グレイが始末した一団が、こちら側に派遣された偽兵士たちの全てではないはずだ。
そこに至る過程にある、王子王女の区画はすでに襲撃されているはずだ。
人質となっているか、あるいは殺されているか。
とにかく今は先を急ぐしかないと、ひたすらに走り到着したルミネの区画の前には、数人の偽兵士たちが倒れていた。剣を構えているのは、今や聖騎士の称号を授かった、騎士団副団長であるジグである。
真面目な騎士は、珍しく憤怒の表情を浮かべそこに立っていた。
「武器を捨てろと言ってるだろ!」
向き合っている偽兵士の一人が、使用人の首に剣を突き付け、他の残った偽兵士がジグを取り囲むようにしてじりじりと距離を詰めようとしている。
ジグはその卑怯な真似に怒りをあらわにしながらも、剣を捨てたりはしなかった。
自分がここを退いてしまえば、後は偽兵士たちがルミネのところまでなだれ込んでいくのを知っているのだから、退けるはずもない。
「先生!」
グレイは何かを訴えるようなクルムの声を聴いた瞬間に、小さくため息を吐いた。
そうして、右手の小指から中指までをたたみ、人差し指を偽兵士の頭部に向け、親指を立てて一言「
音もなく放たれた魔法の小さな弾は、違うことなく偽兵士の頭部を撃ち抜き、頭蓋を砕きその内部を攪拌した。
大した威力もない、ただ人を一人程度殺すことしかできない、グレイから言わせれば糞みたいに面白くもない魔法である。 何より正面からこのポーズをとって打ち出すと、ある程度戦いに慣れた者は、魔法が飛んでくると察して平気で避けてくるので、あまり使いどころがないのだ。
暗殺者であれば歓喜するようなそれも、グレイにとっては拳を振るう方が確実である場面の方が多かった。
偽兵士が剣を取り落とし、その場に崩れ落ちた瞬間、他の者たちの注意も一瞬だけ逸れる。
ジグはそれを見逃さずに素早く剣を振るった。
確実に、無駄なく、偽兵士たちの喉を切り裂いた一閃は見事なものだった。
全員が剣を取り落としてその場に倒れ伏すところで、丁度セルルトたちが姿を現し、その場に足を止める。
グレイとクルムがそのままジグの元へ駆け寄ると、ジグは二人に深く頭を下げた。
「ご助力、感謝します」
「人質がおったところで、最終的にはこうしたじゃろ」
座り込んで震えている使用人を一瞥してグレイが言ったが、ジグは苦笑するだけで答えなかった。使用人に自分が見捨てられる寸前であったことを知る必要などないだろうに、意地の悪い老人である。
あの場において、最終的に使用人を助ける選択肢を取ったであろう人物は、たった一人、クルムだけである。いつだか自分のことを見下し、挨拶もろくにしなかったような使用人に対してだ。
ジグも、グレイも、そして後続のセルルトたちだって、最終的には人質は切り捨てると判断していただろう。ジグは助けられないか模索した末に、グレイとセルルトたちは即座に。
ただ、クルムはグレイのことを信用している。
そして、戦いに巻き込むべきではない人物が、わざわざ死ぬ必要はないと思う程度の慈悲があった。
「まったく、お優しいことじゃのう?」
からかい半分、忠告半分のにやけ面のグレイからの一言の意図は、クルムには十分伝わったようであった。
慈悲をかけすぎて、本質を見失うな。
それはクルムも分かっているつもりである。
それでもクルムは思う。
「無駄な犠牲はいりません」
助けられるのならば助けたらいい。
隣にいるのがグレイでなければ、クルムだって即座に使用人を見捨てていただろう。
「先生には朝飯前、でしょう」
いつだかグレイが使った言葉を使って、生意気に笑い、クルムはルミネの区画の扉を勝手に開け放った。
するとすぐそこに、ルミネと数人の使用人が待機していた。
「ルミネ様、奥へ隠れているようにとお伝えしたでしょうに……」
「ジグが負けたらそれまでです。勝ったのだから良いでしょう?」
どうやらジグの言うことを聞かずに、扉一枚挟んで活躍を見守っていたらしい。
ジグが敗れるようなことがあれば、飛び出して交渉でも持ち掛けるつもりでいたのだろう。
ルミネらしい判断であった。
「よし、では戻るか」
「……いえ、もう少し進みます。この先に、ケルンお兄様の区画があります」
「あのガキも助けるのか?」
「ヒストル大臣に恩を売れます」
「この状況で何を言っておるのだか」
そう言いながらも既にグレイは駆けだしていた。
当然その横にはクルムが続く。
しかし、もしこの事変がそれほど影響なく終わるのであれば、だれをどのくらい助けたかは、クルムにとって良い追い風になる。
転んでもただでは起きない。
利用できるものはすべて利用するのは当たり前のことだ。
それはそれとして、以前のケルンのままであったら、クルムは助けに行く選択肢を取らなかっただろうけれど。
「お主らは足手まといじゃから、そこで待機しておれ!」
グレイが振り返って伝えたところで、セルルトは柱を背にずるずると床に座り込んだ。
元々運動に耐えうる体ではないのだ。
全身の血液が今にも血管からはじけだしそうであった。
「セルルトお兄様……」
セルルトはルミネに憐みの視線を向けられ、息を切らせながらも舌打ちをして顔を逸らす。
酷くみじめな気分であった。