「なんじゃ、喧嘩売っとんのか?」
グレイがにやけながら腕まくりをしたが、セルルトはコンマ数秒だけそちらに視線を動かし、すぐに戻した。
クルムとしてもちょっと恥ずかしいのでやめてもらいたいところだ。
「兄上のことは漏らさず伝えるよう言っているだろう」
「私たちも聞いておりません!」
「馬鹿な」
セルルトは立ち上がると、荒い足取りで中庭を突っ切って歩いていく。
クルムとグレイは一瞬アイコンタクトを取ると、無言で、こっそりその後に続いた。
入る前に想像していた通り、ヘグニとセルルトの区画は、中庭を挟んで繋がっているようで、セルルトはヘグニの区画で働いている者に声をかけられる。
「セルルト様、どうなされましたか?」
「どうもこうもあるか。兄上がご不在というのは本当か?」
「い、いえ……、おそらくお部屋にいらっしゃるはずですが……」
「……どけ!」
返答した者が一瞬動揺したのを見て、セルルトはその者の肩を押しやり奥へと進んでいく。
早足で歩いているだけであるのに、セルルトの呼吸がどんどん荒くなり、肩で息をするようになっているのは、おそらく運動不足ではなく毒による後遺症なのだろう。
「セルルト様! ヘグニ様は本日集中してお仕事をされるとのことで……」
「やかましい、どけ! 兄上!」
止めに入った従者のことを突き飛ばし、セルルトはヘグニの部屋の扉を勝手に押し開ける。いくら距離の近い弟とはいえ、非常に無礼な行為であったが、誰もいない空っぽの部屋からは、非難の声の上げようもなかった。
セルルトはふらりとして壁に寄りかかると、額を押さえて深呼吸を数度してから、自分を止めようとした従者を今にも射殺さんとするような目つきで睨みつける。
「おらぬではないか……。兄上は、どこへ行った……」
すると従者は即座に地面に頭をこすりつけて謝罪した。
「申し訳ございません! ヘグニ様に、どうしても内密にするよう申しつかっておりました。もう二度とそのようなことは言わぬからと、最後の頼みであるとおっしゃられ、断るに断り切れず!」
同じように頭を下げるヘグニの関係者たちを見て、セルルトは息を荒くしながら拳で壁を殴りつけた。
「馬鹿者共が! それで主人を大事にしているつもりか!? これでヘグニが死んだらどうする! 長年一緒にいて、なぜそんなことも分からん!?」
怒声には誰も返事をせず、頭を上げることもない。
セルルトにはそれがまた腹立たしかったようで、再び壁を殴りつけた。
握られた拳は怒りで震えている。
「今すぐ追いかける。いつ出かけた、どこへ行った!」
「朝食を終えてすぐに……」
「どこへ!」
再び走る沈黙に、怒りの限界を超えたのか、セルルトは背中に壁を預けてそのままずるずると座り込んでしまった。
元々よくない体で興奮しすぎたせいで、貧血でも起こしてしまったのだろう。
「セルルト様!」
「寄るな……、役立たず共……」
慌てて介抱しようとした使用人を、セルルトは手で制して睨みつける。
そうして腰に下げた革袋から取り出した丸薬を口に放り込んで無理やり飲み込んだ。
「お水を……」
「そんなことより! 兄上の行く先を早く探してこい!! 全員で、今すぐにだ!」
セルルトは怒鳴り散らすと、酷く喉を痛めそうな咳を繰り返してから、壁に手をついてよろりと立ち上がった。
「あれほど……あれほど、奴の誘いには乗るなと、何度も言ったというのに……。こいつらも、人の話を何だと思って聞いている……!」
息を切らしながら呪言のようにぶつぶつと呟くセルルトを、グレイが笑う。
「おおかた、権力にまみれて平和ボケしておったんじゃろうな。お主以外は皆平和ボケというわけじゃ」
「黙れ……兄上を馬鹿にするな。兄上は分かっていてなお、一縷の希望を抱いて行ったのだ。兄上は……お人好しの、間抜けだからな……!」
「お主こそ馬鹿にしておるではないか」
「私は身内だからいいのだ!」
セルルトは息も絶え絶えで本気で怒っているが、グレイの方は新しいおもちゃを見つけたかのように目を輝かせている。
クルムはそれを横目でチラリと見て口を開く。
「セルルトお兄様がそれだけ取り乱すということは、ヘグニお兄様は随分と危ないことをしていらっしゃるようですね」
グレイに任せていては、セルルトが怒ってまたぶっ倒れそうだと思って、自分が相手をすることにしたのだ。
今の状況で憤死されて、あらぬ嫌疑をかけられても困る。
「他人事ではないぞ……。お前がジグラをどう思っているか知らんが、私はあれが、臓腑まで腐りきった奴だと思っている」
「奇遇ですね、私もそう思っているから、会談に参加することを断ったのです」
「ちっ、せめてお前が参加していれば、そのでかい老人が暴れて、無茶苦茶になったかもしれないものを……」
その時はついでにジグラもヘグニも首を引っこ抜かれていた可能性があるのだが、セルルトはそんな疑いは持っていないようだ。ジグラを腐りきった奴と表現する一方で、クルムのことはそうは思っていないのかもしれない。
「せ、セルルト様!」
その時、集団がバタバタと走って戻って来る。
先頭には、先ほどまでここにはいなかった者の顔があった。
「王宮の出入り口が! 何者かに封鎖されております! 騎士団が侵入者を防いでいるようですが、幾人かすでに曲者が――」
駆け寄ってきた者が、速度を緩めずに息せき切ってセルルトに近寄ってきたところを、横合いからグレイが蹴りをかまして壁にめり込ませ、黙らせた。
腰だめに見えないように構えていた小さな短刀が、からりと床に転がる。
「ふむ、どうやら報告は本当のようじゃな」
グレイは顎鬚を撫でながら呟き、王宮の門がある方を睨みつけた。