「肩を貸してやれ。クルムでは背丈が足りなかろう」
「はいはい、はいどうぞ」
「あの、ええと、ありがとうございます」
初対面の男に肩を借りて、よくわからぬまま礼を言うウェスカ。
クルムとしては、自分の身長が足りないことはわかっていても、なんとなく複雑な心境だ。何かしてあげたかったというのが本音である。
冷静に考えればこれが最善なので文句言えなかったけれど。
ゆっくりと階段を上がり、建物の出入り口まで戻る途中にソファを引きずって移動させたグレイは、「よっこいしょ」と言って腰を下ろした。
毎日鍛えているが、昔ほどには体力もない。
三日三晩寝ずに戦い続けられたのは遥か昔の話だ。
今は一昼夜くらいが限界であろう。
休める時には休みたいグレイである。
「ウェスカも」
「いえ、クルム様を差し置いては……」
遠慮するウェスカに、クルムも適当に椅子を引きずってきて腰を下ろす。
「はい、これでいいでしょう」
見上げて言えば、ウェスカも「そうですね」と苦笑しつつグレイの隣に腰を下ろした。
少し前ならばこんなところに近寄ることすらしなかったはずのクルムが、堂々と人様の家の椅子に座っている。
王族としては良くない方向に成長してしまっている気がしたが、ウェスカはそれを咎める気にはならなかった。常に気を張って人形のような表情しか浮かべなかったクルムが、これだけ自由に動いているのがむしろ嬉しかったのだ。
従者としては失格かもしれないけれど、ウェスカとしては、クルムには今のまま成長をしていって欲しいと考えていた。
「……あの、こちらは?」
「さっきお主を探すのに快く協力してくれてのう。残念ながら逃げたならず者に顔を覚えられているじゃろうから、今後この街で普通に生きていくのは大変になるじゃろうな」
「それは……」
ウェスカは顔をしかめ、元酔っ払いの男は顔色を失いふらりと柱に寄りかかる。
寄りかかった拍子に手にべちゃりと血液が付着して、慌てて元の姿勢に戻ることになったけれど。
最初にグレイが男の顔を叩きつけた場所である。
「のう、普通に生活していくには難しいじゃろうなぁ?」
意味ありげにグレイはクルムに話しかける。
「……そうでしょうね。難しいでしょうね。例えば身分のあるものに庇護してもらい、ほとぼりが冷めるまで過ごすなどすると」
クルムはグレイの意図を察して言葉を受け継ぐ。
「ところでお主、今仕事はあるか? 何やら手のひらに鍛えた後があるようじゃが、兵士の端くれでもしているのではないか?」
「い、いえ、その、や、やめたばかりで……。あまり肉体労働がむいておらず」
「頭脳労働は得意だということですか?」
「あ、そうだといいなぁと思ってました」
「そうですか。ウェスカ、一人補佐を雇いませんか?」
「ああ、なるほど。助けていただいたようですし、クルム様さえよろしければ是非。身の安全も外よりは保障できるでしょう」
何を言われているのかわからないのは男の方だ。
そもそも男が知っていることは、グレイが理不尽な暴力の権化であるということと、どうやら美少女とは師弟の関係であるらしいということくらいだ。
あとどうやらただ暴れていただけではなく、人のよさそうな男性を救出しに来ていたということか。
最後のお陰で、もしかすると裏の派閥同士の抗争ではないのかもしれないという希望が持てただけ、今は少しだけましな気分である。
でも今は、謎の派閥に取り込まれそうでとっても不安であった。
「では改めて。私はハルシ王国が第十一子、クルム=ハルシです。もしあてがないようでしたら、ウェスカの下でひと働きしてみませんか?」
「お、お、王女様!?」
「はい」
「お、俺が、働くんですか? 王女様の下で?」
「はい、どうでしょう?」
この元酔っ払いで元兵士の男は、流石に王宮では勢力争いがあるなんてことをちょろっとだけ耳にしたことがある。第十一子ともなると不利なんだろうなぁ想像することはできたが、だからと言って断る選択肢もない。
いくら何でも王族直属ならば、ただの兵士をするよりはお給金もいいだろうし、何より安全だろうと考える。
繰り返すが、この元酔っ払いで元兵士の男は、王宮の勢力争いが、人死にが出るほどに激しいものであることを知らない。
「よ、喜んで」
直立不動から頭を下げると、クルムがにこりと可憐に笑い頷く。
ついでに男の後ろでグレイがにんまりと邪悪に笑い頷いた。
ウェスカばかりに働かせすぎだなと、爺なりに気を遣っての采配である。
自分の雑用などにこき使う気満々だ。
「ありがとうございます。共にクルム様を盛り立ててまいりましょう。ええと、こちらの方のお名前は……」
ウェスカが確認のためにクルムとグレイの顔を順々に見るが、クルムは身を乗り出して『騎士はまだかしら』みたいな顔をしているし、グレイは部屋の中を厳めしい顔で見まわして、いかにも監視してます見たいな雰囲気を出している。
当然、二人ともこの男の名前を知らないから誤魔化しているだけだ。
ウェスカにはそんな失礼なやつと悟られたくない。
「あ、ビアットと申します……」
「よろしくお願いします、ビアットさん」
優しく手を差し伸べてくれたウェスカ。
ビアットは他の二人はともかく、この人にだけは迷惑をかけないようにしようと心に決めたのであった。