クルムが真面目に情報を精査している間、暇になったグレイはプラプラと外を歩いていた。
行くところも決まっていないので、ぶらりと貧民街の方へ向かうと、ラウンドが一人で筋トレをしているのを見つけることができた。
親指と人差し指を地面について、高速で腕立て伏せを繰り返している。
この辺の基礎訓練は、昔グレイが教えたものを忠実に守って繰り返しているようだ。
「何しとるんじゃ。部下に愛想をつかされたか?」
「そんなわけあるか。皆仕事だ。俺は何かあった時のためにここで待機しているんだが、最近は問題が起きることもなくてな。お前こそ、昼間っからプラプラとして、暇なのか?」
「お前らがちゃんと働いてるか見に来てやっただけじゃ」
「暇なんだな」
ラウンドは立ち上がると、端に置いてあった水がめから柄杓で水をすくって頭にかけると、肩にかけた布で軽くふきながら戻ってくる。
「たまにはこの辺り以外もうろついてみるか。悪そうな奴がいたら捕まえてぶちのめそう。俺にはその権利がある」
「お、そういえばそうじゃったな。大手を振って怪しい奴をぶちのめせるのか。悪くないのう」
そう、今〈要塞軍〉大将であるラウンドには、騎士団から捕縛する権利や、強制調査に乗り出す権利が与えられている。そうでなくとも伯爵であるから、多少何かやらかそうが咎める者などほとんどいないのだけれども。
「ようし、行くぞラウンド」
「おう」
二人の老人が貧民街から大通りに向けて歩き出す。
どちらも七十代半ば。
普通であれば本当にただのお散歩としかならないようなコンビであるが、この二人となると話は別だ。王国の最強の盾と、王国最悪の爺である。
貧民街から最初に向かったのは、比較的治安が悪いとされるエリアだ。
いわゆる悪漢共が貧民街にいつでも逃げ込めるように作っていたエリアであり、少し前まではこのあたりからも地味に工事に対する嫌がらせが来ていたらしい。
そりゃあ貧民街が立派な街として成り立ってしまえば、彼らが逃げ込むところはなくなってしまうし、気軽に使える鉄砲玉を確保するのも難しくなる。
そんな悪い奴がたくさん溜まっているはずのエリアに二人がやってくると、通りを歩いていた者たちは皆、慌てて近くの建物に入って扉を閉め、しっかりと施錠まですませた。
「お主、何したんじゃ?」
「ヤジを飛ばしてきたやつらがいたから、責任者を連れて来いと言って、連れてくるまで挑んで来た者を皆殴り倒した」
「それだけか?」
「殴り倒した奴全員を訓練に参加させて、まだ余力があるのにへばった奴を端から張り倒した。見かけたら連行して訓練に付き合わせている。三十人ほど要塞軍に入る約束をさせたぞ!」
「ボケが」
グレイが暴言を吐きながらラウンドの肩を殴りつける。
通常であればもんどりうって転んでいてもおかしくないそのパンチを、ラウンドはしっかりと腕を体に寄せて受け止めきった。
「そんな状態で悪人なんか出てくるわけないじゃろうが」
「ふんっ!」
大ぶりのフックがラウンドから放たれ、グレイが手の甲でいなす。
狭い通りででかい老人が暴れ出すと、その余波だけで施錠された扉が震え、踏み込んだ場所にあった板が割れ、古臭い建物が揺れる。
「何すんじゃいきなり!」
「一発貰ったからには一発返す!」
「あんなもん一発に数えるな!」
「一発は一発!」
いつでも殴り合いをしたいと思っているラウンドにきっかけを与えたグレイが悪い。
「くらえ!」
「くらうか!」
ラウンドの攻撃をさばいて距離を取ったグレイに対して、距離を詰めるためにラウンドが繰り出したのは、いわゆる胴回し回転蹴りと呼ばれる技だ。
グレイが舌打ちをしながらその攻撃をさばくと、それた蹴りが家の壁を貫通する。
ラウンドはそこから足を引き抜くついでに、壊れた壁の破片をグレイに向かって蹴り飛ばす。
グレイがそれを全て弾き飛ばしている間に、足元に向けてタックルを放ったラウンドを、グレイがひらりと空中に飛んで躱す。逃がすものかとラウンドが手を伸ばすが、グレイが一瞬足を引っ込めて交わし、そのままラウンドの後頭部を蹴り飛ばして、新たな家に突撃させた。
ぼろ小屋がガラガラと音を立てて崩れる。
そんな攻撃は屁でもないラウンドが、がれきを弾き飛ばしながら登場すると、周囲に暮らしていた悪漢共がついに姿を現して、泣きながら地面に頭をこすりつけた。
「やめてくれぇ! この辺りを更地にする気かよ!」
「俺たち最近は何もしてねぇだろ、勘弁してくれぇ!」
「そうじゃ、住民に迷惑をかけるでない、馬鹿め」
「む、むむ」
そんな悪漢共に便乗してグレイがラウンドを挑発する。
確かに家を壊したのはラウンドであるが、そのきっかけを作ったのはグレイであるし、普通に受け止められる攻撃をわざといなして家をぶっ壊す流れを作ったのもグレイである。
最初からこうなることを見越しての行動であるから、グレイの方はラウンドと違って百パーセントの悪意を持って家の破壊に加担している。
グレイは、悪漢共が家を失おうと、酷い目に遭おうとどうでもいいと思うタイプの老人である。
しかしグレイよりはだいぶ善良であるラウンドは、その訴えに怯んでしまい、拳を引いて眉を顰める。
「壊れた家の主は誰だ」
誰も手を挙げない。
目をつけられたくないからだ。
「うーむ。あとで貧民街の連中に頼んで、ちゃんとした家を建て直してやろう。代金は俺が払う。悪かったな」
「ほ、ホントですか?」
こちらもラウンド同様見事な禿頭の男が思わず顔を上げる。
ラウンドはぎょろりとその男を見ると、頭にべしんと手のひらを乗せた。
ひえっと声を上げた男であったが、ラウンドはその頭を握り潰したりせず、言葉を続けた。
「お前の家だったが、ダルシャン」
「へ、お、俺の名前覚えてるんです?」
「訓練に四度も参加してからこなくなったから、惜しいと思っていた。お前は見込みがあるのだから、たまには訓練に来い。暮らすところに困ってるなら〈要塞軍〉に顔を出せ。家が建つまで飯の世話をしてやる」
「あ……、ありがとうございます……!」
ダルシャンは家をぶっ壊されたのになぜだか感動したような顔で涙ぐんでいる。
それを見ながらグレイはぼそっと呟く。
「なんじゃありゃあ」
悪人に容赦のないグレイには、なかなか理解のできない光景であった。