夜になっても燭台に火をともして仕事をしているクルムを見て、グレイは勝手に資料やら道具やらを片付け始める。
「まだ終わっていないのですが」
「人間の集中力と言うのは、そう長く続くものではない。先ほどから効率が落ちている。目にも悪いし、今日はこの辺にして休むんじゃな」
何か反論をしようと口を開いたクルム。
しかし、とてもグレイの口から出たとは思えぬほどに隙のない言葉であったため、目を左右に彷徨わせてから、仕方なく筆を置いた。
既に休む準備は終わっている。
クルムは肩にかけた地味な色のストールを押さえながら立ち上がり、そのままベッドに腰を下ろした。
「先生は、少しくらい無茶をしてもそういうことを言わないと思っていました」
「筆を止める時間が長くなっていたから、てっきり止めてほしいのかと思ったんじゃがな」
「……そうでしたか」
自覚はなかったが、言われてみれば時間が経つにつれて考え事をする時間が増えてきていたことに気付くクルム。
「子供は夜更かしせず寝るんじゃな」
一応この部屋に入る前にウェスカに会って『根を詰めていらっしゃるようなので、どうかよろしくお願いします』と頭を下げられたグレイ。
それはともかく、子供の健全な成長に、睡眠が大切であることは言うまでもない。
好き勝手夜更かしさせてもらえると思ったら大間違いである。
「……先生は、今日一日楽しかったですか?」
ふてくされたようにベッドに横になったクルムは、天井を見ながら問いかける。
何が起こったかは食事の時に聞いていたが、グレイの感想は聞いていないなと思い出して、なんとなく尋ねただけだ。
ただの雑談であり、他意はない。
体を横にすると、急にぼんやりとした眠気が襲ってきてクルムはすぐに目を閉じた。
「普通じゃな」
「……普通。……普通に楽しかったということですか。いいですね」
ぽつりぽつりと呟くように発せられるクルムの言葉は、眠たそうに緩み切っている。
グレイは筋トレもせずに大人しく椅子に座っていたが、クルムの言葉を聞いてしばし黙り込んだ。
そういえば、とグレイは思う。
グレイがクルムに出会ってからというもの、クルムが羽を伸ばして遊んでいるところを見たことがないのだ。
王族であるうえ、この年齢で王位継承争いに本気で勝利しようとしているのだから当たり前のことであるのだが、それにしてもと思う部分はある。きっとクルムが王位継承争いに勝利したのならば、今よりももっと忙しくなり、結局遊ぶ暇などなくなってしまう。
それについてどう思っているのか。
グレイが尋ねようとして視線を向けると、クルムは既に目を閉じて静かに寝息をたてはじめていた。
グレイはため息をついて、クルムをベッドにきちんと寝かし、そのまま部屋から出ていく。
先ほどグレイが想像した、王になってからもっと忙しくなるというのは、飽くまで想像でしかない。
これまでの王がそうであったからと言って、クルムまでそうである必要はない。
クルムにとって大事なのは、今を全力で乗り切り、走りきり、王位に就くことだ。
だからグレイは思う。
もし王位に就いたあかつきには、その褒美として、本人が拒否しようと何だろうと、隙を見て適当に遊びに連れ出してやろう、と。遊びのない人生を送っている者が、市井の人間の気持ちなど理解できるはずもない。
グレイは静かにクルムの部屋の扉を閉めて、自室へ戻り、ロッキングチェアーに腰を下ろす。このままいい感じに育てば、クルムはきっと破天荒な、糞王族らしくない王となることだろう。
問題もたくさん起こるだろうし、敵だってきっとたくさんできる。
クルムがそれをどう乗りこなしていくのか。
それは中々面白い想像でもあった。
翌日以降もクルムはバリバリと働いた。
そうしてようやく情報の修正を終えた頃には、その年も残すところあと数日となっていた。
まもなく今年も終わり、年が明けると同時に〈万年祭〉が始まる。
大通りには毎日のように屋台が並び、広場では各地からやってきた出し物が行われ、商会や貴族たちは情報を交換し合い、この先の十年に備える。
十年に一度の、最も盛り上がる年であり、最も治安が悪化する年であり、そして、最も王位継承争いが激しくなる年が、間もなく始まろうとしていた。
そんな状況の中、クルムはせっせと王都へ到着した貴族たちの元へ手紙を送り、面会の約束を取り付ける。
流石に王族からの連絡であるから、無下にする者はいない。
ただ、他の派閥との調整をするためなのか、体調不良やお迎えするのに適切な場所をまだ用意できない、などと言った理由をつけて、クルムと会うことを延期しようとする者は山ほどいた。
その間に、ジグラだとか、ヘグニだとかと先に会うつもりなのだ。
場合によっては王都の勢力情報をまだしっかりと把握できておらず、既に王位継承争いから撤退しているはずの、ルミネやハップスに面会を申し出る者もいるはずだ。
とにかく今できることは、ひたすら国内の力がある者に対してコンタクトを取っていくのみである。
グレイはもう数日、クルムを見守りながら退屈な日を過ごすのであった。