ケルンの区画は王宮の入り口に極めて近い。
ジグのような警備担当がどれだけいても既に犠牲者が出ている可能性はある。
そんな想像をしながら辿り着いた場所は、意外と静かだった。
区画の外には戦闘の形跡がなく、ただ、偽の兵士が扉を出入りしている。
「早々に降参したか?」
ケルンのことを侮っているグレイが呟く。
確かに王位継承争いからすでに撤退したケルンからすれば、無理に争う必要はないのかもしれない。
「……いえ、おそらく留守だったのだと思います」
ただ、クルムはグレイの言葉を否定する。
グレイはケルンに対する理解度が非常に低い。
以前のケルンであれば、よく考えずに猛反発したであろうし、今のケルンであっても、万が一のことを考えて立てこもって時間稼ぎくらいはしているはずだ。
加えて、最近のケルンは朝早くから要塞軍の元へ赴き、最低限の使用人を区画に残して、一日中不在であることも多い。
今日もたまたまその日であったと考えるのが妥当だろう。
「戻るか」
「戻りましょう」
短いやり取りで踵を返したところで、角の向こうからどたどたと足音が近づいてくる。通り魔のごとく、他の区画の前にいる偽兵士たちを伸してきたので、気付いて集団でやってきたのだろう。
グレイは、速度を緩めるどころかさらに加速し、角から出てきた敵が武器を構える間もなく、先ほどと同じように前蹴りを放った。
欄干を突き破り、折り重なるようにして庭へ飛んでいった偽兵士たちは、そのまま王宮を囲う壁にぶつかって動かなくなる。
次いで、僅かに遅れてやってきたおかげで、巻き込まれずに残っていた二名の偽兵士の顎を、グレイはフック一撃で横並びに撃ち抜く。
意識を失ったのか、あるいはそのまま絶命したのかは、クルムにわからなかったが、二人は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
そこで追いついたクルムは、崩れ落ちた偽兵士の上を飛び越え、再びグレイと横並びで走りだす。
「敵は兵士ですか? それともならず者ですか?」
「兵士じゃ。統率がとれておる」
「では、アハーバ王国とジグラお兄様が本格的に動き出した、でほぼ確定ですね」
「外患誘致の糞ボケか。どうせそんなことで玉座についたところで、利用されるだけじゃろうに。いや、それは今も同じか」
結局のところ玉座についたところで、オブラ侯爵家の操り人形。
そう考えるのならば、後援者がオブラ侯爵家になるか、アハーバ王国になるかくらいの違いしかない。
「そうでしょうね」
「この反乱は十分に予測できたという訳か」
「いえ、正直、ありえないかと。これだけの大きな動きを、オブラ侯爵家が見逃しているとは思えないのです。もし気付いておらずここまでされたとなれば、オブラ侯爵家はよほどの無能ぞろいです」
「無能なのではないか?」
「権力を握っているのに?」
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし、じゃからな」
「いい言葉ですね。つまり、オブラ侯爵家は偶然勝って、その権力を維持する能力だけが高かったと」
「その可能性もある」
「……あまり甘く見るのも問題ですが、可能性として見ておきます」
走りながらこれだけの会話ができるのは、クルムが日々、朝からくたくたになるまでグレイに鍛えられているおかげだ。
昔だったらとっくにへばっている。
そのままセルルトやルミネの待つ場所までたどり着くと、そこでは追加で数人の兵士が切り伏せられていた。
どうやら先ほどグレイのところへ駆けつけてきた偽兵士同様、誰かの区画内にいた偽兵士が、増援のためにやって来たらしい。
ジグに加えて、セルルトの護衛も剣を抜いて、相手を切り伏せたようであった。
「このままファンファお姉様、私、そしてハップスお兄様の区画まで行って、騎士団と合流します」
少しばかり走る速度を緩めたクルムがそう宣言しながら通過すると、柱に寄りかかって休んでいたセルルトも、その後を追いかける。
騎士団の訓練場は王宮の東端にある。
今は〈万年祭〉のため、街にも警邏で出払っているし、副団長であるジグがルミネについているため、指揮官が不在であることも多い。
その代わりに、騎士団の訓練場や詰め所には、ハップスが待機して指揮を執っていることが多かった。
侵入者たちも、ぎりぎりまで騎士団には動きを気付かれたくないであろうから、騒ぎは王宮の中央から西側を中心に起こしているはずだ。
一度騎士団と合流してから、戦力を結集して対応に臨むのは、いかにも理にかなった動きである。
走る速度を緩めて、セルルトがクルムの横に並ぶ。
青白い表情をゆがめているのは、今もだいぶ無理をしているからなのだろう。
しかしクルムは、そんなセルルトに容赦なく話しかける。
「セルルトお兄様。お兄様の手の者を使って、使用人たちを騎士団の訓練場まで避難させてください。私が言うより、よほど効果的でしょうから」
セルルトは無言でうなずくと、傍に控えている者に目配せして、走りながらクルムが言ったような指示を、ついてくる者たちに伝えていく。
平時には優秀な者たちなのだろう。
連絡は滞りなく済んだようで、曲がり角などが見える度に、セルルトの手の者が指示されたことを遂行するために姿を消していった。