ=ノームを、グレイは許さなかった。
グレイは脅しをかけたが、ジェイロ=ノームは楽し気にそれを跳ねのける。
殺すと言っても、どうせもうすぐ死ぬと言い、もし殺せばウィクトを助けようとする者はさらに減るだろうと逆に脅してきた。
試練の塔を散々破壊し、自分のプライドを踏みにじってきたグレイが困っている姿を見るのを楽しんでいたのだ。
粘るグレイの姿を見て楽しみながら、ジェイロ=ノームは条件を出した。
ウィクトを優先して治す代わりに、グレイに土下座と敗北宣言を要求したのだ。
グレイは当然ぶちぎれた。
先にもう片方の依頼者を殺し、塔を跡形も残らず破壊することを宣言したところで、ジェイロ=ノームは『冗談だ』と笑いながらもう一つの、本当の要求を出した。
それが金の要求であったのだ。
実はジェイロ=ノームは、試練の塔の改良のために、試練の塔全体の予算を空っぽになるほど使い込んでいたのだそうだ。
もう権力者からの依頼さえ受ければ、その大半は補填できる。
しかし、完璧には不可能であるから、ジェイロ=ノームが死んだ後、その名誉に傷がつくことは間違いないだろう。
だからジェイロ=ノームは、グレイに今用意できるだけの金全てを出せ、と要求したのだ。それが、もう片方の権力者から支払われる額を越えていれば、ウィクトを優先して治療する。
もし越えなければ治療は後回し。
そして、ジェイロ=ノームは、それがいくらであるか告げなかった。
これがグレイがため込んできた財産のほとんどを放出した理由である。
それは莫大な額であった。
数十年かけてため込んだ、依頼の達成報酬。
それから、他に誰も仕留められないような魔物の素材を売却してため込んでいた財産は、小さな国を買えるほどの額になっていたはずだ。
その全てをジェイロ=ノームに叩きつけて、プライドを保ちつつウィクトの治療を約束させたのである。
つまり、ジェイロ=ノームはグレイから金を払われるまでは素寒貧どころか、こっそり金を使い込んだ糞野郎だった。
その遺産の一部、などではない。全てがグレイによって支払われた、文字通りの『グレイの財産』であったのだ。